随筆(2020/10/15):社交や遊びに真剣になるのはいいが、効果や効率を持ち込まない方がいいですよ。モノ扱いだから。ガチ勢の悪いところだ
1.ガチ勢はみんなを置いていき、みんなに置いていかれる
仕事するにも、勉強するにも、遊ぶにも。
真面目に真剣にひたすらやる、効果と効率を重視する、ガチ勢というのは、いる。
ガチ勢は、ふつうにやっている人たちからは、「あいつらはなんか違う」と言われがちだ。
んで、よくあることだが、ふつうの人たちからは、浮く。
例えば仕事で言えば、一緒に仕事してもらえなくなるし、何でもかんでも任されて、誰も助けてくれなかったりする。これでは困る。
2.遊びのガチ勢も、同じ問題を抱えている
また、より困るのが、遊びにおいて、
「こいつらと遊んでいても、何も楽しくない」
と思われることだ。
もちろんガチ勢はガチ勢じゃない人に対してこう思っていることだろうが、
「仲間とキャッキャ遊んで、一緒に泥んこになって笑い合いたい」
人たちと、
「勝敗や評価がある場合、そういうゲームなんだから、上手くやり、勝ちたい。
キャッキャウフフ泥んこワーイ?
勝手にすればよろしいが、こちらの勝敗や評価を巻き込んで下げるのをやめろ」
という人たちは、まあ棲み分けした方が揉め事は少ないであろう。
(最近見た『ゲーミングお嬢様』だと、格ゲーでこの手の話をしていた。
あと『スプラトゥーン』もよくこの話が散見されるよな)
もちろん前者を駆逐したら最後、ほとんどの場合は前者は初心者であり、要するにそのジャンルは初心者に敵対的である訳で、ジャンルは枯れる。よくあるあれだ。
3.シューティングゲームの衰退
昔私が好きだった、今は両手挙げては評価しない、いわゆるシューティングゲームのジャンルも、ある程度はそういうところがあったし、やはり一時期に比べて猛烈に衰退している。
90年代、
「シューティングゲームは衰退した」
と言われて、ゲームセンターでタイトーやケイブやライジングやセイブ開発やビデオシステムや彩京のシューティングゲームを遊んでいた私は正直ピンと来てなくて、
「ということは、ゆうめいシリーズ『グラディウス』や”R-TYPE”や、ゆうめいメーカー東亜プランがあった頃は、これより盛況だったのか。そんな時代もあったのだなあ」
と呑気に考えていた。
今、ゲームセンター、行ってますか?
私は最近行く機会がありまして。
シューティングゲーム、確かにあるよ。
でも、誰も遊んでへん。
少なくともその椅子の周りをたむろするシューターがいないくらいには。
遊んでいたのは私だけだ。唖然としましたね。
まあ、
「90年代より、さらに衰退している。少なくともゲームセンターでは」
とは、同意もしたくなっちゃいますね。
(そもそもゲームセンター自体が衰退してきているということなので、ここら辺は慎重であるべきだが)
4.シューティングゲームのガチ勢も、同じ問題を抱えている
というか、本当に正直に言うが、
「シューティングゲームはあたまのおかしいきもちわるいガチ勢のやるもの」
という印象は、未だに強いと思うよ。薄々は分かっているだろう。
かつては
「シューティングゲームは楽しいカッコイイもの」
だっただろう。
今でもそうだと思いたいですよ。私は思うもん。
でも、上の印象の方が、下の印象よりも、対外的にはかなり強く効いている。という皮膚感覚がありますよ。残念ながら。
(まあ、シューティングゲームのことは、この際例として出しただけなので、シューティングゲームをここから起死回生ホームランに持っていきたい、みたいな夢みたいな話をしようなどとは思っていません)
5.効果的に効率的に遊ぶだけではなく、みんなで生(なま)の感情をオープンにして、楽しく遊びましょう
効果的に効率的に遊ぶだけではなく、楽しく遊べるようにしないと、誰もあなたと遊んでくれなくなる。
「それは接待プレイではないか。なぜそんなことをやらねばならない」?
遊びで接待の出来ない、生(なま)の歓待の姿勢がない人が、瑞々しく傷つきやすい、心の繊細な部分を開き合った、距離の近い人間関係をやるのは、まあかなり難しいでしょう。
遊びって、生(なま)の感情を引き起こして、その感情を開き合うことで、共感なり雰囲気なり触れ合いなり会話なりに繋げて、そこから心を通わせていく、社交の大事なチャンネルともなりうるものだ。そういう側面もあるのだ。
効果とか、効率とか、そういうので心を扱うの、実験心理学ならまあいいでしょう。
だが、立ち位置を加味した社交では、それはヒト扱いではない、モノ扱いに直ちに堕する。
そこは本当に避けましょう。相手は撃墜数の星の勲章ではない。
社交ということを考えると、効果だけ狙って効率一辺倒でやるより、一緒に楽しく遊んだ方が、人は楽しいのだ。
遊びは楽しいんだから。少なくとも、それが楽しめる人たちの間では。
もちろん効果的に楽しくやれるとよりよいのだが、そこはいきなり突き詰めるべきところではない。宿題とします。
効果や効率を相手に突きつけず、一緒に楽しく遊んでみましょう。
そういうことを、やっていきましょう。
(いじょうです)