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随筆(2020/12/31):今年の感謝を込めて、年末のご挨拶

1.ご挨拶

本日(2020/12/31)、新型コロナウイルス感染症、COVID-19禍による、激動の2020年が、終わろうとしています。
周囲を見ても、皆、良く耐え抜いて来たな、と思います。大なり小なり誰も彼もがだいぶ参ってはいますが…(もちろん私もそうです)

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COVID-19ワクチンが、ようやく世界的にポツポツと運用開始になったので、効果と安全性に確証が持てるようになったら、来年こそはこれが日本でも安定的に運用出来る様になれば、これは大変有難いな、と思います。
保健所の者なので、俺もテキパキ打とう。何なら治験に参加してもいいくらい。
来年はもう少し防疫上マシになっていればいいですね。

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経済活動もまた復興しないと、誰も食えなくなっちゃうし、餓死か自殺が多発してしまう。
食いつめた大学生ならまだしも(私も経験がある)、自営業や会社員や社長が、こういうのになるの、まともな状態からは程遠い。
経済活動の復興は、非常に強く望まれる。
とはいえ、営業主体は猛烈に減ったし、そうなってからだいぶ長期間ブランクがあるから、かなり難しいところもあるでしょう。
復興、大丈夫かな…当面、補助輪として、控除や助成金がたくさんいるはずだが…
それに、金はともかく(もちろん金は多分潤沢にはないが、そういう話とはまた別に)、人の問題があるからな…営業主体が心身ともに「営業するぞ。自転車を漕ぐぞ」となるレベルにまで原状回復しないと、どうにもならんところがあるもんな…

2.色々考える

以下、長文(いつものことですが)

私も保健所の者なので、色々考えるんですよ。

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医療機関にしてみれば、病死も過労死も困るに決まってる。
だからって、飲食業界や宿泊業界を食いつめさせて、餓死や自殺していても知らんぷりすることを、保健所の者がやりたい訳がない。

保健所にとっては、医療機関も飲食業界も宿泊業界も、住民であれば大事な顧客だ。
各方面が出来るだけ困らないように、手抜かりがないように腐心するし、ダメだったらメッされるのが仕事だ。
だから、ある程度は、バランス感覚、要はどっちつかずみたいなことを、やらざるを得ない。

「保健所の奴らは、「最初からここの業界にはババ引いてもらう」みたいな話を、「やむを得ない」みたいなふざけた面してやってやがる」
と思われているのだとしたら、それは完全に見当外れです。

嫌に決まってますよ。
当たり前じゃないですか。

電話回線と窓口が、憤怒の顧客への応対で、課長、次長、場合によっては所長レベルで麻痺することがあって。
(最後のパターンについては説明しません。「御言葉は拝聴しました」とだけ)
通常業務が全くスムーズに行かなくなって、ボンボコ書類が積み上がって行って、無理してやって、どんどん消耗して、保たなくなって。
嬉しい訳、あるか?

どこの業界でもそうでしょうが、避けたいですよ。こんなの。

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政府は、特に現代では特に、再分配屋としての仕事をせなならん。
なので、概ねどこの業界も、食える程度や事業が回る程度やお釣りが来る程度に稼いで、政府に税を取られて、事業を回すのに不足があるところは政府がとっておいた控除や助成金で回す仕組みになっている。

だからどこの業界もしばしば控除や助成金まみれになる。
が、これはなんと再分配の成功を意味している。

絶対にそう認識できない人がいることは百も承知だ。
だがそれは、かなり特殊な感性に基づく、平たく言えば綺麗事の価値観による、ある種の認知バイアスに過ぎない。
再分配とは、ふつう、税を集めて、適正なところに補填することだ。
上の話は露骨にそれである。いくら何でも流石にこれを「違う」とは言えまい。

「そんなものがない方がクリーンだ」?
即身仏崇拝の一種だろうか。
そういう審美的価値観、やめろ。
死ぬんだぞ。人が。

だから、ましてや、「稼ぐな」も、「控除も助成金も打ち切る」も、本来は政府が業界相手に言うこととしては、まるっきり真逆なんですよ。
それを政府や業界がせねばならなくなったとしたら、そりゃあ政府は渋るし、業界も決死の抵抗をするんですよ。
低くない確率で、業界は餓死か自殺で死ぬんだから。
(政府のことはさておきます)

***

「先の見えないまま藻掻いて消耗して死ぬ」覚悟。
「我々は辛く生き汚く生きるが、そちらは死ね」という覚悟。
「なんか理由さえあればいいとばかりに、自分たち以外の誰かに、干されて殺される」覚悟。
そういうの、あるか?

