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持ってる安部公房全部読む ー壁ー

「何か美味しいケーキが食べたい」と思い、今日は用事を済ませた後にタルトを食べてきた。私が選んだのは、ウィークエンドシトロン。アイスティーを飲み、ナボコフのカメラ・オブスクーラを読みながら食べた。甘酸っぱいタルトは、とても美味しかった。そして丸善に寄り、新潮2023年9月号を購入した。テロと戦時下の日記リレーの、アンドレイ・クルコフの日記を読みたかったのだ。誰かの日記を読むことが、こんなに面白いとは思わなかった。その人の過ごす毎日と、その息遣いが聞こえてくる様な気がして、もっと身近に感じられる。私も日記を書いてみたいと思った。だが、まずは安部公房だ。何せ、あと18冊分あるんだから。


2022年11月5日、壁を読んだ。この作品は3部構成のオムニバス形式をとっており、第一部の"S・カルマ氏の犯罪"は、第25回芥川賞を受賞した。今回はその第一部について書く。残りは実際に読んでみて欲しい。第一部は、ある男が朝目覚めると何かがいつもと少しだけ違う。だけど、その何かの正体は分からない。食事を済ませて支払いのツケのために名前を書こうとすると、自分の名前が思い出せない。少し違う何かの正体は、名前が思い出せないことだった。仕方なくそのまま出社し、壁に掛かった札を見る。それによると"S・カルマ"というのが、ぼくの名前らしい。だがしっくりこない。部屋に入ると、なんと"別のぼく"が机に座っていて、仕事をしたり同僚のY子といちゃついたりしていた。というところから始まり、そのまま凡ゆる事件に巻き込まれて、不条理な世界へ突入していく。


だがこの小説は、不条理文学の金字塔・カフカの変身や訴訟、カズオ・イシグロの充たされざる者の様な読んでいて胸糞の悪くなってくる不条理さではなく、寓話的要素があるので割と読みやすい。手帳が喋ったり名刺が怒ったり、ズボンが生物のように手足に纏わりつく。それがファンタジー感を醸し出しているが、却って底知れぬ不気味さを際立たせる。


他人の顔について書いた時"顔は、自分以外の他人を識別するための分かりやすい記号で、自分のアイデンティティだ"という話をしたが、視覚に訴えるか聴覚に訴えるかの違いはあれど、名前もそれに近いものだと思う。何をするにしても名前は必要不可欠なもので、名前という固有名詞(或いは役職などの役割)を失ったことで男の自我も曖昧になり、名前が与えてくれる自分の社会的立ち位置が分からなくなり、他人との関係が歪んでいく。最終的には自分と他人との区別が付かなくなり、社会に埋もれて忘れられていくような気さえしてくる。


不条理文学では、何故そうなったかが描かれないことが多いが、この話も例に漏れずそうである。何故"ぼく"は名前を忘れたのかは一切描かれずに、名前を忘れた後の人生にフォーカスが当てられている。これからの人生で名前を忘れた理由はさして重要ではなく、どう歩んでいくかが大事だからだ。そして辿り着いた先に待つのは1枚の壁である。壁は空間の区切り、名前は自分に社会的立ち位置をもたらす区切り。それを失った"ぼく"の最後は、名前というアイデンティティを無くして社会に埋もれていってしまった人の末路を暗喩しているのかも知れない。


壁/安部公房(新潮社)

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