特性5因子による自己分析
『パーソナリティを科学する』を読了。かねてより関心のあった「ビッグ・ファイブ」について、より多くの知識を得ることができた。この記事ではビッグ・ファイブについての発見と自己理解を深めるための検証、そして書籍についての感想を書いていきたいと思う。尚、異なる性格分析の型として「エニアグラム(リソ)」や「MBTI(マイヤーズ)」の記述や比較を行う場合もあるので、予めご留意頂きたい。
まず初めに、私が「ビッグ・ファイブ」に関して勘違いをしていたことを記しておきたい。ともすればこれはMBTIに対しても同様に捉えていたことではあるが、私は「自分の性格タイプは変化・成長させられる」といった類の認識をしていたのだが、これは誤りであると感じている(ちなみにエニアグラムについては「タイプが変化することはない」と熟慮している)。エニアグラムにおける「健全度」を用いて検証をしていた「成長」や「変容」に相当する部分に対して、MBTIやビッグ・ファイブでは同様の概念が存在せず、成長や変容により「望んだタイプに自分を変化させられる」といった考えを抱いていたのだ。これはある意味では正解ともいえるのだが、本質的な部分の「性格」は飽く迄も変化しない、というのが真の正解にあたると考えている。
例えば「内向型」の人間が、環境によって「外向的な側面」を手に入れ、演技や表面的な変化ではなく、真に自然に、ごく当たり前に振舞えるようになることが実際にある。こういった場合MBTIやビッグ・ファイブのスコアが変化することも起こり得るが、本人の気質自体は変わっていない。より柔軟な一面を手に入れ性格の質を上げることはできるが、それにより「外向型に変化する」というわけではないのである。
ただし、ひとつ注意しなくてはならないことがある。それは、「本来は外向型であるが、なんらかの理由で内向型のような生き方を続けていた」といったような人間が、自らの生き方を刷新し、「自分」を取り戻すことができた場合に、それはある意味で「外向型に変化する(外向型に戻る)」ことができると考える。
【外向性】
外向性は、単純に「人が好き」「友達が多い」「社交の場に好んで出かける」などに限らず、「達成することに快感を覚える」や「金銭や名誉など、外的成功に拘る」などの側面を持ち合わせている。結果や報酬を求める傾向は、ドーパミンと強く関連しており、そういった部分について個人的に強く関心を持った。これは逆説的に「内向型は外向型に比べて、達成や成功に強く惹かれない」ということも表している。『パーソナリティを科学する』にも、そのような記述は事細かく記されていた。
随分昔の話にはなるが、私が職場で「趣味で絵を描いている」と軽い気持ちで話をした際に、「それは仕事にすべき」「きちんとお金に変えないと」「どういう風にすれば商売にできるか」などの内容を力強く説いてきた男性がいる(しかもそれは一人や二人ではない)。今となっては彼らの外向性のスコアが高いことを推察できるが、当時の私には「自分の意見を押し付けてくる、厄介なお説教オジサン」でしかなかった。私自身がパーソナリティ心理学について無知だったことにも憂慮すべき点はあるが、それにしても、自分の尺度でしか会話を進められない上に、相手の心理状態を想像することを放棄した彼らに対して、あまり尊敬に値しないと感じていたことは言うまでもない。
この外向性はMBTIにおける「外向型」と同義であるのは当然として、エニアグラムでは「タイプ7」や「タイプ3」を色濃く想起させる。
【神経質傾向】
私はこの特性に対して、正しい知識を持っていなかったと、本書を読み終えた際に反芻をした。「神経質傾向」を、「精神病質」や「神経症」といった、読み違えや解釈違いを起こしていたのだ。
この項目のスコア値により、ネガティブ思考の頻出を読み取れる。日常生活の障壁とも成り得る因子ではあるが、それによって危険を察知する精度を上げたり、細かい部分まで気を配った仕事を成し遂げることができる。多くの日本人が高いとされる「神経質傾向」ではあるが、これは「備える力」を持ち合わせた遺伝子が、自然災害などの苦境に苛まれ続けることで、その淘汰の果てに「優性」となっていったと読み解くことができる。細部にまで神経を尖らせる日本人の「職人気質」は、こういったところから育まれているのかもしれない。