その手の覚悟、
「あってもいい」かもしれないし、
「あれば何らかの支えになる」かもしれないし、
そういう意味では「あれば役に立つ」かもしれないが、
「あって当たり前」とまで強いうるものか?

そうではない。
そんな覚悟が、自明であってはならない。

3.今年の自分を振り返る

世間的にはCOVID-19だったのです。
が、私はとにかく、非常の、つまりは猛烈に気を張るパソコン仕事が、一年以上途切れなく続いており、それに忙殺されていました。

だいたいこんな感じですね。

去年11月~1月:MicrosoftがWindows7のサポートを打ち切るので職場の全パソコンのWindows10への乗り換えを行う(職場の人数分の半分くらい。たいへん)

1月~2月:Windows10アップグレードで使えなくなるソフトがいくつかあったのでその対応も行う(たいへん)

2月~5月:保健所として新型コロナウイルス感染症応対を果てしなくやる(そもそもこの時期は私の業務の繁忙期であるため超絶忙しかった)

5月~9月:Windows10アップグレードで使えなくなるシステムがいくつかあったのでその対応も行う(超たいへん。本庁本課や業者の皆様にはご迷惑をおかけしました)

9月:こういう時に限って保健所のサーバが故障したので移行(この辺で俺も故障してきた)

9月~10月(の今週まで):新型コロナウイルス感染症のため統計のルールに影響が出たので取り直す(ゾンビみたいな状態でひたすらやっていた)

11月〜12月:パソコンが一台要るという要求があり、初期設定まで漕ぎ着ける

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少し休んでは、その間は疲労の極致で、肩で息をして喘いでいて、完全に腑抜けになってましたね。

それはいいのですが、体に大きな反動が来て、腰痛になったり、胃痛になったりして、かなり厳しいものがありました。
睡眠障害に至っては、もうずっとそうです。これでは回復速度は期待できない。どんどん疲労が蓄積していく。アカン。

4.自分へのご褒美を、断固やっていきましょう

あまりにも保たないので、3泊4日温泉宿逗留一人旅を、しかも2回キメました。

「他の人が働いているのに、俺だけこんなことしてていいのか」
という俺の中での抵抗はものすごかったのですが、
「言うて、このままだと壊れますよ。前職で壊れた時は、その後の十年は実に無残だっただろう。
それをもう一回やれる? やりたくないよね? トラウマだよね? 強い強い生理的嫌悪感があるよね?」
と、俺の中の声が言うので、強行しました。

やって思ったけど、絶対に必要だった。
あれらがなければ、今こうしてnote書けてるかどうか。
それどころか、またダウンして、このタイミングで休職して、職場に穴を開けて、大顰蹙ではなかっただろうか。

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皆様にも申し上げますが、時々、全ての都合をうっちゃって、3泊4日の一人旅をするの、大事ですよ。

1泊2日では何も回復しないだろう。
そんなんなら自宅で寝ていた方が楽な場合もふつうにありうる。
現に、そういう旅は何度かあった。

2泊3日でも、回復はしてはいるものの、何らその有難味を実感できずに、
「仕事でしばらく保つ」
以外の何のメリットもなく、
「こんな人生、やっとれんわ」
とサツバツとしたまま働き続けることになるだろう。

やはり、3泊4日かけて、回復を実感して、
「ああ、人生はまだ、やってられる、旨味のあるものだ。じゃあ、真面目に、やってみましょうかね」
となるのが、一番大事なんだ。

5.他人へのご褒美は、他人のニーズの通りに提供しましょう。そうでないご褒美を、善意やサプライズでやるのは、とにかく避けましょう

これは、家族サービス旅行とは、また「別に」必要なことです。

***

家族にはいつもお世話をかけているし、なんか旅行をプレゼントしたい気持ちはある。

が、それが各自のスケジュールを拘束するようでは話にならないし、旅先での行動を拘束するようでは、家族がたまらない。
こんなことは論外だ。

***

「えっ? 善意でやっているからいいのではないか?
折角の何かしてあげたい気持ちにケチつけやがって。人の善意も有難く受け取れない、善意が理解できない、なんかの動物か?
おもてなしをするからには、きちんとおもてなしを受けろっての。勝手に動くな。スケジュールも行動も拘束されて当たり前やないか。
は? ニーズに合致していないサービスが困るのは基本中の基本? 押し売りをやめろ?
サービスしてもらっておきながら、何文句言ってやがるんだこいつら。こんな盗人猛々しいやつらに、もうサービスしたくねえ」

