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エニアグラムタイプの「統合」とは
※当記事は「ドン・リチャード・リソ」の提唱するエニアグラムに則って考察したものです。
エニアグラムにおける、「健全」で「統合している」という状態が一体どんなものなのか、答えを知っている人はあまり多くないように思う。
現に数年前、エニアグラム講師を自称する方数名に質問をしたことがあったが「実際に見たことがないから分からない」とか「そういう質問はニーズがないので答えを用意していない」とか「そんな人間はいないでしょう」だとか、いい加減過ぎて何?と、危うく壁に大穴ぶっ放す勢いだったことがある。
本記事では私の実体験をもとにエニアグラムタイプにおける「健全な状態」「統合した状態」について記述していく。少しでも役に立てれば幸いだ。
エニアグラムタイプの「統合」とは
前述したエニアグラム講師の方々には申し訳ないが、「統合した人間」はどこにでもいるし、実際多くの人が目にしてきていると私は感じている。見たことがないなんて有り得ないと思うし、それは「見たことがない」のではなく「統合した人間」についての洞察がないだけでは?と感じる。
有名人から近所のおばちゃんまで、この世界には沢山の「統合した人間」がいる。ただそういった人達は「自分が統合している」ということを自覚していないし、仮に自覚していたとしても、わざわざそれをアピールしない。いわば「悟りを開いている」とか「目覚めている」とか、そういった言葉で表現できるような人を「統合した人間」と表現できると、私は考えている。
それで、こういう「統合している人」って、エニアグラムタイプが全然分からない。タイプ1のように実直で真面目な一面を見せたかと思いきや、タイプ7のようなお調子者の楽天家にもなる。タイプ4のように内省的で創造的な側面を見せたかと思えば、タイプ8のように人を率いる勇敢なリーダーにもなる。統合した人間は「全タイプの良い部分を兼ね備えている」のだ。
しかしその反面、全く逆のことも起こる。それは「真にそのタイプになる」ということである。以下に説明しよう。
タイプ2を例にしてみる。
通常レベルにおいては「他者に尽くすことで、自分自身を必要としてもらおう」とするのがタイプ2だ。タイプ2は時に自己犠牲を払ってまで他者に尽くし、その見返りを求めようとする。不健全になるほどに「こんなにやってあげてるのに」と恩着せがましくなり、更に苦悩を伴えば、本来であればタイプ2の長所となりうる「他人の弱点を見つける」という特性が悪い方向に働く。他者の弱さをサポートするのではなく、他者の弱みに付け入り、回りくどく攻撃し始めるのが、不健全なタイプ2の常套手段だ。
では、真に統合したタイプ2はどうであるか。それは、「他者に尽くすことが、自分自身の喜びになる」のだ。見た目にはさほど変わらないのだが、根源にあるものが全くもって違う。統合したタイプ2は、他者を愛し尽くすことで、同時に、自分自身を労り愛することができる。愛は与えても目減りすることがなく、他者から受け取る必要もない、と気付くからだ。
このように、全タイプが「見た目には大して変わらない」という、「大きな変化」を遂げる。
タイプ1であれば、それまでのように規律やルールを守るかもしれないが、通常レベルのような、窮屈さが感じられないかもしれない。タイプ3であれば、それまでのように表立った功績を残すかもしれないが、通常レベルのような、不自然さは感じられないかもしれない。タイプ7であれば、それまでのように活発で好奇心旺盛かもしれないが、通常レベルのような、落ち着きのなさは感じられないかもしれない。
「恐れ」を起因としていた、思考や行動のパターンを手放した各タイプは、統合し、真に自分自身のタイプとなる。その根源にあるのは「恐れ」ではなく、「喜び」や「幸せ」である。
なぜそんなことが分かるのかといえば、私自身がそれを経験しているからだ。もう随分前から私はそれを自分自身のテーマにしている。それは「統合すること」そして、「健全であること」だ。多くの講師陣が回答できなかった答えを、私自身が証明しようと、心に決めている。
最後に余談だが、「健全度と統合の違いって何?」といった疑問を抱くことがあると思うが、個人的には「統合を繰り返すことで、健全度が上がる」と解釈している。機会があればそういった内容の記事も、いずれ更新しようと思う。
六月二十四日 戸部井