働けない人間の社会との接し方

以前書いた記事(新・解体するために)で『働くことで社会に還元する』云々を書きました。それについて最近はよく考えている。

社会に出てふつうに働くことが出来なさそうな私は一体全体どう還元していけるだろうか?頑張ってまた『おーえる』をやるのか?いやでも、たぶんできない。また同じことを繰り返す、そしたらどうすればいいのだろうか。とかとか。

有難いことに、わたしはなんだか詩が書けた。よい!と言ってくれる人もいた。ご縁があって詩集も出して、世の中に出回った。同じような人に届いて、なにかのきっかけになったりすれば、それは『社会への還元』になるのかもしれない。遠回りで、本当によい!のかわからないけれど。

でもまあ、それはそれとして。ほかに何ができるかしら。そう思ったときに、すごく単純に思ったことが、人に優しくしたい。だった。

わたしの父はとてもやさしい人だ。自分の知り合いの力になること、それで自分が損することがあっても気にしない。ように見える。(たまに落ち込んではいるけれど)

家族に優しいのはもちろんだけど、知り合いから知らない人にまで、すごく親切で優しい。見返りなんて求めないまっさらなやさしさ、というか。(父親っ子だから色眼鏡で見ているのかもしれないけど)だから、そんな父のように、人にしたい。父にそういう風にしてもらったから。

誰かから優しくされたら嬉しい。もしかしたら優しくされて嬉しくない人もいるかもしれないけど、それでも、小さいころから今まで、知らない人たちの知らない優しさがあって、なんとか生きながらえてきたのだから、そういう『社会への還元』の仕方もあっていいよな、と思えた。父(そして母)のおかげ、かもしれない。

まともに働けない、まっとうな方法でお返しができない。だから、そばにいる人から知らない人まで、親切に接したい。優しくしたい。感謝したい。電車で席を譲るでも、駅前で倒れた自転車を一緒に直すでも、年末に父の車を洗車するでも、母といい年こいて東京駅で手をつなぐでも、なんでもいいよ。

そういえば。出版記念個展を行った際、最後アトリエを掃除した時も、狂ったように「感謝!」を連呼して窓ふきをしてた。一緒にいたデザイナーちゃんやカメラマンくんに『シオン教』と言って笑われた。

アトリエを知り合いということで普通より安く貸していただけたこと。予想よりたくさんの人がきてくれたこと。言い出しっぺの私と一緒に設営を手伝ってくれた人がいたこと、片付けも手伝ってくれたこと。ギャラも出ないような個展に手を貸してくれた友人たちがいたこと。わざわざ足を運んでくれた人たちがいたこと。書き出すときりがないくらい、ありがとう。がいっぱいあった。今思い出しても。

会社をやめちゃうと、社会との関わり方についてすごく思い悩む。極端に人間関係が減るからなおさらなのかな。でも、本当にちょっとしたことでも、いろいろな関わり方が出来るんじゃないかなと、気を楽にしてみた年明けでした。




もうちょっと頑張れよ、とか しょうがねえ応援してやる、とか どれもこれも励みになります、がんばるぞー。