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随筆(2020/6/29):人間関係のかなり初歩としての、「人を悪者にしない、バカにしない」(3)仲良しグループ等の人間関係をやる時に、道具扱いを避ける

4_4.「こいつは無価値で不要なゴミである」という扱いをするということは、「自分はまずは道具の世界の世界観で生きている住人である」という宣言として機能してしまう

え?
「他人をゴミ扱いしても、今こうして現に報復をされたことがないから、別に許されている、という話にしかならないのでは」?
「報復されない工夫をすれば、特には殺されないのだから、やっていいってことじゃん」?
「少なくとも、目の前のこいつは、抵抗してこない。だから、その手の脅し、ちゃんちゃらおかしい」?

一個、大きく気を付けた方がいいことがあります。
誰かを「使えねー」っつって扱う人を見ていると、どうも自分が「周囲から一目置かれて、安泰な地位を認めてもらえている」と思っている節がある。

だが、もっとありそうな話があります。
何か。

「こいつ、使えるか、使えないか、という世界で生きているのか。なるほど。『まずは道具の世界の世界観で生きている住人』なんだな。
よし。こいつが優秀なら、『優秀な道具』として『使い倒そう』。
『まずは道具の世界で生きてる』やつが、まさか嫌とは言わないと思うが…
え? 『他の世界』で生きる?
無理だろう? だからこそ『道具の世界で甘んじている』のではないか。

こいつ自体が『そういう扱いをすることが許されている世界』を、『あるがままに肯定して、その中で生きているやつ』だ。
じゃあ、そこから出られる能力も意図も、基本持たないと考える。
つまり、『その世界の枠内で、その世界観の理屈で、使い倒し放題』ということだ。
『使い潰れたらどうする』? そりゃあ、『無価値で不要になった』ら、『邪魔なんでコナゴナに砕いて捨てる』よ? そういう世界だもん。当たり前じゃないですか。
そこはこの人がそもそも自分の口で言うとるんやからな。よもやケツまくろうとは言うまい。
まあ、ケツまくっても、こちらは知ったこっちゃないし、断固やるんだけどなブヘヘヘヘ」

マズイ時には周囲の複数人や、もっとマズイ時には特に偉い人に、こう思われてる可能性の方が、圧倒的に高い。
これは、もちろん、ものすごく、マズイ。

4_5.「自分はまずは道具の世界の世界観で生きている住人である」と宣言した人を、周囲は「その世界観に従って、道具として扱ってよい」と思っている

この、他人に対して、「使える」「使えない」という観点で扱う態度ですけど、これ、そもそもが、「道具の世界」の話なんですよ。
自分がその話を前面に押し出すのなら、周囲だって
「ああ、こいつは、まずは道具の世界の世界観で生きている住人なんだな」
としか思わないでしょう。そりゃそうだ。当たり前だ。
だから、
「道具の世界の世界観に従って、道具として扱ってよい。
そういう世界で生きているつもりなのだろうから、まあ最終的には飲む話やろ」

ということをされる。
さっき自分が振るった理屈を、今度は自分が振るわれるのだ。まあ、イヤでしょうよ。

4_6.「こいつは優秀だが、道具である」という扱いもしない。それは搾取や暴行陵虐の理屈に容易に化けるし、そんなのを褒め言葉としては受け取れない

そんな訳で、「こいつは優秀だが、道具である」という扱いもしない。
これは、「無価値で不要なゴミ扱いしない」ということに並ぶほど、大事な要だ。

そもそも、「優秀な道具扱い」というやつ自体、搾取や暴行陵虐の理屈として、ゴミ扱い以上に頻繁に使われているやつだ。

何で「頻繁に」使われるかというと、「優秀な道具」「壊れる」までは「何度でも」使えるからです。
つまり? その間、「優秀な道具扱い」を盾に、搾取や暴行陵虐は、される。と考えるべきだ。
当然、その間、ずっと苦しむ。ということです。

「ゴミ」邪魔なんでコナゴナに砕いて捨てられるから、一回の、精々コナゴナに砕かれる手間数回分の仕打ちで済む。
(もちろん、死の苦痛に通じることだし、それはとてつもない苦痛なのだが)

「『使い潰れたらどうする』? そりゃあ、『無価値で不要になった』ら、『邪魔なんでコナゴナに砕いて捨てる』よ? そういう世界だもん。当たり前じゃないですか」

こういう話になる。菜種か何かか?
(菜種粕は飼料になるからまだマシと言いたくなる人もいるかも知れないが、そういうこっちゃねえんだよ)

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***

だから、「優秀な道具扱い」も、実は避けた方がいい。

これを言う人、下手すると褒め言葉として言ってる可能性があるけど、何ら褒め言葉じゃないからな。

「あなたのことを、しゃぶり尽くして壊れるまでは、何度でも使い潰してよい、それほどの利用価値と利便性と耐久性のある道具だと思っているよ。
これからも末永く使われて下さい。もちろんそれは私の都合であなたが使われるという意味です。あなたの事情など知ったことではない。役目でしょ。じゃー、頑張ってね(ニッコリ)」

というの、お話にならねえ。
やるかやらないかこちらが決めることだ。これこそが、主体ということの要なんだから。
させることを最初から当然の前提のように考えるなよな。そういうところだぞ。

***

これ、

「自分を使い潰していつかゴミとしてコナゴナに砕いて捨てる脅威」

として、

「自分が消耗する前に、先手打って殺して、自分に手出しが出来ないようになって、ようやく自分は安心して眠れる」

とふつうに判断されるからね。
こんなことで先手打って殺されるの、あんまりだよ。

(続く)


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