創作メモ(2020/7/26):クズエルフ山脈シリーズ(二:葛廻流風山脈での宴(一))
(これまでのあらすじ)
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「そこだけ天からわずかに日の差す広場。
三つの天幕(てんまく)が、 中央のやや大きな竈(かまど)を囲む。
竈の周りには、葛廻流風(くずえるふ)のうら若き女性三人と、案内役の紐男(ひもお)がいた。
「と、いう訳で。ようこそ、葛廻流風の群(むれ)へ」
彼らは我々に深々とお辞儀(おじぎ)をした。
「こんにちは。私は和羅(かずら)という者です。彼は藤原(ふじわら)。よろしく」
てきぱきとお辞儀を返す先輩に釣られ、俺も同じくらい深々と頭を下げた。
「お兄ちゃん、この人たち? 群の昔話が知りたいって人たちは」
「ああ、そうだよ。御役人方でもないのに、わざわざ遠いところから来たんだそうだ」
「そうなんだ。じゃあ、婆っちゃんに挨拶するの?」
「そうそう。そんな訳で、和羅さん、藤原さん、こちらへどうぞ」
そう言いながら、紐男はついでに言い加えた。
「私の祖母は、群の長老たちの一人なんで、そこはうまくやってください」
おっと、と思った。
話が早いのは良いことだが、心の準備は全く出来ていない。
先輩は手慣れたもので、紐男の案内で天幕の一つに向かっている。
「失礼します。紐男です。御客様方がお二人いらっしゃいます。よろしいですか」
「どおぞお」
ややかすれた老婆の声が、天幕の奥から聞こえてくる。
「藤原君、君もだ」
「あ、はい」
天幕の入り口を潜り抜けた。
***
中には、小柄な老婆が、葛籠(つづら)の上に、椅子のように腰かけていた。
おそらくは葛(くず)の蔦(つた)の三つ編みがいっぱい垂れ下がった、冠(かんむり)とも鬘(かつら)ともつかぬものをかぶっていた。
何やら、白湯をすすりながら、菓子らしきものを食べていたようだった。
「こんにちは。私は和羅という者です」
「私は藤原と申します」
「儂(わし)は産霊女(むすびめ)じゃ。ようおいでなすったのお」
「この度は、ご協力戴きまして、誠に」
「まあまあ、硬い話は抜きにせんか。あの、やたら話の長い、面倒臭い御役人方めいて、肩が凝ってしまうわい。あんたらは、あれかえ、肩は凝らんのかえ」
紐男とはまた別の、やたらくだけた口調の、 産霊女というおばば様は、自分の冗談が琴線(きんせん)に触れたらしく、ひゃっひゃっひゃ、と笑った。
「この子は紐男じゃ。五人いる孫の一番上での。
おう、そこに葛餅(くずもち)があるじゃろう。まだ三人分残っとるじゃろう。他のは若い娘たちが食ってしまったんじゃな。
ええと、和羅さん、藤原さん、紐男、食べんか? 葛湯(くずゆ)もあるでよお」
おそらくは葛餅を作った後の金物(かなもの)の鍋と、中に葛湯の入った竹筒と、皿代わりの割った竹筒があった。
金物の鍋は、よくある類のものだった。おそらく麓(ふもと)の村(むら)から買ったか、「借りた」かしたものだろう。
どうやって手に入れたかについては、あえて目をつぶることにした。
紐男から伝えられた、おそらくは客人向けの掟(おきて)、「余所者が、善し悪しの考え方について、上から目線でとやかく言わない」というやつに触れるからだ。
竹筒は、昔どこかで見たことのある文様が刻まれている。
確か万武廻流風(ばんぶえるふ)のものだ。
おそらくはこちらはちゃんとした交易品なのだろう。
「では、有難く、戴きます」
「戴きます」
素朴な味わいの葛餅と葛湯を、ゆっくりと戴いた。
「砂糖はやたら高いでよ。葛餅や葛湯のために買っておくんじゃがな。そろそろ足らん。紐男、また近々買ってきておくれ。ちゃんとした店にしかないんじゃろう」
「うん」
紐男は短く返した。その生返事が、不思議と彼を幼く見せた。
「有難うございます。御近付きの標(しるし)に、これを差し上げます」
「お。これは! 砂糖かえ! 丁度良かった。助かりますのう。
これは…この細かさと、うっすらとした黄色。和三盆(わさんぼん)というやつかえ。ずいぶんとお高いやつじゃろ。一度しか食うたことないわい。
一気に食うたら、皆、頭が嬉しゅうて阿呆(あほう)になってしまう。これは、この夏、大事に大事に使うでよ。
紐男、買い物のついでは無しじゃ。良かったのう。
いやはや、和羅さん、こちらこそ、どういたしましてえ」
先輩はこういうところが手際良かった。
紐男も、ほお、と感嘆の声を上げていた。
***
「昔はな。昔話をするぞ。いいかや」
産霊女が、やたら意気込んで喋り始めた。
てきぱきと話が進むのは、こちらとしても有難いことであった。
