日記(2020/11/7):親戚からのお見合いアドバイスを傾聴したりした(3.「自分が巨大になればなるほど怪物の影に見えるので人は逃げる」問題)
3.3.2.「自分が巨大になればなるほど怪物の影に見えるので人は逃げる」問題
3.3.2.1.人の願いを聞き届けると、怪物になるし、怪物の影を見ただけで人は逃げるようになる
よくある、しかしまずいパターンかある。
人の願いを聞き届けて、それを達成するために無限に鍛えて、己の才能や風格がどんどん巨大になる。
そうなればなるほど、己は、要するに、人間離れしていく。怪物になる。
自分の中の怪物が、人の願いで大きくなること自体は、悪いとは言わない。それはむしろ大したことだ。俺はよしとしたい。
だが、人に、
「こいつは怪物だ。怖い。
ある日なんか襲われるのではないか。
そしてそれは自分にはその理由は理解不能になっているのではないか。
その前に使い潰してブッ壊そう。
何かあったら即ケツまくってありったけの石をぶつけながら逃げよう」
という風に扱われると、正直、
「なんだァ? てめェ……」
とは、そりゃあなりますよ。
使い潰そうとしたら、そりゃあ高確率で逆襲されるに決まっとるのだが、そういうことは彼らには理解不能になってしまったらしい。
ええー。急に知能が低下したが如く振る舞って、しかも人に実害をもたらすの、やめてほしい。としか言えなくないっスか…?
***
「人に何かしてあげるということは、見返りを求めてやることではない」
という話をここで持って来たがる人、いる。
高説はごもっともであるが、それをこのタイミングで言うと、完全に盗人猛々しくなるぞ。
「これは見返りを求めるべきシチュエーションではない。
私は見返りを払いたくない。
そんな損をしたくない。
得だけ取りたい」
と主張したいからこそ、こんな綺麗事を言っているのではないか?
少なくとも、状況的にそう受け取られてしまうし、抗弁するのはとてつもなく難しくなっていることだろう。そういうことになってしまっている訳だ。
自分の言っていることの外形的な意味を、果たしてどのように考えているのだろうか…?
平たく言えば、これ、言い訳で言ってませんか…?
言い訳で言ってるなら(外形的にこれを言い訳でないと言い張るのはとても困難だし、何なら本当に言い訳だったりする)、やめといた方がいいですよ。
それは、とてつもなく、みっともないことだから。
身内以外の信頼、ガリガリ失いますよ。キツイことです。
何なら、身内からも見捨てられる。これは、相当、キツイ。
3.3.2.2.「怪物が人を襲うのではないか」と恐れられても、実際に「怪物が人に逆襲する」ことをしたらダメだ
とはいえ、ここで、踏みとどまらなければならない。大事な話がある。
人のために怪物になって、却って脅威として恐れられるのはともかく、人に逆襲する、恐れられている通りの怪物になるのは、これはもう話にならない。
それだけは、自分の中の怪物が「なんだァ? てめェ……」となって、その猛威で人をスナック感覚で唐竹割りするようになる前に、何としても防がねばならない。
あいつらの恐怖を、負の願望を、認知バイアスを、しかも自分が損をしてまで、かなえてやる義務、ある訳がないんであるが…?
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こちらのサービスのツケをノシつけて返させるのはいい。得の経済だ。それは、自分から切り離せない忌々しい呪いを、やがて薄い粥のように癒やしていく。
こちらの被害のツケをノシつけて味わってもらうのは、損の経済だ。しかも、自分から切り離せない忌々しい呪いが、やがてヘドロのように蓄積していく。
その呪いは、蚊に刺された痕を引っ掻くような気持ちよさをもたらすだろうが、それだけだ。
***
それに、これにはとんでもない腹立たしい罠がある。治りきった艷やかで綺麗な肌の持ち主を見ると、絶望で腸が煮えくり返るようになるのだ。
ここまで来ると、それは痒みではなく、常に激痛になる。
痒みを引っ掻く快楽のためなら、痒みは耐えられる。
でも、激痛は耐えられない。
人は気持ちよがりである以上に、痛がりだ。痛みに弱いんだ。まして、激痛には、もう藁の楯のように脆い。
それに耐える? 無理ですよ。ふつうは。
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もちろん、そういう綺麗に治りきった肌の人たち、たくさんいる訳だ。
それに、彼らは自分ではなくて他人であるから、自分では彼らとの遭遇を避けられない。
いつか、かなり高い頻度でやって来る、しかも不要不急の激痛に怯えて、この先ずーっと生きてくのか? 嫌に決まってるが…?
