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「美少女ゲームの臨界点」から「欅坂46」へ──作家・批評家、佐藤心さんインタビュー(後編)

※本インタビューは2020年8月に行われたものです。就活支援メディア「HRTIMES」(閉鎖済み)に掲載された記事を加筆、修正して再掲しています。作家・批評家の佐藤心さんに、生い立ちから文筆活動に至るまでの半生をお聞きしました。

また、欅坂46(現・櫻坂46)を扱った最新の論考「第三の永遠」についても深掘りしています。

インタビュー/編集:小阿瀬達基

佐藤心(さとう・しん)
1979年生。東京都出身。作家・批評家。中央大学中退後、哲学者・批評家の東浩紀に師事。ライター兼編集者としてキャリアをスタートし、ゼロ年代批評の記念碑的存在となる同人誌『美少女ゲームの臨界点』に携わる。後にシナリオライターとしてデビュー。ゲームシナリオに『波間の国のファウスト』『風ヶ原学園スパイ部っ!』。小説に『波間の国のファウスト:EINSATZ 天空のスリーピングビューティ』、おもな評論に「あらゆる生を祝福する『AIR』(『美少女ゲームの臨界点』)」「オートマティズムが機能する」(『新現実』)など。最新の論考に欅坂46を論じた「第三の永遠」。

前半の記事はこちらです。

佐藤さんの生い立ちから師・東浩紀氏との出会い、編集者・ライターとして経験を積んで「ゼロ年代批評」のプレイヤーとして活躍し作家デビューするまで。そこから精神を崩して多重人格になりかけ、傷つきながらも生きていくなかで見つけた「夢と理性」についての発見、それが活かされた欅坂46論「第三の永遠」について語っていただきました。

それでは、後編をどうぞ!

「えいえんはあるよ、ここにあるよ」──夢を持って生きる術、それでも行き詰った時に考え直す、自分のタイプ。


──とはいえ「道半ばで挫折して夢を捨ててしまう人」って、やっぱり多数派なのではないか、と思うんですよね。そこで、佐藤さんはそうならないための方法として「能動的に夢を追うことをやめ、受動的にチャンスを待つ」という態度の転換を「第三の永遠」で提示していますよね。

佐藤:「期待していない自分」*13の章で書いたことですね。夢を追って色々やっても上手くいかなければ当然、途中で挫けてしまう。そうならないためにはどうすれば良いだろう?と考えたとき、期待をやめて偶然を待つのが重要になってくるんです。成功に繋がる必然を追い求め続けても成果がでない、そうすると傷ついて、夢そのものを諦めてしまう。でも、そこで自分から夢を追うことをやめ、偶然の出会いを待つようにすれば夢を持ちづけることができるんです。

──しかし「偶然を待つ」と聞くと、正直「本当にそれでなんとかなるのか?」と不安になってしまいます。そこで次章では、偶然を待つことが確かに救済になり得るということ……つまり「偶然の確かさ」を導くために「二人セゾン」の読解に入るわけですよね。その辺りの話を聞かせていただきたいです。

*13「期待していない自分」
けやき坂46(現・日向坂46)の楽曲。語り手の「僕」は、失敗の言い訳をしようにもそれすらうまくいかないほど不器用で弱いが、懊悩の先に「これ以上期待をしない」という、自分をこれ以上苦しめることもなく、同時に夢を捨てずに生きる唯一のやり方に辿り着く。

*14「二人セゾン」
欅坂46の楽曲。他者との交流を拒絶し生きてきた「僕」は、突如「君」によって心を奪われるも「君」は季節が巡るなかで月日と共に「僕」の前から去ってしまう。しかし「君」との関わりから世界への向き合い方を変えた「僕」はその喪失に絶望することなく生きていくことができる。

佐藤:「偶然の確かさ」というのは、救済となる偶然が必ずどこで訪れるからそれを待つ、ということではないんですね。どんな偶然にも特別な可能性、求めていたものではなかったとしても人生にダイナミックな変化をもたらす可能性があることを理解し、自分がそんな無数の偶然に囲まれていることを自覚するということです。そうすると、一つ一つの出会いや、自分に関係する物事がよりクリアに見えてきたりもする。……悟りとは書いてないけど、人によっては悟りと捉えるかもしれないですね。

──それこそが、佐藤さんが「第三の永遠」と呼ぶ在り方ですね。

佐藤:はい。ただまぁ、そう言っても「もっと確かさが欲しい」という風になっちゃうんですかね……?