「昔、広い領(しま)を誇る、後葛城氏(ごかつらぎし)という軍閥(ぶけ)がおった。
元々は、千年都(ちとせのみやこ)の君主政権(ちょうてい)が、何度目かの仲違い(なかたがい)で割れたじゃろ。
後に、覇権(はけん)を握っていた、時の千年都の軍事政権(ばくふ)、いわゆる花御所(はなごしょ)が、これを調停(てうち)した。
そうして、貴族(くげ)も軍閥も仕切って、政(まつりごと)を丸ごと握るようになったんじゃ。
じゃが、その肝心の軍事政権が、後にやはり仲違いで割れての。軍閥を仕切ることが出来なくなってしまったんじゃな。
しかも、軍事政権が仲違いで割れるまでは、太平の世(たいへいのよ)がもたらされようとしていたから、人が増えたじゃろ。
そんな折に、凶作(きょうさく)が続いた。どこもかしこも、当然、山も麓も、食べ物がなくなったんじゃな。
人が増えて、食べ物がなくなり、軍事政権が軍閥を仕切れなくなったら、どうなるか。
あちこちで、戦(いくさ)が起こったのじゃ」
どうも、紐男に限らず、この産霊女も、随分と喋りたがりのようだった。
学界の通説と合っているところもあれば、聞いたことのない話もあった。
少なくとも、当時の人口増加と凶作については、ひょっとしたら歴史学者の方が詳しいのかもしれないが、俺は不勉強にして知らなかった。
学問をやると、近い分野のやっていることが見えていない、ということは、しばしばあるからな。そういうことなのかもしれない。恥ずかしながら。
後で確認するが、もしこれが本当なら、今後我々も押さえておくべき事柄だろうな。
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「後葛城氏もそういう軍閥で、当然なんじゃが、戦に明け暮れておった。
たまたま、この、葛廻流風山脈(くずえるふさんみゃく)の麓と、少しだけ、山の中にまで、陣を敷くことがあってな。
当時の領主(おやかたさま)、葛城氏綱公(かつらぎうじつなこう)は、まあ話の分かる名君じゃった。
けして群に乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)を働かぬよう、兵にきつくお達しをしてくれたんじゃ。
しかも、儂らの御先祖様方(ごせんぞさまがた)に、戦で味方して、山に入った敵を撹乱(かくらん)すれば、武器を融通(ゆうづう)してくれるというから、大したもんじゃ。
まあ、金物は重たいし、錆びるんで、そのうち御先祖様方が、もっと山に向いた戦い方を工夫したんじゃな。
何せ、ここには葛も藤もたくさんある。これを使えば、藁(わら)で出来ることはある程度出来る。逆に、藁に出来ないこともな。
そのうち、皮(かわ)の代わりもできるようになった。
当時は甲(よろい)は、基本的には皮で胴を守る胴丸(どうまる)だったんじゃったが、藤を油に浸けて干して、そこな紐男が身を包んでいるような藤甲(とうこう)にした。
軽くて丈夫で便利な代物(しろもの)じゃよ。
油が出回るようになったんで、こういうことが出来るようになったんじゃな。
金物の代わりは石じゃ。平べったく伸ばしたりは出来んから、甲には使えんが、攻めることを考えるなら、弓矢の代わりは投石(いんじ)でやれる。
沢や河原に、石が沢山(たくさん)転がっている訳じゃ。そこで、紐を使って、近付いて来た敵に、何人かで石を雨霰(あめあられ)とばかりに投げ飛ばすんじゃ。まず負けることはなかったそうな。
それと、やはり、投げ槍(なげやり)じゃな。
敵が槍(やり)などの長物(ながもの)を落とすじゃろ。これを拾って、束ねた紐で引っ掛けて、石のように投げるんじゃ。
落とし物に頼らねばならんから、そこは困るが、うまく当てれば一撃必殺だったそうじゃ。
山の外では、投げ槍を使うやつがそもそもいないらしくてな。これが知れ渡って、かなり恐れられたらしいの。
儂らは実物は見たことがないが、虎(とら)とかいう、熊よりも恐ろしい獣がいるらしいの。それをも一撃必殺で斃せる(たおせる)、ということで、阿虎獲(あとらとる)、と呼ばれたようじゃ。
紐の形にコツがあるんじゃが、まあ、こればかりは投石と同じで、コツを掴まなければ使いこなせん。御先祖様にとっては大事な技じゃった。
後は、麓で足りないものを買い付けて、補って、これで山では敵なしじゃった」
語り口に弁士(べんし)のような熱が入っており、また大変実りのある話ばかりだった。特に、藤甲や投げ槍に関しては、国内で他に似た事例がないため、非常に貴重な証言であった。
我々はひたすら手帖(てちょう)に鉛筆(えんぴつ)で書き殴り、書き損じを字消し(じけし)で消し、さらに書き殴った。