3.3.2.3.そもそも、怪物の影を見せなければよいのだ
そして、もう一つ。
怪物と思わせない工夫によって、この手のデメリットは大幅に下がる。
要は、怪物の影は、隠せばいい訳だ。
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ある程度怪物になると、そちらの課題をもこなさなければならなくなるんですね。
面倒ですよ。もちろん。
でも、割と慣れる。
これによって食らうストレスは、やる前はとにかく忌々しいけれども、やり終える頃にはもうヘラヘラニコニコとやっていけているはずだ。
腸は煮えくり返ってるかもしれないが、これをやると、やらないときより、メリットが得られやすくなるからね。
本来得られるべきなのに得られなかったメリットが、然るべき様に得られるの、腸が清々しい気持ちになりますよ。
そういうしっくりと報われることをして、溜飲を下げつつ、やっていく。
そのうち、少なくとも、「自分の生活を破壊されない程度に、問題や問題児を飼いならす、問題に対処出来るあしらい方を手に入れる」くらいまでには、問題や面倒な対処とは「和解」出来ているはずだ。
***
(ちなみにこの「和解」とは「自分の生活を破壊されない程度に飼いならす、問題に対処出来るあしらい方を手に入れる」程度の意味しかありません)
(それ、「和解」っていうのかなあ。表面上は平和ではあるけれど、問題解決とは言い難いが…)
(問題はふつう「たたかう」「まもる」「にげる」のいずれかで対処する。
これらの対処全てが問題解決に他ならない。
「たたかう」にこだわるのは、そういう闘争心大爆発ストロングスタイルの人の「たたかう」一点集中のストロングなスタイルに過ぎない。
出来ればそりゃあ強いし、問題も物理的に減らせるが、皆さん別にアントニオ猪木やその流れの人ではないでしょう。
そもそも「問題を減らしきってなくせる」というシチュエーション自体が、かなり珍しい、恵まれたものだ。
有難いことだが、ふつうは、そうでは、ない。
だから、まもったりにげたりすりゃええねん。それも立派な対処法だ。
技が使えることは大したことですよ。
「技をわざわざ使わなくても強いからいいのだ」?
技のなさを誇るために、そういう理屈を弄するの、捻くれてるし、小賢しいから、やめた方がいいように思うが…)
3.3.2.4.「自分が巨大になればなるほど怪物の影に見えるので人は逃げる」問題まとめ
自分が怪物であり、人を襲うかもしれない、と疑われることは、やむを得ない。
実際には怪物が人に逆襲してはならない。
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ノシはプラスの形でツケさせるべきで、マイナスの形でツケてはいけない。
マイナスが膨れ上がったら、今の苦痛は膨れ上がり、しかもそれを引っ掻いた時の快楽は膨れ上がらないので、ただただ辛いだけになり、辛いままくたばる。論外だ。
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こんなことを、「君は悪くないよ。それは正しい怒りだ」と言いながら、人に勧めてくるやつ、いる。
それは、自分がこうなって激痛のまま死ぬしかなくなったので、せめて出来るだけ無関係面した世間を巻き添えにしたいか、あるいは身勝手に道連れを求めているか、どちらかのパターンだったりする。
それか、他人が炎上するのが超楽しいから無責任に燃やして、その時に浄財と称して財産を巻き上げて、「これは聖戦の軍資金である」とうそぶいているか、このいずれかであろう。
何でそんな人たちのために、俺が、あなたが、人間松明にならねばならんのか…?
ふざけるな。嫌な事だ。そんな切羽詰まった状況に、巻き込まれたくなんかねえぞ。本当に何考えてやがる。
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とにかく、俺は人のためにやっていくことを余儀なくされて、そのノシをプラスでノシつけて返して欲しいんです。
そのために、オーラが怪物の影でなければいい、というのなら、それはナンボでもそうしてやる。
誰が損なんかしてやるものか。
***
「卑しい」?
