随筆(2021/7/11):退行、大事
1.圧倒的成長とは、「大業を成すための超高速機械になる。今更、人間性、邪魔」ということでもある
よく、しばしぱ冗談めかして、「圧倒的成長」という単語が使われるじゃあないですか。
意識が高いが、視野は狭く、他のことがまるで捨て置かれている。そういう馬鹿げた振る舞いのやつ。
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もちろん、人生でやりたいことがたまたまあった場合には、完成に近づけたい。
またいつかそういうのが出来た時のために、直ちに着手出来るようにしておきたい。
何も出来ずに、または果たせずに死ぬと、信じ難い程の苦痛があるだろう。
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そのためには、自分に「やれる能力等の姿勢」が構築されていなければならない。
そういうのを獲得していくプロセスを、ふつうは成長と言う。
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しかし、ここであえて、
「成長ばかりするな」
ということを言わなければならない。
圧倒的成長とは、この場合、
「大業を成すための超高速機械になる」
ということだ。
そしてそれは、その都度その都度やってきたことや、やっていることを、
「それらは道具ないし通過点であり、それそのものの価値は、大業を成して終えない限りゼロである。
あるいは、大業を成して終えても、価値は全て大業の方に由来することになる。
なので、要するにそれらそのものには価値はない」
と、最終的には切って捨てることを、ある程度避けがたく伴うものだ。
2.機械になって捨てたものを、人間顔で懐かしむくらいなら、最初から捨てるな。あるいは、今更懐かしむな
それをやると、かつて楽しかったことが、楽しくなくなるんですよね。
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もちろん、
「今の感性では、あれは今では楽しくない」
ということは、それはそれで、あることだ。しょうがない。
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でも、じゃあ、忙しい人が死んだ目で、
「今何にも楽しくねぇ。
今となっては、楽しかったあの頃が懐かしいよな」
というの、
「そらそうだろうな。自分でそういうの捨ててきたんだろ。だから、今それがないの、当たり前じゃん。
捨てたものを、今更、何懐かしがってやがんだ。盗人猛々しい」
という話になる。そこにちゃんと向き合えるのか?
「それ、アンタにゃ、もうつまんねぇんだろ? 今更懐かしがるなよな。
捨てた相手に抜け抜けと色気を出すなっつってんだ。クソみっともねぇ」
と言われたら、それに対する言い訳、どうあがいてもみっともないものになる。
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捨てるな。
もしくは、捨てたのなら色気を出すな。
で、捨てたんだろ。
じゃあ、後は、色気を出さないことは、そこは断固突っ張れよ。という話にしかならねぇ。
3.過去を捨てたら、記憶も知識も失われる。そんなバカな年長者を前にしたら、そりゃあ誰も言うことなんか聞かんわ
ひどい時には、かつての自分のやったことが理解できなくなったりする。
だって、もう無価値なんだから、脳のスペースに、わざわざ詰めておく必要はない。そういうメカニズムが、勝手に脳に働いてしまうんだな。
あんまり言いたくないが、これは、「超高速で老いる」ようなバカな真似だ。
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昔のことが理解できなくなることは、自分のためには特には困らないかもしれないが、そういうところにいる他の人たちからは
「この先輩、昔の自分のことを忘れて、何も分かってない。ボケてきてやがる。
なのに、マウンティングばっかりしやがる。
何だこの気持ち悪い&ムカつく生き物は。絶対に聞く耳持たんとこうな」
という態度で遇されて、何なら反発や妨害の限りを尽くされても、そんなもん当たり前だろう。
4.しばしば、道具や通過点には、大小の様々な固有の価値がある。出来ればそれらは見捨てない方がいいですよ
大業を成す人、そのために圧倒的成長を繰り広げる人にとっては、道具や通過点は、
「その都度にしか必要なく、最終的には無価値になるもの」
に見えるかもしれない。
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そうではない。
それらはしばしば、大小の様々な、そして「固有の」価値を持つものだ。
それはそれまでの過程から単純に導き出されるものでもなく、新しい価値を伴うものだったりする。
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同様に、それは後の大業に回収されて無価値になる、とは別に限らない。
というか、ふつう、そうならない。
依然としてそれは固有の価値で光り輝くものだ。
少なくとも、かつての自分と、今そこにいる人たちにとっては。
今の自分には、もうそのようには見えなくなっているだけで。
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まして、それを無価値と断じるのが一番良くない。
そんなのは、かつての自分や彼等への、侮辱にしかならないだろう。
侮辱、良くないですよ。
ガキみたいなことを言いますが、何でガキの俺がオトナにこんなことを言わねばならないのか?
そして、こんなことをガキから言われること自体は、オトナとして恥ずべきことだと思って欲しいのだ。
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そういうのが、人間の持つ、人間のさまざまな価値の源なのだとしたら。
それらは、人間性の素材、あるいは人間性と言って、まあ差し支えないんじゃないでしょうか。
(もしこれを読んでいるのが、人間じゃない宇宙人や人工知能やその他の皆さんであった場合、
「よく分からんが人間って「大業を成すため」とか「その途中の道具や通過点のいろいろ」とかの重み付けで混乱しているんだなあ」
程度には思って欲しいのです)
5.道具や通過点の価値を忘れないように、ちゃんと時には立ち返って、思い出した方がいいですよ
だから、時々は振り返りましょう。
というか、ちゃんと戻れるようにしましょう。
道具や通過点の価値を忘れないように、ちゃんと時には立ち返って、思い出した方がいいですよ。
それを退行と忌み嫌ってはいけない。
むしろ、退行、しましょう。
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「過去の自分が、何言ってるのか、サッパリ分かんない」
という事態は、極力避けたい。
そういうのが重なれば重なるほど、実はそれは「能力が失われている」ということであり、要するにやれることは減るんだから。
何なら大業が果たせなくなるまである。
昔の自分の書いたものを、自分の中でちゃんと位置付けする努力を、欠かさないようにしましょう。
分かんなかったら、それはちゃんと分かるまで読み解くか、あるいは先に進んだら逆に分かるかもしれないので、その両方を試みましょう。
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人生の若く幼き部分を丁寧に味わう。
腹を据えて、時々は「立ち止まり」、何なら「振り返り」ましょう。
そういうことが、人生全体として見た場合、大業を「やっていく」のと同じくらい、大事。