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【エッセイ】

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エッセイまとめ。思考の保管庫。 ※かぐや(旧)は私が以前使用していたアカウントです。
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記事一覧

【エッセイ】「無知」を抱え込む。

「無知」 高校生、そして成人という線をまたぐごとに、この言葉をよりいっそう意識してしまう。 無知とは、読んで字の如く”知識がない”ということ。そしてそのさまから”愚か”という意味も含んでいる。 確かに、作品中のキャラクターや現実のちょっと頼りない人を見て「この人は何も知らないまま生きていくことしかできないんだな………」ということが既にわかりきっているときの、視聴者目線で感じる、あの何とも言えない虚しさ。 それに”愚か”とという言葉を当てはめると納得できるような気がしている

【エッセイ】不安定を楽しむ。

秋になった。 この前まで猛威をふるっていた夏は、もう去っていこうとしている。 朝と夜は肌寒い。毛布が恋しい。 秋特有の、急な気温の変化。 とはいえ、年を重ねるごとに遅くなっていってるようにも感じる。 少し前なら、9月の後半には気温が下がって、今ごろはもう十分涼しかった。 日本の四季が狂い始める。もう止めようがないのかもしれない。 この急激な温度変化で、体調を崩す人も多いだろう。 お腹が痛い。 喉が痛い。 風邪をひいた。 私もここ数日ずっと心臓が痛い。 おそらく「適応」とい

【エッセイ】2つの鳥籠の中で。

画面の向こうにいるあなたは、どんな人なのだろうか。 「書く」「読む」のどちらにしても、気になってしまう。 特に気になるのが、年齢。 noteに出入りするユーザーは、いわゆる「大人」が多いと思っている。 仕事や育児が安定期になる、20代後半~40代前半の方が多いイメージだ。 ある人はビジネスの延長線として、ある人は人生の備忘録として、ここに文字を遺す。 子育てのことや趣味のことを気楽に書いている人もいれば、命を削って言葉を紡ぎ、人生をかけて書いている人だっている。 そして、

【エッセイ】それでも、私はクリエイターでありたい。

「書くの、楽しい?」 この世界では、きっと毎日のように誰かがこの問いかけををしている。 ある人は「なぜ書くのか」というエッセイで。 ある人は「文章の書き方」というコンテンツの導入で。 そして、意味目的を見失わないための自問自答で。 私の中の私にも聞いてみる。 「書くの、楽しい?」 「いいえ。」 私は、文章を書くという行為に「楽しさ」を見いだせていない。 ファイルを開く。 画面とにらめっこしながら、カタカタとキーボードをかき鳴らして、時間を消費していく。 ふいに手が

【エッセイ】予定未来を書き換える。そして、さよなら。

何もできない。もうなにも、したくない。 そんな無気力状態の私を、ずっと変えられずにいた9ヶ月だった。 この前投稿した、誰に宛てたのかもわからないつぶやき。 つぶやきですら自分を表現できなくなっていたことが、なによりももどかしかった。 その気持ちをどうにかして伝えようとしたけれど、深夜の2時に投稿するくらいしかアイデアがなかった。 それから1か月半が経った今、私は自分の未来を変えるために行動している。 そして先日、そのスタートラインにあたる「大学生になる」ということにひとま

【エッセイ】本当にいきたい?

理想の人生って、なんでしょう。 大学に行って、 仕事をして、 結婚して、 子供を作って、 お金を稼いで、 永い眠りにつく。 今まで これが理想だと思っていた。 というか、そう言われてきた。 果たして、本当にそうなのだろうか。 もちろん、これができるなら困らない。 (勉強をして)大学に行って、 (就活に成功して)仕事をして、 (恋をして)結婚して、 (愛を育んで)子供を作って、 (軌道に乗って)お金を稼いで、 (いい人生だったと)永い眠りにつく。 言葉ならなんとでも

【エッセイ】私と、あなたのずれ。

最近、ある記事がじわじわと伸びている。 簡単に言うと、 「どうすれば外部アクセスに反映されやすいか?」 を実証して、考察してみた記事。 自分の記事をたくさんの人が見てくれたこと。 なによりも届いたこと。 これはとても嬉しい。 ただ、これ以上伸びて欲しくない。 数字が増えるごとに、こんな気持ちが募っていく。 ・・・ この記事をつくるにあたって、その前にあたる記事がある。 正直、この記事はあまり面白くない。 「考察」としては検証も、結論もあまり充実していないからだ。

【エッセイ】「コピー」との同化。

最近、私とかぐやの境界線が分からなくなってきた。 ? 読者目線からすると”私=かぐや”という認識の人が大半かもしれない。 でも、私にとっては少し違う。 かぐやは、私の感情のコピー。 今までの私にとって、かぐやは一種の「キャラクター」に過ぎない。 私とかぐやは、「文章」でつながっていた。 現実世界の私と、仮想世界のかぐや。 この2人は、文章という手錠でつながれた、別々の存在として成り立っていた。 そう認識してたほうが楽だった。 「文章」とある程度の距離感を保って

【エッセイ】なかよしごっこ、もうやめない?

こんばんは。 「       」 こんばんは! 「       」 こ ん ば ん は ! 「       」 ・・・ 知ってるよ。 しってる。 私の文章は届いてない。 フォロワーには、とどいてないんだ。 私のフォロワーは100人くらい。 でも、それは「読者」じゃない。 本当に私の文章を読んでくれるフォロワーは、30人くらい。 残りはただのお飾り。 私のフォローもフォロワーも、曇ってる。 それを曇らせたのは、「届かないあなた」と、「私」自身。 もの

【エッセイ】「今」を語る文章。

「現代文」 国語の授業で、評論文や小説を読んで、考える。 noteは面白い。 でも私は現代文が苦手。 特に評論文。 複雑な単語を組み合せた文章を何十分もかけて読み、それを何時間もかけて筆者の真意を紐解いていこうとする。 この時間が長くて、結果分かりにくい。 学校のテストは授業の延長だから、尚更分かりにくい。 模試とテストの点数が合わない。 だから学校の現代文は苦手。 そんな時、ある先生が私の教科担任になった。 その先生は、授業が嫌いだと言う。 授業は文章の解説と、先生の小

【エッセイ】無評価の恐怖。

「無評価の恐怖」 noteを始めてから、頭をよぎる。 私が勝手に作った言葉。 自分の記事がいいのか、良くないのか、それが何もわからない。 ただ、「スキ」も「コメント」もつかないまま、アクセス数だけが増えていく。 それを見て、私の文章が「面白くなかった」のかもしれないと感じてしまう。 むしろ「キライ」をもらった方が自分のためになる。 それもないから、なにもわからない。 ただ、私の文章がネットの海をさまよっているような感覚が、不安で仕方ない。 そして、その恐怖は最近