
持ってる安部公房全部読む ー水中都市・デンドロカカリヤー
前回から3週間近く開いてしまった。日記には書いていたのだが、コロナではない別の疾患で手術が必要になり、1週間ばかり入院していた。お陰様で手術も無事に終わり今は療養中、来週から仕事復帰の予定。入院中は村上春樹、谷崎潤一郎、大江健三郎、レオ・ペルッツ、アグアルーザを読んだ。今はフォークナーを読んでいる、ジョー・クリスマスが色々と拗らせてるなと思いながら。勿論それだけでは語れない人物なのだろうが。では安部公房について、今回は短編集。
2022年12月28日、水中都市・デンドロカカリヤを読む。これは初期短編11編からなる大人向け寓話集である。短編集について話す時は表題作を挙げるのがセオリーなのかとも思ったが、今回はお気に入りの『手』という1編について書こうと思う。短編集の良さとして一度に沢山の話を読めるという楽しみがあるが、その本自体ついて「どう話したらいいのか」迷うところに、いつも少しだけ困ってしまう。
この『手』という話は、かつては伝書鳩だったものによって語られ、”彼(作中で”おれ”と本人が言っているので彼と呼ぶ)”が伝書鳩だったとき、”彼”に運命を与えた”手”に出会うことから始まる。利口だった”彼”は、戦時中とても優秀な伝書鳩だった。足には英雄勲章をつけていたが、”彼”にはそんなことは関係なく、青い空と飛ぶ時の翼の感覚のたのしさ、食事のときの慌ただしさといったものしか分からなかった。やがて戦争が終わり、鳩舎には誰も来なくなり仲間と共に置き去りにされる。今までの秩序立った日常が生き延びるための無秩序に変わる。そしてそれが段々と新しい秩序になる。それに慣れたある日、”彼”の責任者だった男が戻ってくる。その時から男は”彼”の運命の”手”になる。それからの”彼”が辿る道は淡々と語られるが、それらが私の肩に静かに重くのし掛かってくる。
作中で”彼”は「おれは単純におれ自身でおれであることは出来ないのだ。簡単に言えば、おれを支えてくれる者の行為によってのみ、おれは存在しうるのだ。」と言う。それは能動的か受動的かとか、意図的か偶発的か等という問題は特に関係なく、自分を構成するものの中身は他人から与えられたものが大部分を占めているのということなのだろう。それが実際は違ったとしても、その与えられたものを受け入れて続けていると、最終的に成ったもの、それは自分と言えるのだろうか……。それはそれで楽かも知れない。ただ、自分を構成するものの大部分を自分で与えられることが出来たらいいのにとも思うが、社会的生物である私たちにとって、それはそれでまた別の苦痛があるんだろうと感じる。
この短編集の全体的なイメージとしては、ユーモア(安定の分かりづらさ)のフリをした不安が、作中の至る所に散りばめられている。それをキャッチするごとに、私が作品に対して感じている腹立たしさや胸糞の悪さが浮き彫りになって、そのせいで不安がより増してくる。そしてそれがまた更に新たな不安を……という具合に、読み終わって本を閉じるまで続く無限ループに囚われてしまう。初読の際に感じたそういうものを、今回も変わらず感じて「あぁ、安部公房を読んでいるな」と安心した。
また、元々あった何かが新しい別の何かに変形する、というのがこの短編集の一つのテーマになっているように思う。それは二段落前で述べたような、自分が自分に意味を与えて存在していると思っていても、実際は他人から意味を与えられて初めて存在しているのではないかという「自分は一体何なのか」というような問いが不安と共に湧き上がってくる。
何を言っているのかと思われそうだが、私は私個人でいられる時間が少ないと思うことがある。もちろん全て私なのだが、仕事をしている時は○○の谷崎さんである私だし、母として過ごしている時は母である私で、純粋で単純に谷崎いぬでいられる時間が少ない。それ自体に不満はないのだが、こうして考えてみると、先に挙げた鳩の”彼”の言うことが何となく分かるような気がする。他人から○○の谷崎さんや母としての私という意味を与えられて、その時の私は存在しているのだ、という様な。私の言いたいことが分かるだろうか、何となく分かってもらえるだろうか。
この短編集を読んでいると、私が普段認識している"ものの形”とは何だろうと思う。自分が認識している”ものの形”と、実際のそれには乖離があって、その上それがとんでもない乖離だった場合、一体どちらが正しいのだろう(認識している、と言うのは意味を与えていると言い換えてもらっても構わない)。そう考えていくと、私が認識している私の形が分からなくなって、どう振舞えばいいのかも分からなくなって、どんどん不安になっていく。そういう意味では非常に面白い短編集だが、ネガティヴになっているときに読むと、引っ張られてしまうので要注意である。
また闖入者という短編は、いつ読んでも物凄く胸糞が悪くなる、手汗が止まらない。是非読んでみて欲しい。
水中都市・デンドロカカリヤ/安部公房(新潮社)