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持ってる安部公房全部読む ー人間そっくりー

一昨日、石巻で開催された一箱古本市に行ってきた。本当は出店したかったのだが、入院してしまったためにしっかり準備が出来ないと思い、今年は見送った。ここにいる人たち、ジャンルは違えど皆んな本が好きなんだなと思うと、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。皆んな、普段は何処にいるんだろう。そして私が見つけられなかっただけなのかも知れないが、安部公房とは1冊も出会えなかった。やはり来年は絶対に出店するしかない。ガチガチに選書していく所存。待っててね石巻。さて、今日も安部公房。


2023年3月4日、人間そっくりを読んだ。これは再読。ある日、ラジオ番組の脚本家のところへ自称・火星人がやってくる。彼は頭がおかしい人なのか、それとも火星人そっくりの人間なのか、はたまた人間そっくりの火星人なのか。そんな彼に振り回されていく脚本家の話である。

元々この本は、早川書房から出ていた日本SFシリーズのうちの一冊である。他の安部公房作品の中でも、確かにSF色が濃いと思った。以前、第四間氷期について「SF小説として読んでも面白い」と書いたが、この人間そっくりの方がよりSFっぽい感じである。

自称・火星人の男は脚本家が隙を見せるごとに、部屋の中に、そして脚本家の心の中にまで入ってくる。本作は殆どが彼らの会話で構成されている。私たち読者はそれを延々と聞かされる。ただ、自称・火星人の言うことが二転三転して、脚本家だけでなく読者も振り回されてめまいがしてくる。何が本当で何が妄想なのかが分からなくなってくる。そして誰が誰で、自分が何者なのか分からなくなってくる。安部公房お得意の、諸々があやふやになってくるアレである。その一因として、彼らの一人称は共に”ぼく”であることが挙げられると思う。だから読んでいて余計に訳が分からなくなってくる。最初はどっちが話しているのか一応分かるには分かるのだが、段々と混乱してくるのである。この辺のよく練られた設定が、自称・火星人の存在に対して更に現実味を持たせている。

作中で”山だって、近づけば、近づくほど、全体の形はよけいに見分けにくくなるものです。”と自称・火星人は言う。作中には人間そっくりの火星人、火星人そっくりの人間がいて、両者がそっくりになればなるほど見分けがつかなくなる。見分けがつくからこそ、しっかり自分の外側に対して境界線を引くことが出来て、自分が自分でいられるしアイデンティティも成立する。誰かとそっくりになってしまえば、そして最終的に同じになってしまえば、伝えたいことも齟齬がなく100%伝わるだろうし、厄介なことも傷つくこともなくなるかも知れない。だけどそれでは味気がないだろう。誰でも、自分なのに自分じゃない生き物にはなりたくないだろうし、少なくとも私はそんな不気味な世界は御免被りたい。

最終的に、作中では自称・火星人が何者なのかは明かされない。その正体不明な存在から感じられる不気味さが、何とも気持ちが悪いのだ。


人間そっくり/安部公房(新潮社)


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