そういうのやめろ。
ちゃんと、「相手のニーズに沿った」サービスをしろ。
配慮コストや労力コストを払って一定量のサービスを成果としてもたらす前に、方向性が適切かは「最初に」考えねばならない。
それをせずに払ったコスト、ただのドブだ。
誰も慰めちゃくれないだろう。バカにしか見えないから(私もバカにされたのでよく分かる)

「距離は正しいが方位までは知れない」?
それ、ただの迷子じゃん。
何かに翻弄されてしまって、自分でも何がなんだか分かってないのに何かやるの、世間的にはクレイジーなんですよ。

たとえ善意に翻弄されているのであっても、そこら辺は何ら話は変わらない。
相手のニーズに合わなければ、あるいは事後的に相手のなんかの評価軸に触れなければ、少なくとも肯定はされない。
当たり前やないか。自分のお気持ちは相手のお気持ちではない。自分の善意が相手にとって善きことだという保証なんか、何もないんだよな。
それは本来、相手に確認すれば、ある程度は分かるんだが、してないんだよな。じゃあ、ダメですよ。そんなの。

「自分の善意を伝える」
ということは、
「相手の共感能力を抜け道として、相手の感情を、自分の価値観通りに、何らかの状態に書き換える。
平たく言うと褒められたい。そして自分はいい気持ちになりたい」
ということなどではない。
もし、自分の期待の中に、そういうところが少しでもあるなら、その期待はとんだお門違いだ。
それは何ら、出来て当たり前のことではない。異常な要求だ。暴力的であるとすら言える。

***

とにかく善意の押し売りをやめろ。
相手のニーズを聞け。
サプライズ? 相手のニーズを蹂躙してまでやることか?
自分が相手のニーズを網羅的に弁えていて、退屈も分かっていて、それでやるなら、まあ分かる。
そもそも相手のニーズどころか、地雷すら網羅的に弁えてないだろう。じゃあ、論外でしょう。そもそも、そんなことしてるから揉めてるんじゃないか。

そこら辺が解決しない限り、相手のあることで、善意の押し売りのような家族サービス旅行とやらをするのは、やめた方がいいですよ。

自分の気持ちとして、サービスしておいて、当の相手から不愉快な返しを受けるの、メチャクチャ腹が立つでしょう。
傍から見てたら、こういう返しを受けるの、ごく当たり前なんだが、本人には分からなくなってるんですよね。

じゃあ、そこはいい。理由は理解出来なくていい。
とにかく、「実際に」揉めるパターンを、自分がやるな。

実際に揉めるパターン、ある。
それをやると、お気持ちがどうあれ、何一つ変わらず揉める。かなり高い確率でそうなる(パターンということはそういうことだ)

じゃあ、揉めた後でお気持ちの話をするのもやめろ。
無意味な言い訳にしかなっていない。

揉めている時に無意味な言い訳をするやつ、まあ嫌われますよ。
自分がこの手のことを耳にしたら、相手がバカにしか見えなくなるし、しばしば同じフルセット基本的人権人間に見えなくなるでしょう(もちろん、フルセット基本的人権人間でない人間がいる、などと思ってもらっては困るんですよ)
そういうことです。そういう一連の醜態を、自分がやらないようにしましょう。

