随筆(2020/9/29):発達障害者には『的外れでも死なない』のマインドがとても大事(2.意図を問いただすには信頼が要るし、それを構築できていない。じゃあダメだ)
3.どうやって定型発達者の意図を知るか
3_1.基本戦術二つ(他にもあるかも知れないが)
発達障害者(俺)が定型発達者の模倣をすると、
「相手に意図を問いただす」
か、
「まず相手の意図がどうであろうが通用する振る舞いを初太刀として、その後意図が明らかになったら直ちに適正な二の太刀を振るう(それが何なのかは場合によってたいてい違うし、基本パターンはないが、個々のパターンはあるので、それをやっていく)」
というのが基本戦術になってくる訳です。
3_2.一見直感的に分かりやすい「問いただす」というやり方が、しばしばうまく行かない理由
3_2_1.信頼のない相手から問いただされても、まともに答えるとは限らない
後者は特に面倒で、出来れば前者で全部出来れば良いし、しばしば前者に頼ってしまいそうになるのですが、これはしばしば、うまくいきません。
実は、前者に頼れない、かなり明瞭な理由があります。
「こちらから質問してちゃんと応答してもらうこと自体、信頼を得られていて、損なっていない人の特権である。
発達障害者はその信頼を得られていないどころか、相手を塩対応で干し殺して、不信を向けられている場合がよくある」
ということです。
(例外はあり、相手の価値観や人格が、信頼のない一見さん相手にも素直に答える「良い子ちゃん」だった場合、信頼は特に必要ありません。
ただし、このタイプが相手でも、やはり不信は避けなければなりません。この話は後でします)
元の話だと、
「一緒におやつのお茶会をしたい(という意図を持っている(が遠慮している(可能性のある)))人を前に、お茶会に参加しようとしないし、一緒にお茶会をしたいかどうか確認してみることすらしないし、そもそも相手の意図に何の興味もない」
となると、それはまあ、塩対応として効いてしまう可能性は、かなり高いと言えます。
3_2_2.相手の発言と意図が、遠慮によってかけ離れている場合、意図の方に沿わねばならない
相手の発言と意図が、遠慮によってかけ離れている場合、相手の表に出た発言ではなく、隠れた意図の方に沿わねばならない。
昨日も書きましたが、外に出た実際の発言に、意図ごと殉じきれるかと言うと、人はしばしば殉じきれないのです。
ということで、どうも発言と意図が異なっていそうな場合、しぐさ等の、正しく解釈するのが困難な、おそろしく頼りない、その他の手がかりに頼るしかない。
そんなのでコミュニケーションするのは本当に苦痛なのですが、そもそもそれもこれも全て、向こうの遠慮によるものです。
で、遠慮をさせているのが自分である場合、これは遠慮させている自分が文句なしに悪い。
「遠慮しなくていい」という信頼、結んだか? 結んでないだろ?
3_2_3.言質を取って、意図を無視した場合、相手は「遠慮させられた」、「やりたいことが出来なかった」、「損をした」という恨みを持つ
ということで、相手の意図をきちんと読めないで、発言を言質として捉えるの、私もやっちゃっていた口だけど、やめた方がいいですよ。
これをすると、相手は、「良い子ちゃん」をすることで、意図を「遠慮させられた」、「やりたいことが出来なかった」、「損をした」という恨みを持つ。
そんなことを「された」側にとって、「した」側に、信頼なんか、あると思うか? 無理な話では? 不信ばかりが募るぞ。
そして、それを招いているのは、他ならぬこちらなんだからな。
そのうち、質問しても、不信の塊になっているので、
「こいつにちゃんと配慮して答えたら、結果として、こいつに嫌な気分にさせられてきたし、つまりは罰されてきたんじゃん。
もう、口を利くのも面倒くせえ。まともに答えることにコストを割きたくねえ。口から出任せで良くないっすかね」
となる日が来ます。
これは、いつなるかは、人によって違う。
意図を無視され続けて嫌な目にばかり遭ってきている人の場合、質疑応答のやりとりの、正に二回目から、こうなる。
だが、いずれ、なる。と考えるべきだ。
そんな訳で、信頼のない、むしろ不信を醸成する行動をするの、今すぐやめた方がいい行動様式ですね。
まして、そんなことをしておいて、相手を信頼して、自分も信頼されていると思い込むの、最悪と言えるでしょう。
3_2_4.知情意のコストをかけて人の話を聞いてくれる「従属している」「良い子ちゃん」相手に、自分は報いずに、都合よく食い物にしてきたのではないか
ついでに言うと、人を分ける時に、
「定型発達者か発達障害者か」
とは「別に」、
「悪い子ちゃんか良い子ちゃんか」
「従属か自由か」
という違いがある訳です(もちろん他にももっとある)。
ある人が、人の話を聞いてやれる親切さと、言動の誠実さを重んじる「良い子ちゃん」だった場合、信頼がない一見さん相手でも、素直に答えてあげることがよくあるんですよね。
そして、そういう「良い子ちゃん」であり、かつ、自由に振る舞うということが出来ない、親切の徳や誠実の徳から一歩も離れられない人。という複合的なタイプが、しばしばいます。
こうなると、倫理的に正しければ正しいほど、損をする。という仕組みになります。そりゃあ皆食い物にするわな。上にも書いた、よくあるあれです。
(この手の「従属している良い子ちゃん」が自由に目覚めた場合、今まで都合良く自分を食い物にしてきた周囲に全ギレして、「自由な悪い子ちゃん」になることがよくあります。
当然、周囲は、その人を恥ずかしげもなく袋叩きにします。もちろん、その人は心底ブチ切れて徹底抗戦する。田畑の肥やしにするほどよくある話だが、実に不毛な話だ)
恐ろしいのは、袋叩きにしている周囲の中に、我々発達障害者がいる。ということです。
今まで相手の意図を、相手の外形的な発言や、自分の能力がどうのこうのとは別に、要するに読まなかった。
やりたいことをやれないようにした。得られるべき得を得られなくさせた。
残念ながら、まあ、アウトでしょうね。
う、ウワー! ものすごく認めたくない! だが、そういうことになっちゃうんだよな。
あーもう。そういうのメチャクチャ嫌だぞ。ナントカならないのか?
(続く)