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持ってる安部公房全部読む ー燃えつきた地図ー

私は、日記でもTwitterでも本の話をすることが多いが、漫画も好きである。最近は、panpanyaブームが来ている。定期的に訪れる、このpanpanyaブーム。私は全巻持っている、めっちゃ好き。頭を空っぽにして読めるし、シュールで何処となくノスタルジーで大好きなのだ。絵も可愛い。じわじわ来るので、良ければ是非読んでみて欲しい。じゃあ今日も安部公房。

2023年4月2日、燃えつきた地図を読了。 燃えつきた地図は、失踪した夫を探して欲しいと言われた興信所員が、調査を進めるうちに手がかりを次々に失くしていき、そのうちに自分まで見失っていく。そして調査対象を追っていたはずなのに、いつの間にか自分が追われていく、という物語だ。

この、追っていたものが追われるものになるという構図は安部公房文学によく見られるものであるが、その中でもこれはとても読みやすかった。ちょっとしたサスペンス要素もあり、先が気になってページを捲る手が止まらなかった。特に興信所員が依頼人の弟と行動を共にする場面は、所謂"神の視点"として読んでいるにも関わらず、どうしようもない程にドキドキしてアドレナリンが出て、つい興奮してしまった。

安部公房作品を読んでいると、これは本の中の話なのか、それとも白昼夢を見ているのか分からなくなってきて、狐につままれたような気持ちになってくることがある(というか大概がそうなのだが)。この燃えつきた地図は、もしかしたら実際にあるかも知れないという妙なリアリティを感じ、他の作品よりも白昼夢を見ているような気持ちになる傾向が強い。

そうして読んでいるうちに、自分の立ち位置というものが分からなくなり、ただただ安部公房の綴る物語に翻弄されてしまい、神の視点としての自分を見失ってしまう。この辺の手腕は流石としか言い様がなく、あっぱれと言わざるを得ない。


人は誰でも、自分が自分であることを証明するための今まで歩んできた道のりと、そしてこの先を歩いていくための道標が記された地図を持っている。それと同時にその地図は、自分が自分であるための背骨というか確固たる信念、譲れないものを表している。その信念が揺らいで背骨がぐにゃぐにゃになってしまい、そうしてその地図を失くして自分を見失った時、一体誰が、そして一体何が自分が自分であることを証明してくれるんだろう、何が自分を自分たらしめてくれるのだろう。読後に、その時のことを想像してどうしようもない不安に苛まれてしまう。そして、ただ茫然と燃えつきた地図を見つめるだけの自分が、その不安の中にぼんやりと佇むのみとなる。

だからこそ、最後に興信所員がとった行動が、私にはどうしても理解し難い。自由にはなれるかも知れないが、地図のない世界に自ら足を踏み入れるなんて恐ろしくて出来ない。私は臆病な人間で、自分の確固たる信念など何もない、吹けば飛んでいくようなちっぽけな存在なのだ、と物語に引き込まれながら思うのだった。


燃えつきた地図/安部公房(新潮社)


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