***

私はこれをしばしば受けた側なので、恨み骨髄になっています。
誰かが善意でやったことで、相手が恨み骨髄になる。哀しいね。

だが、許すよ。

恨み骨髄の人が、恨みの源を許すの、ふつうはとてつもない苦悩の果ての話なんだよね。

もちろんそんなことはどうでもいい。自分の中の問題で、相手は自分じゃない。百も承知だ。

だが、そういうことを実際にやるのも、巻き込まれるのも、こっちはもう真っ平御免なんだ。
もう二度とやらないでね。

***

上の話が全部クリア出来たら、また、今度こそ本当に、「本物の」家族サービス旅行が出来るだろう。
やっていきましょう。

6.やはり、他人と一緒に自分の時間を共にしている人は、自分の時間を生きている独り身よりも、ある意味でちゃんと偉いのだなあ

3泊4日一人旅をやってて、
「俺は実にのびのびとやりたいことをやっているなあ」
と、つくづく思いましたね。

もちろん仕事ではそうじゃないですよ。
だが、職場から休日がもらえて、家族から自分のやりたいようにガッツリ休ませてもらえるということは、それ自体猛烈に有難い話だ。

で、宿で、カップルや家族連れを見る訳ですよ。
「世のカップルや家族たちは、窮屈な気遣いをし合っていて、本当に偉いなあ」
本当に自分のことしか考えてない、鬼のような感想ですが、率直にそんなことを思ってしまったのですね。

もちろん、それらは窮屈な気遣いなどではない。
その手の気遣いは、円滑な人間関係のために、非常に必要とされることだ。
これが当たり前のように飲み込めなきゃならない。

気遣いそのものは本当に立派なことだが、どうあれお互い途方もなく窮屈に見える。独り身の不徳となすところだ。
それでも付き合って気遣いをすると決めた彼らを、どうして独り身の私が、とやかく言えようか。

***

365日の労働から自分を守るための、3泊4日、数回分の、自分の時間は、絶対に譲渡できない。
これを譲渡しろという他人とは、パートナーシップも家族も、やってられない。

パートナーシップや家族は、個人の犠牲の上に成り立っている。
それはいい。そういうものだ。

だが一線を超えて強いるのをやめろ。
それをやったら、俺はもう俺じゃなくなる。
「自分の同類と認められるだけの精神はあるが、自分に都合の悪い他者としての精神を持たない」
そういう相手を要するに必要としている人と、付き合いたくないんだよ。
人間の他者の精神を、一体何だと思っているのだろうか。ふざけるなと言いたい。
そういう人は、俺じゃない、ゾンビめいた、ロボットめいたなんか誰かと、付き合っていてほしいのです。

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だが。
自分の時間を大事に生きていて、他人に自分の生きている時間を共有しない、開かない。
そうなると、どうなるか。
心がどんどん冷たく渇いて閉じていくんですよ。

死ぬ瞬間まで
「俺は何にも信じて無えよ」
と心の底から言い切って、死ぬ。
そこに熱も、含むべき水気もない。冷たい沼が、自分を呑み込んでいるだけだ。

他人の熱く瑞々しい生き生きとした心に触れていると、自分の中の熱さや瑞々しさはやはり生き生きと湧き出て来る。
呼吸のように出来ているはずのそのやり方を、一人に慣れると、知らないまま、あるいは忘れて、一生を過ごすことになるんですよ。

それで大丈夫ならいいけど、一人で生きていけるほどの強さを保っていられるほど、人は若くは在り続けられないからな。
いつか、大人になり、支え合うことが要請されてしまう。
それを、見なかったことにしたまま、生きて行けるか。

***

社会は「その場限りの簡易決済」を多数用意していて、それはそれでもちろん便利だ。それさえあれば当面は生きていけるだろう。
でも、長期でやっていくなら、固定的な人間関係がどうしたって生じて来るし、その都度要るだろう。
支え合う誰かが。例えば、家族や仲間や、先輩後輩や、パートナーが。

そういうのを諦めるのは大いに結構だ。
だが、口で「要らない」というのに、振る舞いで「欲しい」というの、よくないですよ。
自分は一人のつもりかも知れないが、実際にはそのようには振る舞えていない。
当然、周囲は混乱するし、そのうち自分に反感を抱くようになる。そういうの避けた方がいいですよ。本当に。

***

いつか、本当に、
「同類や他者のために、自分の時間を手放すことも、社交や処世のうちだ。
今の体力気力の量ならば、それは生活を破壊しないで済む」
と心の底から思えたならば。

また、パートナーシップや家族、真剣に考えられる日が来るであろう。
パートナーシップや家族、やっていきましょうかね。

***

やはり、他人と一緒に自分の時間を共にしている人は、自分の時間を生きている独り身よりも、ある意味でちゃんと偉いのだなあ。
そんなことを殊勝にも思いましたね。(自分で自分のことを「殊勝」とか、よくも抜け抜けと抜かしよんなコイツ)
まあ、俺もそうなれるように頑張ろう。これが来年の抱負だということにしてもいい。やるぞ!

7.それでは、あとわずかですが、よいお年を

それでは、あとわずかですが、よいお年を。

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