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持ってる安部公房全部読む ー砂の女ー

今までは本題に入るまで何やかやと書いていたが、早々に安部公房の話をする。面倒になった訳ではない。


2023年6月23日、砂の女を読む。こちらも再読。こちらは安部公房を読んだことのない人も、タイトルを聞いたことがあるのではないだろうか。みんな大好き砂の女。私が初めて読んだ安部公房作品もこの本であった。


この物語は、昆虫採集が趣味である教員の男が砂丘へ出掛けた男が帰りのバスを逃し、砂に埋もれていく家に閉じ込められる。脱出を試みるが家主の女に引き止められ、そして男の脱出を妨害し彼らの生活を上から眺める集落の人々。男は一体どうなるのか、というもの。


特筆すべきは、その砂の描写である。読んでいるだけでザラザラベタベタと身体中に纏わりついてくるあの不快な感じ。それが文字だけなのに途轍もなくリアルなのである。だから、ただ本を読んでいるだけなのに物凄く不快指数が上がってくる。男もその不快感に苛まれながら、家から必死に砂を掻き出す。しかし、掻き出せば掻き出すほど上から砂が崩れ落ちてくる。私たち読者もその不快感と終わりの見えない砂の山、それを眺める集落の人々の視線から感じる理不尽さを追体験せざるを得ない。ただ、こういう理不尽さは、経験したことがある人もいるのではなかろうか。


何かを必死にやり遂げようとするのだが、どんな方法をとっても上手くいかず、どんどん土壺に嵌っていく。そしてどうしようもないところまで落ちてしまい、この世の全ての不幸を背負った、みたいな気持ちになることすらある。これは言い過ぎかも知れないが。


この特徴的な砂は何の象徴なのだろうか、と考えたときに、私は男が言っていた”灰色の世界=自由”の象徴なのではないだろうかと思った。この灰色の世界というのは元々男が生活していた場である。作中で男は”じっさい、教師くらい妬みの虫にとりつかれた存在も珍しい”とか”生徒たちは、年々、川の水のように自分たちを乗りこえ、流れ去って行くのに、その流れの底で、教師だけが、深く埋もれた石のように、いつも取り残されていなければならないのだ”と考えたりしている。


男は妻帯者であるが、妻に”精神の性病患者”と言われ傷ついた男は、その妻にも行き先を告げず”ちょっと一人旅に出てくる”と置き手紙をしてきただけ。だがそこには肉体的・精神的自由があった。男は脱出する手段も悉く潰され、砂の家に囚われてしまう。外に出そうとすればするほどに自分を押しつぶそうとしてくる砂に苦しむ。あんなにも疎んでいた”灰色の世界=自由”への膨らみ続ける思慕に押し潰されそうになる。



そして男はある晩、家主の女や集落の人々の隙をつき脱出する。靴の先に砂が詰まり痛んでも、喉の奥が切れて苦しくても全力疾走で逃げる。男の目線の先には広大な砂丘が広がるが、そのもっと先には灰色の世界がある。だが男は罠に嵌り、集落の人々に助けを求める、砂の家に戻される。少しでもいいから外の空気が吸いたいと集落の人々に頼むが、それと引き換えにある提案をされる。だが女に激しく拒まれてしまう。それ以降は灰色の世界を忘れてしまったのだろうか、諦めてしまったのだろうか。男はもう脱出しようとはせずに、新しい希望を持つ。

そのうち女が問題に見舞われて、集落の人々と共に外へ出ていった。脱出するには絶好のチャンスだったが、男はそれをしない。最後に男が求めたのは、砂地獄から脱した先の肉体的自由ではなく、何にも邪魔をされずに希望を持つという精神的自由だったのだろうか。それは安部公房にしか分からない。


砂の女/安部公房(新潮社)



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