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声が触れる。
あなたの「雨が閉じ込めてくれる。」が、読み返したいすてきな記事に追加されました。と通知がきていた。えっ、と思い見に行くと、とても素敵なところに自分の書いたものが並んでいる。自分の書いた記事ページにあるのともちろん同じものなんだけど、この場所からひらくと何故か少しだけ違って見えた。
私の手が離れた場所にいるんだな。そういう感じが、した。こんな風に書くとなんだか大げさだし、公開します、と押した時点でそうだっていう話ではあるんだけども。
昔インスタグラムで文章を書いていたころは、瓶につめて海に放つ手紙みたいだな、とよく思っていた。誰にも届かないかもしれない。でも、誰かに届くかもしれない。こちらはこんなところです。そちらはどうですか。
モールス信号にも似てるのかな。そんなイメージ。今このnoteでは日々の試行錯誤を体調管理的に書いているのがほとんどなのでそこまで強い意識ではなかったけれど、今ここがもしたったひとりの無人島だとしても、海の向こうにはきっと人がいるのだと、そう信じたい気持ちが私がnoteに書く理由なのだろうと思う。
書いているのは恥ずかしいくらい自分のことでしかなくて、誰かのための発信なんてできてない。それでも拾って持って帰ってくれる人がいる、そのことがこんなにも嬉しい。 冬_fuyuさんありがとうございます。私もいつも読ませてもらっていて、勝手にだけど似ているところがあるのかなって思って共にがんばろうみたいな気持ちでいます。
エッセイのタグ、つけてみようかな。今まで自分にはなんだかおこがましいような気がして(何をするにも考えすぎる)意識しつつも押せなかったのだけど。作品、とかクリエイター、とかってなってるのもそんなそんな…と思ってしまうし。でも今回少し自信と覚悟がついたので(おおげさ)、やっぱりつけてみよう。なにごとも挑戦。
文字を打つことで飛んでいった声が、自分ではない誰かに触れる。それはただ素晴らしいだけではなくて、少し怖いことでもあるだろう。でも書くことを愛して続けていく限りはこの感触を忘れないでいよう、と思う。