持ってる安部公房全部読む ー無関係な死・時の壁ー
療養期間も終わり、今週火曜から仕事に復帰した。落ちた筋肉と体力の影響をひしひしと感じている。
さて私は前回、短編集は読む分には楽しいけど感想を書くときに困ると言ったが、今も困っている。水中都市・デンドロカカリヤについて書き上げた後、本棚に向かって気が付いた。……次も短編集だった。どれも面白かったのだが、今回は大人しく表題作の一つ『無関係な死』について書くことにする。
2023年1月15日、無関係な死・時の壁を読み終わる。これは安部公房にしては、割とライトな理不尽さと不愉快さ、そして笑ってはいけないのについ笑ってしまうブラックユーモアが10篇収録されている。何度目かの”笑ってはいけない安部公房”開催である。全編通して読んだときに感じたのは、明からさまで分かりやすい胸糞の悪さ(例えば"闖入者/水中都市・デンドロカカリヤ収録"の様なもの)はそこまでないが、爪先からじわじわと上がってくるような居心地の悪さだった。
無関係な死は、自分の部屋に見ず知らずの人物の死体を発見した男が、それを消そうとあれこれ画策するが、段々と死体に追い詰められていく話である。これは書き出しがずるい。「客が来ていた。そろえた両足をドアのほうに向けて、うつぶせに横たわっていた。死んでいた。」これで始まる小説が面白くない訳がない。男は勿論、心当たりなどない。だから死体を観察したり、自分の部屋が今までと変わったところはないか調べたりする。特に死体については、その顎に剃り残した髭を1本発見する程に、じっくりと観察する。私は「早く警察を呼ぶべきなのでは」と一瞬思ったのだが、髭を発見した後に男が思ったことを読み、警察がどうとかは何処かに行ってしまった。
男は「死体と自分との間には何の関係もあるはずがなかった。それは確かで動かし難い事実だ。だが、身に覚えがないということは、彼(死体)の身になってみなければ分からない。事実も直接体験したものの中だけで完結してしまう。他人と共有できるものにしようとするならば、それが事実としてあるということを証明しなければならない(要約)」と思うのだ。飢餓同盟でも書いたのだが、私は自分の中にしかないものは他人にとってないものと同じだと思っている。だからそれを他人と共有するには自分の外に出さなければならない。まずそれが第一歩ではあるのだが、実際は物凄く難しいことである。まず、出していいことと出してはいけないことに分けることから始まり、その後に他人にそれをどうやって伝えるか、どう言語化するかという問題が残っている。ただ、どんな手段をとっても100%自分の思ったままを伝えられない。他人と何かを共有することの難しさよ。技術が発達し、コミュニケーションの手段も増えたのに、こればかりは上手くいかない。それを楽しめるようになれたら人として成長出来るのにと思う。
そうこうしているうちに男は、死体に追い詰められて、とうとう自分が無実であるという事実を証明するはずの大事な証拠まで消してしまった。男は自分で自分の首を絞めてしまったのだ。追っているはずが、いつの間にか追われている。この辺の居心地の悪さも安部公房文学の醍醐味である。
無関係な死・時の壁/安部公房(新潮社)
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