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日記(2021/6/11):デカいヤマが終わった後、どうしようと途方に暮れるのも、人生の味わいのうち

1.公の仕事でデカいヤマが終わった

公私ともに、ここしばらくずーっとやっていたデカいヤマが終わり、腑抜けになっています。

言うて公の仕事は常に何かしらあるもので、最近も二つデカいヤマが増えた。それらをやればええねん。腑抜けになってる暇なんかないぞ。

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ただ、

「定型業務」routine tasks(開錠施錠、点灯消灯等)

「非定型相互業務」(nonroutine) interactive tasks(接客応対等)

「非定型分析業務」(nonroutine) analytic tasks(統計・企画立案・計画実施・任務遂行等)

「非定型手仕事業務」(nonroutine) manual tasks((私の場合、分析業務ではあるが、基本的になんかあったら魔法や手品をたくさん使うことになる)専門技術によるパソコン作業)

これらは(他にももっとあるし、多分業界的にはもっとしっくりくる呼び方があるはず)当然全部違う仕事で、使う脳の回路も違うんです。

(以下はこの手の記事)

(さらに学術記事)

https://economics.mit.edu/files/11574

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あと、上とは考え方が違うが、こういうのもありうる。

「訓練」(EXCELマクロやプログラミングで仕事効率を上げているので、パソコンや数学の本を、半ば仕事で読んでいることがよくある。みんなで訓練をやる場合は防災訓練みたいなナアナアになりがち)

「繁忙期業務」(10日・20日・月末の会計処理や、特定の月の特有の作業等。直観的にはルーチンとは言い難いが、長期的に見るとルーチンと同一視出来る)

「異常時運用」(ある日突然サーバが故障したりCOVID-19が多数発生したりすると、その対応をしなければならない)

「保守」(終わった後で仕事体制のお守りをする)

「例外処理」(何かヘマをこいた後で、メッされることも含めて、事態を収拾に導く)

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今、COVID-19で、もちろん異常時運用は常に迫られている(異常時を常に迫られているの、キツいことです)

増えた案件は、一つは繁忙期業務で、もう一つは非定型分析業務、特に企画立案・計画実施です。

oh...割とこれは三面六臂で忙しいのではなかろうか…(まあやらんという選択肢はないんだけどな)

2.私事だがPythonプログラミングによるGraphviz支援プログラムの作成が完全に終わったっぽい

前回書いたのですが、PythonプログラミングによるGraphviz支援プログラムを、ずーっと作っていたのです。

5日前に一旦完成を見た、と言いたいところだったのですが、既存の実作業用データを読ませると、出るわ出るわバグの群れ。

これを叩き潰しているうちに、ようやく一通りの実作業用データが全部処理済になりました。おそらくこれならプログラムは実用に耐えるし、道具だけでなく成果物もこうしてここにある。オレはやったぜ!

3.それはいいが腑抜けになった

で、公私ともにデカいヤマを乗り切った結果、腑抜けになっています。

困った。

どう過ごせば一番ベネ(善い)なエッセ(生活)になる?

4.まずは回復最優先で寝る

もちろん最初にやるべきことは、回復最優先で寝ることです。

今は自覚がないんだけど、飯食っても味が分からなくなってきているのは、かなり危ない徴候であると言えるでしょう。

バナナゼリーを食って、家族と「これはメロンゼリーかな」「いやマンゴーゼリーじゃない?」と会話しているの、だいぶ終わっている会話だよなあ。

(ちなみにワクチンは既に2本打ってるもんで、COVID-19の可能性はとても低いと思います。

だとしたら、感覚神経がなんかやられているのではないか。それもストレスや疲労のせいで。と疑う訳です)

俺も(家族も)皆疲れ果てている。キッチリ休もう。とりあえず今晩は早起きとかせずにガッチリ寝よう。夜中起きたら二度寝。宜しいね。俺。

5.それから先のことは…

それから先のことは、また後で考えましょう。

とにかく、

「余力がないなら粥のような快楽を追い求める」(多分県内でダラダラとスーパー銭湯宿泊一人旅をやる可能性が高い)

「余力がちょっと出てきたら、やりたいことをもりもりとやる」(こればかりはその時にならないと思いつかないので分からない)

「余力があれば、人生で進めておきたい段取りを切り崩す」(この前のpythonプログラミングによるGraphvizプログラムもその一環であり、まだ先にやるべきことがたくさんある)

これで行きましょう。

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誰しも、やりたい目的があり、そのための道具として自分を焼きつぶすところがある(特大主語)。

だが、完全な道具などというものは、ふつう存在しない。

様々な事情を離れて、機能だけ欲しい、というの、まず不可能だ。

例えば、平たく言えば、道具は保守(メンテナンス)しないと故障するし、故障したらもっと使える道具に買い替える(あるのなら。たいてい、なかったりする)修理しなきゃならんのですよね。そこはちゃんとしなきゃならん。

特に、たいていは、道具を使うのも、仕事をお願いするのも、自分自身だ。

主体や顧客としての自分自身が、完全な道具な訳がないではないか。

じゃあ、

「解決すべき問題はあるし、それをやらないと困り果てる。

だが、当の困り果てている自分は、単なる早解きの道具ではない。

問題を解決したら楽だろうが、だからって自分が完全な早解きの道具となるよう焼きつぶすと、幸せを感じる能力はどんどん死んでいく。

そうじゃなくて、時々は、早解き前の、様々な人生のうま味のあることをやろう。

ぼんやりしたり、休んだり、遊んだりしよう。

それが退行だというのなら、退行、すればよいではないか」

というところに、時々は立ち返らなければならないのだろう。

***

近いうちに、休むぞー。うおー(やる気が鼻から腑抜けていくような声で)

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