「損をしたくない」というのが「卑しい」なら、「多少は盗まれても鷹揚としている」というのが「尊さ」なら、それは確かに尊いよ。よく分かるよ。
が、「貧すれば鈍する」というかなり強い傾向が、世間にはある訳です。
じゃあ、相手から財やサービスを吐き出させる、つまり相手を貧しくしている側が、言っていいことではないでしょう。そういうことをしていながら、相手を「卑しい」と罵るとは、一体何事ですか。ダメでしょう。どう見ても。
***
え?
「悪者扱いするな」?
そうね。そりゃあ、粗略に扱われる、つまりは人間扱いされないの、嫌ですよね。
だが、じゃあ、こっちも粗略に扱うな。人間として扱ってくれよ。
運用上、実際には、「粗略に扱って良く、人間として扱わなくて良い」ということだぞ。「卑しい」という非難は。
実はそれは分かっているのではないか? 分かっていながらなおやっている? その土俵にいる限り、自分も同じ土俵で泥濘に塗れるしかなくないですか?
自分は綺麗な清流から、産業廃水をドブドブぶちまけて下流をドブ川にして良いのである。そして自分は産業廃水を飲む謂れはない。などという話、通る訳ないやろ。
産業廃水を飲まされたくなかったら、そもそも自分が産業廃水をドブドブぶちまけるなよな。
穢れを押し付けながら、自分は綺麗でいようという姿勢、実に穢らわしいものである。
という話、当然避けられなくなる。
当たり前の話じゃないんですか。こんなもん。
***
あと、ふと思い出したけど。
世の中には、自分を大きく見せたい人が、いる。
自分が大きくないうちは、これもやむを得ない。
だが、大きくなったら、それはもうやめた方がいいですよ。
大きく見られると、それは怪物の影になるので、ものすごく損をしますよ。メチャクチャ腹立たしくなるよ。
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あと、自分の大きさを信じて投資して下さった皆さんには、後でちゃんとノシつけて報いなければなりませんよ。そこは大事。
これをしない盗人が、信頼を保つことは、非常に難しい。
ある日、
「全然報われとらんやんけ! 要は裏切られとるやんけ!」
とブチ切れた支援者に、ノシつけて裏切られる。これは怖い。大抵は損害も大きいし、取り返せない。
(というか、不正にガメていた分を「取り返された」のだ。と外形的には判断される。これに抗弁することは、ふつうかなり難しいだろう)
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それに、これでは自分は正当には評価されない。
それでは自分は安心してその評価を受けられない。そんなものは砂上の楼閣に過ぎない。何をどう褒められても不安になる。
それに、これが明るみに出たら、相手もそんな評価を捧げたくないし、盗人猛々しく受け取られたくもない。あなたは見捨てられる。
という話に、結局は戻ってきてしまうんです。
4.つまりは、どうすればよいのか
ということで、叔父叔母にアドバイスされたことは、お見合いにおける印象の話がメインでした。
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・自分の良さは適正な形でアピールしろ。読み解かせるコストを相手に強いている時点でマズイ
・ポジティブでキラキラしたものは魅力的であり、そうして人格や人生や将来の夢は、アピールに効く
・自分「が」見られているのだから、自分とかけ離れた良さのアピールをしてはならない
・責任感があり信頼関係を築ける男性は、女性からは概ね評価が高い
・結婚において共同生活(共に生きていくこと)が本質的に大事であるのは確かだ
・が、共同生活は本番環境の話であり、覚悟が要ることである
・共同生活や、さらにその先の生活組織運営や、新メンバー(子供)受容の話を、お見合いの時点で口にする人、鬱陶しく思われる可能性がかなりある
・ポジティブでキラキラしたものの話を、迫り来るおっかないものにしてはならない。そういう怪物の影は見せてはならない
・人の願いをまともに聞いていたら、人間離れした巨大な怪物になってしまうし、怪物の影を見たら人は薄情にも逃げる。だが、つまりは、怪物の影を見せなければよい
・自分を大きく見せるクセがもしあるなら、怪物の影の問題については悪く働くので、やめる
・それに、自分を大きく見せる誇張癖のある男性に、女性は評価など捧げたくない
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だいたいこのような知見が得られたのでした。
ありがとうございました。たいへん学びがありました。
***
そんな訳で。
またこれからも婚活の再開だ。
やっていきましょう。