鉛筆の有難みを感じると共に、字消しの質の悪さに閉口した。舶来品(はくらいひん)だともう少しましなのかも知れないが、まあ贅沢(ぜいたく)は言ってられない。
***
「戦で何度か味方しているうちに、軍事政権が別の軍閥のものになった。
後葛城氏は、長江戸(ながえど)の軍事政権、いわゆる得川(えがわ)に味方して、博打(ばくち)に勝ったんじゃな。
後葛城氏は、長年の味方の、儂らの御先祖様方を、忘れてはおらなんだ。それで、便宜を図ってもらったんじゃ。
毎年、葛餅を献上すれば、後は何をやっても構わない。何かあったら、後葛城氏が後楯(けつもち)をしてくれる。という、気ままなもんじゃった。
麓の村からは、いろいろ文句もあったと聞く。
じゃが、元はと言えば、麓じゃ防ぎ切れん敵を、山で防ぎ切ったんじゃからな。
むしろ、感謝の一つや二つはあってしかるべきじゃろう」
確かに、あらかじめ麓の村で、そのような話は聞いていた。
幾度となく葛廻流風たちに盗みを働かれていたが、後葛城氏はあくまで、昔の軍役(ぐんえき)の恩返しだと言って、訴え(うったえ)を退け続けていたようだ。
(再統一国家(ひのもと)の御役人方、何とかしてくれねえかなあ。もう、後葛城氏の時代でもないだろ)
村人たちが、実に嫌そうな顔でそう言っていたのを、どうしても思い出してしまう。
そりゃあ、村人たちには、葛廻流風たちの理屈は分からないだろう。説明しても伝わるかどうかというと、まず無理だろうな、と今でも思う。
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「しかし。
千年都の君主政権と反得川の軍閥同盟が、得川を軍事政権から引きずり下ろした。
その後、君主政権は、軍閥や軍事政権に頼らず、むしろ軍閥の力を果てしなく削っていって、上からの改革(うえからのかいかく)とやらをやっていく風に変わった。
今の再統一国家じゃな。
後葛城氏も落ちぶれた。軍閥は解散させられ、最後の領主の葛城氏苗公(かつらぎうじなわこう)は、でかい屋敷を与えられ、楽隠居。
まあ、再統一国家に飼い馴らされた訳じゃな。再統一国家、ようやるわい。おっかないのう。
そんな訳で、今の葛城地区(かつらぎちく)の御役人方では、約束事なんぞは、もう誰も知らんようなんじゃな。誰も味方してくれん。
氏苗公が隠居してから、もう一世代経つ。そうなるともう、誰も彼もが何もかも忘れ去りつつある。困ったもんじゃ」
今では息子の葛城氏晴(かつらぎうじはる)が、当主、ということになるのだろうか。
貿易会社を経営していたらしいが、この前倒産して多額の負債を抱えたとのことで、新聞に載っていたはずだ。
流石に、その時は、その話をあえてする気にはなれなかった。どうあっても気まずくなるだろう。せっかく気持ちよく喋ってもらっている最中に、話の腰を折るような下手な相槌(あいづち)は避けたかった。
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そこで、不意に、産霊女の語り口が、我々の方に向いた。
「だからこそ、あんたらみたいな、古いことを調べる学者先生が来とるんじゃろ。
あんたらが御役人方に伝えてくれるかどうかは分からんし、御役人方が、自分たちは後葛城氏とは違うから知らん、と言い出したらそこまでじゃがなあ。
ともかく、そういう話は遺して(のこして)おいてもらわんと、御役人方も、そんな話は知らん、としか言わんに決まっとるのだし、それじゃあ何にも話にならんからのう」
先輩や俺の背筋が、すっと伸びた。
そう。我々は学者だ。
葛城地区の役人、葛廻流風の群、どちらの味方でもない。
というか、誰の味方でもない。
が、だからこそ、意味のある、真実により近い話を、出来るだけ遺しておかねばならない。
少なくとも、現実の話のほとんどは、そこからしか成り立たないだろう。
何かをやるにせよ、反対するにせよ、関わり合いにならないにせよ、全部同じことだ。
もちろん、その結果に、何らかの政府ないし反政府の色を、この手で足すことは出来ない。
たいてい、民俗学は、中央と地方との関わりの話が、抜き難く出てくる。今回の話も当然そうだ。
で、元から、中央に対する何らかの態度は、濃淡はあれ、含まれているものだ。
我々としては、「これはこういう色付きであることに注意されたい。そう言った注意書き以外の件で、我々は結果に手を加えることを良しとしない」としか言えないではないか。
我々は、真実の意味や、現実の意味に近づくために、学問をやっているのだ。
善意の愛国心だの、善意の革命精神だのは、政治運動家に任せておこうと思うのだ。
