随筆(2020/5/27):キツイ勉強をなぜやるか(5)偽物の虚構と、真正な真実の虚構
3_4.数学みたいに説明の上でメチャクチャ役に立つ虚構
虚構が真実の素材となることも、もちろんよくあるんですよ。
そういう、一風変わった、特殊な虚構と戯れなければならない局面も、多々ある。
例えば、数学の諸概念は基本的には虚構的対象だが、現実の物理世界の説明にメチャクチャ便利な道具だ。
それは、かなり長い間、現実の物理世界の説明のための虚構だった。
今では、その中に秘められた、深遠なる説明力を、さらに解き明かすことに、一部の数学者や理論物理学者は熱を上げているところだ。
より解明された数学で、現実の物理世界の、より深遠なる説明が可能になるかも知れない。
だとしたら、それには、とてつもない値打ちがある。
ただでさえ、現実の物理世界は、未だに分からないことまみれだ。
例えば、多くの力を含む素粒子の理論と、重力と密接に関わる時空間の理論は、未だに整合的ではない。
ここを整合させるために、一部の理論物理学者は頑張っている。
だから、分かれば分かるほど、理論物理学者は猛烈に嬉しいし、数学の解明がそれに効いてくるかもしれないとなれば、それはかなり有難い訳だ。
3_5.願望や倫理道徳や世俗世間の人間の真実を描いたコンテンツは、価値観にかかわる、価値のある虚構だ
また、自分の狭い認知を揺さぶってくれる戯れや。
世俗世間のいろんな側面の妙味を、何らかの形で心地よく伝えて教えてくれる物語や。
自分を現実世界に踏みとどまらせてくれる、良かった頃の追憶や。
架空の偉業を成し遂げ、自分を勇気づけてくれる、なりきりのアバターや。
何らかの形で自分を励ましてくれる、他のNPCなどのキャラクターが。
自分に肯定的なものをもたらして、広い現実世界でも羽ばたけるようにしてくれることは、多々ある。
(先日電子漫画版が完結した日下一郎の"Final Re:Quest"も、要はそういう話なんですよね)
AVでよく言われることだが、作中の超現実的な架空の願望の真似をして、現実に愚行をする人たちがいる。
ダメですよ。それらの話は、真正な真実の願望の話かもしれないが、だとしたら真正な真実の願望の話として受け止めるべきものだ。
平たく言って、それらは、何ら真正な真実の技能や態度を説明する話ではない。
真正な真実の技能や態度の説明の話は、真正な真実の技能や態度を表現・描写したコンテンツから習得せねばならない。
それは、ふつう、そういう教本になる。やっていきましょう。
で、これと同じように、何らかの真正な真実の肯定的な価値を表現・描写したコンテンツから、真正な真実の肯定的な価値を受け取ることは、これは当然ある。
特に、何らかの倫理道徳にかかわる話や、世俗世間の人間の真実にかかわる話の場合。
これは、おそらく、AVを真に受ける人とは比べ物にならないほど多い。
それらは、人間の脳内に埋まっている価値観を強化するか、眠っている価値観を目覚めさせる。
人間は、感性において肯定的な、何らかの価値を好む。
そしてそれらはしばしば快楽やその延長線上の願望という形を取り、あるいは倫理道徳という形や、世俗世間の人間の真実という形を取る。
願望は個人のものであり、どんなに頑張っても同好の士の間でしか通らないが、倫理道徳はこれより大幅な普遍性がある。世俗世間の人間の真実は、さらに世俗世間レベルでの普遍性を持つ。
つまりは、より肯定されている。
そりゃあ、これをもりもりと摂取したがるの、かなり当たり前ですよ。
3_6.そうではなく、単に自分をメチャクチャにする虚構もある
でも。
自分が戯れている虚構が。
数学の諸概念とは違い、広義の現実や真実や表現や虚構の、謎や秘密について、何も説明せず。
今まで書いてきたように、ダンプカーを前にして紙屑ほどの力も示せないくせに、自分をごまかして否定して、人々に自分を見捨てさせるなら。
自分を弄んで裏切って破滅させようとする、そういう虚構。
まあ、「偽物」と言いたくもなりますよ。
そういう偽物を振りかざすやつら、誰でもいいからぶっ殺したくなるんです。
(注:読み返していると、内容的に複数の話が混在していたので、翌日複数に分割しました。ごめんなさい。こちらは分割された前半です)
(ということで続きます。何だこれは。無茶苦茶やっとんな)