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共同通信社の「それは失敗と言いまーす」報道から、ネット言論の典型的課題を書き出してみる

ロケット打ち上げ「中止」に対し、記者会見で共同通信の記者が「失敗」に誘導しようとしたとして批判を浴びている。
この件、「ネット言論の典型的課題が複数まとまって現れているのではないか」となんとなく思ったので、自分のための脳内整理として、そのパターンとは何かを書き出してみたい。

このnoteを書くことによって自分の考えが整理できたら嬉しい。
誰かの気づきになったらより嬉しい。

課題1: 複数の議題をひとまとめにしちゃって、議論を混乱させる

今回のニュース、少なくとも3つ以上の議題に分けられ、本来はそれぞれ別の問題として議論されるものだと思う。

  1. ロケットが打ち上げられなかったことは「失敗」なのか「中止」なのか

  2. 共同通信記者が記者でありながら、記者会見で「失敗」と言う発言をさせるよう誘導したのは問題ではないのか

  3. 共同通信記者の態度がなんかムカつくんですけど

こうして分けてみると、「実はリソースをかけて優先度高く正解を導き出す必要はないな」とか「意見を統一する必要はなくて個人レベルでSNSにそれぞれが呟いてりゃいいな」とか、もちろん「これは日本の将来のためにちゃんと議論するべきだ」などに気付ける。
(※個人的には、今回の件って炎上させてまで議論するほどでもないように思った)

ネットの議論では、複数の議題を一つにまとめてしまいがちだ。今回の場合、「共同通信記者の態度が悪い」ことと「ロケットの発射が失敗なのか中止なのか」は別の議題なのだが、
「いやロケットの発射は失敗ですよね」と誰かが言おうものなら、あのムカつく共同通信記者の肩をもつのか!となってしまう。これでは本来するべき議論が進められず、結果、解決策や改善施策に辿り着きづらくなる。

解決策や改善施策に辿り着きづらくなる理由はもう一つある。
複数の議論を強引にまとめられた上で検討された解決策は、問題を解決することはできるかもしれないが、その煽りでマイナスの影響を受ける人が増えることが多いのだ。
広告でクレームがつくと少数であっても広告を下ろす例でもわかるように、今の世の中は嫌われたら負けのリスク回避重視優先の世界だ。マイナスの影響を受ける人が多い解決策や改善施策は、実施まで行きづらい。議論はするが何も実施できない解決策が生まれるだけ、になりやすい。

今回の件を本当に問題だと思い、本当に解決改善したいのなら、面倒であっても、議題を細分化し、それぞれの議題に対して議論する必要があるだろう。

課題2: 「なんか気に食わない」人がミスした時に批判が加速する

今回、共同通信とその記者が批判を浴びている。既にまともな議論ができるレベルを超えているように思う。なぜここまで強めの批判を浴びたのか。

某コムロさんや、ゆたぼんさんのように、世間からとにかく批判される人がいる。そういう人が生まれるパターンはこうだ。

  1. なんか以前からモヤっとした思いを抱いていた人や企業(やその家族)がいる

  2. その人が、小さなことでも、法や一般常識に反する何かを起こした

  3. 「やっぱり!こいつはダメなやつだと思ってたんだ!」

今回強く共同通信を批判している人たちは、おそらく共同通信や既存メディアに対して、以前から何かしらの批判的な思いを抱いていた人たちではないだろうか。複数の調査で示されているように、人は誰かの起こした言動の評価を「元々好きだった」「元々なんか気に食わなかった」という感情に影響されて下してしまいがちだ。つまり主観・感情だ。

『なんか以前からモヤっとした思いを抱いていた人(や企業)が、小さなことでも、法や一般常識に反する何かを起こした』時こそ、一度落ち着くことが必要だ。そうでないと今回のように、炎上するだけで何も建設的な議論が生まれない、ということが繰り返されるだろう。

課題3: 批判されたら、解決策を検討して謝罪するより、黙ってたほうが早く世間が落ち着くので、解決策議論が進まず何も良くならないまま終わる

ネットで炎上することはよくある。だが炎上の熱量は、改善可能性と連動しない。

最近の現実として、炎上を早く沈静化させたいなら、真摯に謝るより、黙ってやり過ごした方が効率が良いようだ。炎上は、燃やされる方は辛いものだから、解決策を検討して謝罪するより、黙ってたほうが早く沈静化するなら、黙ってやり過ごす方を選ぶ人や企業もいるだろう。

責めている方も、本気で課題を認識して解決させるのが目的で炎上させてる人なんてごく少数なので、他に話題が発生したら、今回の件なんてすぐ忘れてしまうだろう。その結果、今回の件も1日2日盛り上がっただけで何も解決せずに終わるだろう。

今回の件、世の中を良くすることにつなげたいと本気で思って声を上げているなら、継続して能動的に声を上げ続ける必要がある。そしてもし共同通信が何らかの態度を示したら、反射的に批判する前に、きちんと受け止めて、内容で評価する必要もある。
そのような世界ができないと、誰も謝罪や解決策議論をしなくなってしまうだろう。

課題4: 良い議論になるチャンスがあったのに、喧嘩腰でそのチャンスを失っている

民主主義は「今ある意見が絶対の100点満点ではない」を前提に仕組みが作られている、と思う。施策や議論というのは、反対意見をぶつけてこそブラッシュアップされていくものだ。
今回の件で言うと、理想は
「中止だと思っています」「それは失敗ではないですか」「いえ、中止だと思います、中止と判断する条件は・・・」
という会話がされていれば、聞いている人の考えがまとまったり、中止と失敗を判断する条件が明確になったりして、ほんの一歩かもしれないが世の中が前進しただろう。

しかし現実はバトルモードになってしまった。
まず質問した共同通信記者がバトルモードだった。それを受けたネットユーザーもそれにつられてバトルモードになってしまった。

指摘や批判をするなら、世の中を良くするためにするのだという意識が必要だ。
それには意見を言う側にも、意見を受ける側にも、「寛容」が求められる。
…自分と異なる考えに触れた時って、イラっとすることありますよね。わかります。気持ちはわかります。それでも「寛容」は必要なのです。
寛容は優しさではなく、建設的な議論をするための絶対条件なのだ。

最後に:これらの課題は「ネット」だから起きたことか?

最後に、ほぼ感想レベルのことを雑になるが書いておきたい。

今回、「ネット言論の典型的課題」を書いた。が思うのは、これらの課題は、本当に「ネットだから」起きているのだろうか?だ。
炎上はネットで発生しているので、当然ネットユーザーが起こしているものと判断されがちだ。するとそれを改善するためには、ネットユーザーに対しネットの使い方を啓蒙しましょうということになるだろう。

しかし実際こうして課題を書き出してみると、これらの課題は教育や社会でより多くの対応をしていくべきもののように思う。「ネットの普及によって初めて生まれた課題」が少ないように思われるからだ。
日本に議会があり、会社に会議があり、人間に他人とコミュニケーションしたい欲求がある限り、ネットであるなしに関係なく、議論をするために何が必要なのかは全員が理解しておいた方が良いと思う。

だからと言って、だからネットは何もしなくていいんでーすということではない。議論の場を提供しているという理由で、議論を健全化するための責任から逃れられるものではないだろう。

…とここまで書いていてやっとわかった。自分はこの件を「なんでネットって炎上しちゃうんだろう」という視点で考えていないのだとわかった。「課題を解決するための議論に必要な条件って世間に理解されてないよね(書いてる自分もよくわかってないし)」という視点で考えようとしているのだな、と思った。

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