今、千年都大学(ちとせのみやこだいがく)で、政府に反発する政治運動家が、百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)めいて暗躍していることは、俺だって当然百も承知だ。
だがな。我々は、政府や、政治運動家に研究を妨害されない限り、こうした情報戦に、一切与したくないんだ。
その誇りをもって、学者をやっているんだ。そういうことなんだ。そこは俺は忘れてはいけないんだ。俺は学者なんだ…
…何の話だっけ。
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ああ、再統一国家が成って、後葛城氏が落ちぶれた話だったな。
ええと、それから、何だっけな…
そうそう、思い出した。こういう話もあったんだった。
「そういうしているうちに、長江戸は新成都(あらたなるみやこ)と改称(かいしょう)させられた。
君主政権は、軍事政権を、名実共に潰すために、親征(しんせい)を兼ねて首都移転した。
千年都から、新成都へ。
ここらはあんたらが詳しいじゃろ。千年都の人なんじゃろ」
突然、その手の話までもをこっちに振られて来て、先輩も俺もだいぶどぎまぎしたよ。
意表を突かれた、と言っていい。
産霊女は、そんな我々を見て、少し意地悪そうに笑った。
山の外のやつらが、顔色を変えながら黙っているのが、おそらくは彼女の愉しみなのだろう。
基本的に、我々は、葛城地区の役人たちに与(くみ)する謂れ(いわれ)はないんだよ。
だが、変な話だが、少しだけそこは、葛城地区の役人たちに、同情した。
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「再統一国家は詳しい地図を作りたいようじゃな。
確かに、縄張り(なわばり)で揉めはするわいな。
そういう時に、縄張りがはっきりしている地図があれば、話はだいぶ簡単じゃろ。
そこは、まあ、分かるんじゃよ。
だが、それは、土地でも水でも何でも、入り組んだ掟の通りにやりたい、麓の村の連中の考えそうなことなんじゃよな。
要するに、儂らは納得しておらん。
で、今の葛城地区の御役人方は、一国一城の主であった後葛城氏ではなく、要は、再統一国家の、ただの代官(だいかん)なんじゃろう。
その彼らが、約束事を最初から知らないだけではなく、儂らを放っておいてもくれんのじゃな。
とにかく、あいつら、儂らの都合はさておいて、あいつら自身の話を押し通すために、愚にもつかない長話を、延々と続けるから、嫌なんじゃよ。
もし、あいつらが、儂らの根負けするところを待っているんなら、つまりはここで音を上げたら負けじゃ。際限なく後ろへ引き下がらなければならなくなる。
そういう姿勢で臨む(のぞむ)など、実に卑しいやつらじゃのう」
聞いている俺にも、少し、分かったような気がした。
紐男や産霊女が長広舌(ちょうこうぜつ)を振るうのは、愚にもつかない長話を延々と続ける役人と渡り合うため、気がついたら自分もこうなってしまっていた、ということもあるのだろう。
単に、昔話が大好きだ、というだけではない。
誰しも、愚痴や悪口が大好きだ、というよくある話でも、もちろんない。
そう考えると、少し辛く(つらく)なって来た。
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そんな俺の気持ちとは裏腹に、産霊女は実に晴れやかな顔になっていた。
「いやあ、久々に喋った喋った。清々(せいせい)した。
こういう話をな、若い娘たちは嫌うんじゃよ。黴臭い(かびくさい)と言ってな。
昔話、楽しいのう。聞いてくれる上に、和三盆までもらえるなんて、実に有難いことじゃあ」
「いえいえ。大変学びがありました。こちらこそ有難うございました」
「まあ、後は、紐男と、若い娘たちしかおらんが、話をしてやってくれんか。
特に、若い娘たちは、山の群や麓の村以外の人と話すのは久しぶりなんじゃ。よろしくなあ」
「はい。有難うございました。それでは、またしばらく、お邪魔します」
先輩は深々とお辞儀をした。
この時点で、長老への印象は、かなり良さそうだった。
これなら、その後の聞き取りも、大変に捗る(はかどる)だろう。
後に、俺はこの甘い見通しを、心底後悔することになるのだった。」
(続く)
(注意:俺は昼仕事持ちの軟弱者なので、今後は主に土日に更新になります。(何だそれは。そんなんありか)
平日はまた別の記事を書くことになると思います。よろしく)
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