──佐藤さんも書かれていましたけど、今の若者は傷つくことへの強い拒否感があって、それを回避しようとする傾向にあるんですよね。そう考えると、やはり……。

佐藤:たしかにそうですね。「確かさが欲しい」っていうのは、背負うリスクをゼロにしたいとか、そういうものに近いですよね?

──そうですね。もっと自分が失敗しないという保証が欲しい、正解の選択肢とのマッチングを確実に成功させたい、ということだと思います。

佐藤:マッチング、というとですね。「マッチング主義者」と「運命論者」っていうのがいると思うんですよ。仕事のときとか、恋愛のときとか……わりとあらゆるときにこの2パターンに別れるんです。たとえば作家になりたい人がいた場合、新人賞にとにかくたくさん応募してみるっていうのはマッチング主義者のやり方ですよね。

僕は運命論者の方だったので、東さんの文章を読んで「ここに文学の中心があるんだ!!」みたいな謎の確信をして講演会に行ったりしていたんです。勘違いかもしれないんだけど、そういうときって根拠のない確信に満ちているんですよね(笑)。

──わかります(笑)。実際、東さんと色々仕事をされたことで共にゼロ年代批評を切り拓いたわけですし、その「確信」は正しかったということですよね。恋愛の場合はどうなるのでしょうか?

佐藤:良い恋愛をしたい、となったときにマッチングを高める方に行くのか、運命論なのかでやっぱり違いますよね。たとえば合コンって、マッチングの最たる例じゃないですか。僕なんかは合コンとか嫌で、なんで皆は合コンなんてするんだろうとか思っていたわけですよ(笑)。

──運命論者はマッチングを高めることに興味がない。マッチング主義者からは逆に「その謎の確信ってどこから来るの?」とか思われているかもしれないですけど……。

佐藤:両者は全然違う立場、違うルールで動いているんですよね。だから、自分がどちらなのかは理解しておいた方が良いと思います。偶然の確かさが欲しい、というのはマッチングの成功率を高めたいという発想だから、マッチング主義者ならそれで良いのかもしれないけど……運命論者なら、ちょっと一旦考え直そうと。

──「確かさが欲しい」と悩んでいる人も、もしかしたら運命論者かもしれないのですね。であれば、それに気づいてそちらのルールで生きていく方が楽なのかもしれない?

佐藤:はい。人によって「確信」をどの程度抱けるかは違うと思いますけど、もし運命論者タイプなら、いずれどこかで見つかると思うんです。僕はたぶん、神を信じているのもあって「確信」を結構抱けるタイプだと思うので……そうでない人の気持ちに寄り添えていないかもしれないんですが。

──転職や就職で悩んでいる際などは特に、無根拠な「確信」を持てると良い気がしますよね。「自分はこの仕事しかないんだ!」という感じで。

佐藤:そういうときって、どんなポイントで悩み始めるんですかね。

──本当に自分がやるべき仕事や、いるべき場所はここではないんじゃないか?という葛藤が多いのではないでしょうか?

佐藤:なるほど……大事なのは「自己洞察」だと思います。自分で自分のことがよくわからないと、当然迷うじゃないですか。逆に、それがよくできれば迷いなく就活に挑めたり、転職を決意できたりするでしょうし。

──そうですね。「この仕事をすべきなのかもしれない、でもそうではないのかもしれない」というようなゆらぎが辛さに繋がるのだと思うので、自己洞察をして、はっきりと判断ができれば楽になると思います。

佐藤:今「ゆらぎ」っておっしゃったけども、「ゆらぎ」を否定的に捉えないことも大事だと思うんです。様々な現象が「ゆらぎ」で出来てるわけじゃないですか。たとえばこの水が入ったコップもそうだし、コップに力を与えれば水が動いて、新しく「ゆらぎ」が生まれるわけですよね。

