明日のために、を渡してくれたこと。
やることに追われていると、独り言が多くなる。
「ううーっ疲れたあ(始まる前から疲れている)」
「やるぞ、やる、できるよ」
「がんばる!がんばれ!」
「ひゃーっ!もーやんなる(なにかをこぼしたもよう)」
「よし終わったああがんばった」
家族がいてもいなくても、最近ずっとこの調子である。
役員のミーティング、マラソン大会の手伝い、制服の新調、母の誕生日、まで終えて、今から旦那に頼まれた記事を書かないといけないし、発表会と娘の誕生日とクリスマスの準備も控えている。
そして家事のすべて。旦那が多忙を極めているので、こっちは任せろ!と言いたいところだがぎりぎりだ。少しハイになってでもやりきらないとどうしようもない。
ちょっと気を抜いたら洗濯が3日くらいたまっていた。朝かけて、夜もう1回かけるか、明日にするか…。そういう時、たまに頭をよぎってくれるのが「明日のために」である。
大学生のころ、ゼミの先生が出してくれていたプリントで、書く内容は「新聞記事で気になったワード」「書評」など、就活にむけてのものだったと思う。絶対提出の課題とかではなくて、できるだけやってみて、という感じで。そのプリントのタイトルが「明日のために」だった。
何気ない言葉だと思う、どこにでもある。でも、学校のプリントのタイトルとしてあるとなんだか新鮮で、わたしには響くものとして残った。明日のために。明日の自分のために。
大学で学んだことを活かせる職業には全然つかなかったし、卒業前くらいから病んでしまったので、当時の友達(と言っていいのかどうか)とも全く切れてしまっている。親には申し訳ないけれど、何も残ってないなぁ、と思っていたけれど、あのペラ紙一枚の、なんでもない言葉が今こうしてわたしを支えてくれている。
誰に、何が、どういうふうに残るのかってわからないものだなと思う。良くも悪くもだから、怖いことでもあるけれど。こうして言葉を公開したり、娘に話をしたり、その中の何がどう作用するかはわからない。でもできるなら何か少しでも良いものとして片隅に残ってくれたらいいなと願う。
そういうわけで夜のうちに洗濯をすませて、洗い物もやって、次の日の朝気分晴れやかにスタートできるようになってきた。「持ち越し」がないことがこんなにも心を軽くしてくれるとは。無理しない、が今はできないので、倒れないラインだけ意識してかわすようにする。11月12月の繁忙期、なんとか乗り切るぞー。