私の神経質傾向のスコアは、ここ数年で大きく変化をした。高かったスコアは、現在では極めて低い数値となっている。後述する「誠実性」においても同様の変化があったのだが(こちらは低かった数値が高くなった)、「調和性」については極めて低いまま変化をしていない。これは個人的に面白いと感じているポイントの一つである。
【誠実性】
現代社会において漠然と「高い方が良い」とされがちな項目、といった印象にある。誠実性の高い人間は勉学や勤労の場面において、他者からの信頼や、有益な結果を勝ち取る。これは「コツコツと積み重ねることができる姿勢」や「長期的な視野で計画・実行できる」といえば想像しやすい。私はそういった視点から、『アリとキリギリス』における(誠実性の高い)アリ、そして(誠実性の低い)キリギリス、のような印象を得た。勤勉なアリと、そうでないキリギリス。後者は「開放性」のスコアが高いようにも思えるが、それは後述しよう。
私の結果では、数年前に「低い」とあった誠実性は、ここ最近で「高い」に上昇している。これは神経質傾向のスコアの変化と同様に、本来の特性に回帰した、と解釈するのが妥当と考えている。スコア値の高低が「良い」「悪い」と意味付けるものではないが、「自らのパーソナリティを取り戻した」という点では、私に取って嬉しい結果だ。
【調和性】
私は極めて「調和性」のスコアが低いのだが、それ以上に低い事例を鑑みるに至り、正直なところ安堵している。誠実性と同じくして調和性は、現代社会においてある程度必要な性格因子と感じる。この調和性は実にオキシトシン的で、波風の立たないことを最重要視する、「同調圧力」を誘発する特性にも成り得る。誤解を招く表現かもしれないが、あえていうならば「女性的」もしくは「女性性」という言葉を用いて説くに容易いという印象もある。
エニアグラムにおける「タイプ2」の多くが、この調和性において高いスコアを出すことが想像できる。それに次いで「タイプ6」も同様であろうか。
神経質傾向、誠実性、調和性の三つの項目において、全てが「低い」場合に、精神病質(サイコパシー)が見出せる、といった本書の内容も印象的であった。そのうちのどれか一つでも高ければ、サイコパスと表するには不十分とするのだ。日常的に耳にすることが当たり前になりつつあるこの「サイコパス」という言葉は、その実態を性格因子により紐解くことを易しくさせる。実に面白い。
【開放性】
前述した『アリとキリギリス』の「キリギリス」的な要素と考える。他の特性に比べやや漠然とした項目という印象もあるが、本書を読むことで得られる知見は他よりも秀でていた。芸術的素養や好奇心・探求心旺盛といった、「前向き」と捉えられる側面と、精神病傾向や超自然的信念への傾倒など、「後ろ向き」とも捉えられる側面が謳われている。
私は開放性のスコアが極めて高く、本項目により、今までにない「自己像」の補完をするに役立った。これはMBTIによる「直観型・感覚型」「判断型・知覚型」を示す連続性にも通ずるが、「開放性」という性格因子の提示は、より明確に自己像をモデリングさせる。
「性格診断」「性格テスト」などの表記と共に、ビッグ・ファイブやMBTI、エニアグラムの結果を気軽に楽しめるサイトやアプリは、ここ数年でより拡大している。性格類型の分野が多くの人に楽しまれ慕われることは、心理学の発展や繁栄の一助となることは想像に難くないが、その一方で、誤った知識が広まってしまうことや、本質を無視した乱用や悪用を目にすると、しばしやるせない気持ちに苛まれる。一般化し多岐に渡り拡散されると、こういった事態に陥ることは切っても切り離せない。「分かる人にだけ分かればいい」と、割り切らなくてはいけないのは、私自身の課題でもあると感じた。
そして、エニアグラムやMBTIは「科学的でない」ゆえに「信憑性に欠ける」と謳う者も少なくない。またはそれらについて支持しながらも、「科学的な部分にのみフォーカスをする」といった手法を取る者も多い。私はそういった態度について反対はしないが、非科学的なものを徹底的に排除しようとする姿勢には、あまり賛成できない。『パーソナリティを科学する』はそういった点でも、より多くの人がアレルギー反応を示さずに学べるのではないか、と感じる。
九月十五日 戸部井