確かに「ゆらぎ」は人の心に不安を与えて苦しめるけど、同時に「ゆらぎ」は自然の原理なんですよ。そう考えれば、ゆらぐ自分を否定する必要もなくなると思うんですよね。だって自然の原理ならしかたないじゃないですか。花が枯れていくときに「なんで枯れるんだぁ!」とか絶対言いませんよね(笑)。

──言わないです(笑)。

佐藤:でも人間って、自分にはそういうことをするんですよ。「自分はなんで揺らぐんだ!なんで迷うんだ!」って。でも、それは花が枯れるのと同じ自然の原理なんですよね。そう考えると、ちょっと自分に無茶言ってたなぁと思えて、心が軽くなる気がしませんか?

人間って、アイデンティティを確固たるものにして安心したいって気持ちがあるじゃないですか。でも、僕とかってアイデンティティが定まらない人間で。悪く言えば、ブレたり矛盾していたりするんですよね。でもそれは「ゆらぎ」であって、自然の原理なんですよ。

たとえばセクシャリティなんかも、あるときサッと全然違うセクシャリティに変わることがありますよね。そこで「どっちが本当の自分なんだ!」とかじゃなくて「他のあらゆるものと同じように、ゆらいでるだけだよね」って捉えれば、苦痛も軽減されるのかなって。

──たしかに僕自身、そう考えるとすごく楽になりますね……佐藤さんがこれまでにかけられて楽になったり、嬉しかったりした言葉はありますか?

佐藤:これも東さんなんですけどね。うつ病の療養中に会いに行ったことがあって。そのときに、「佐藤君は10年に1度いい仕事をすればいいよ」って言ってくれたんですよ。いい言葉だなって当時も思ったんだけど、今思うとさらに含蓄があるなぁと。

──救われますね。そんなこと言われたら……。

佐藤:嬉しいよね。あと、10年ってのが絶妙。ただ問題はね、そろそろ10年経つんだよ。僕もさすがに10年は立たんだろうと思っていたんだけど……なかなか頭が痛い(笑) 。

「楽しいことは……これから始まりますよ」──なにを目指すか、そして、目指すなにかを得るため居るべき場所は。


──これからは宗教を起こしたい、聖書を書きたい、ということを以前仰っていたように思いますが……。

佐藤:そうですね。実は「聖書が書きたい」っていう作家は結構いるんですよ。だから、伝統的に考えると作家の目標が宗教に近づいていくっていうのはそう間違ったことでもないんです。なんで宗教かって理由はいくつかあるんですけど……わかりやすいところでいうと、そもそもぼくは神と出会っている人間なので「神への確信」があるんですよね。それを、何か形にして残せないかなって。それが小説であれなんであれ、作品であれば尚良い。

そこで宗教運動みたいなものを興せたら面白そうだなぁ……とか、そういうことを考えているとすごく楽しいんですよね。あと、新興宗教とかって馬鹿にされがちだけど、ものすごいお寺をつくったりしますよね。そういうことを可能にする情熱が宗教には渦巻いている感じがして、惹かれるんです。

要するに、ぼくが「宗教をやりたい」とか言っているのは、子供が宇宙飛行士になりたいとか、こういうおもちゃが欲しい、みたいなことを言っているのに近くて。やっぱり宗教ってすごいよなぁーっていう、非常に子供じみた感覚で。それを形にして世に残したいなぁと。そういうことを考えるとすごい楽しいんですよ、まぁ、うつ病なんだけど。病気でぐったりしてるときもあるかと思えば、子供じみた夢を思い浮かべて楽しいなぁとかさ……これも「ゆらぎ」なのかな。

「夢。夢を見ている」──君が君らしく生きていく、自由のために。


──最後に、この記事を読む若い世代に向けてのメッセージをお願いできますか。

佐藤:そうですね……彼らが抱えている葛藤って、どういうものなんですかね?

──やっぱり、夢についてですかね。「第三の永遠」では、夢を抱えたけど色々な障害によって阻まれてしまう若者の姿が描かれていたと思うんですが……そもそも、夢を抱くこと自体にハードルがある、という人も多いような気がするんです。「夢を抱きたいけど、自分には能力がない」みたいな。

佐藤:ある程度、自分に自信がないとそもそも夢を抱けないって感覚があるんですかね。

──はい。欅坂の歌詞でも「群れるな」「自由であれ」といったメッセージが歌われていますよね。もちろん、素直に共感して勇気をもらうことができる人も多くいる。けれど「それができるのって特別な人だけでしょ」と冷めてしまう人も多いと思うんです。

佐藤:「第三の永遠」でも書いたようなことですね。夢を抱く自信すらない、か……彼らが最悪の場合「月スカ」の犯人のようになってしまわないようにするにはどうすれば、ということですよね。

「エキセン」の〈僕〉は、群れの都合に絡めとられず、おそらくは夢の実現にむけて邁進していったことでしょう。ですが、そうした対比は、ある一つの条件を前提にしています。堕落のみちを逃れた〈僕〉は、理性の働きにもとづき無益な争いと縁を切りました。しかしそれは彼が優劣という現実の壁に挫けなかったこと、すなわち人並み以上にすぐれた能力の持ち主であったことを暗に意味しているのではないでしょうか。

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貧困に落ちても福祉があり、暴力の温度も低めな現代社会において、人間をいとも簡単に傷つけるのが、だれからも相手にされない無関心です。なぜならそのとき、ひとは幸せから疎外されてしまうからです。幸せとは、他人との間に相互承認、すなわち有意義で親密な結びつきを与えあうことにあります。「月スカ」の犯人はそうした承認を得られず、おそらくは平凡な余生を送りながら、幸せから遠い場所にいます。彼はそうした現実に耐えきれず、少女のスカートを切りつけました。名も知らない少女と強引なつながりを得て、ほんの一瞬、空っぽの自分を幸せで満たそうとしたわけです。

 こうした身勝手な犯罪は犯人を見捨てた大人たちにたいする逆恨みでしょうか。それとも夢を諦めたことの報いでしょうか。ただ一つはっきりしているのは、存在を切り刻むかのごとき無関心の連鎖がひと一人を同情の余地なき悪にまで貶めてしまう現実です。

佐藤心「第三の永遠」

佐藤:そういう場合、一緒にいて楽しい人や、楽しくなれる場所への嗅覚を敏感にするのが大事だと思います。夢を持つ自信が無いとか、取柄が無い自分はどうすれば良いんだろうとか……そういう悩みを打開するのに必要なのは、楽観的に考えられるようになることなんですよ。でもそれは、1人で鬱々と悩んでいると難しい。

たとえば、僕って作家を目指していたはずなのに、東さんのところでライターとしてキャリアをスタートさせたわけですよね。けど、当時「本当は作家になりたいのに……」みたいなことは思わなかった。むしろ「ライターをやってれば作家に至るルートが出来そうだし、ラッキーじゃん!」と楽観的に考えていたんですよ。

でも、その発想は東さんが一緒にいて楽しい人だったから生まれたんだと思うんですよね。もっと嫌な人だったら「誰がライターなんかやるか!」って感じだったかもしれない(笑)。

──とりあえず、楽しそうな場を探して飛び込んでみるのが大事なんだと。

佐藤:そういう場所って、たとえ自分の夢には繋がらなさそうでもそこそこ居心地が良いんですよ(笑)。別に繋がらなくても良いかぁ~みたいな気持ちにもなれますし。

それに、そこでもらった仕事なら「どうせ自分は……」とか思わずに、気楽にこなせる。もちろん、ネガティブな自分を否定する必要はないけれど、そこに固執して袋小路に陥るのはまずい。

──「偶然の確かさ」の話とも繋がってきますね。求めていたものではなくても、そこで得た偶然が大きく人生を変えることもある。

佐藤:そう、全く新しい発見があるかもしれないんですよ。たとえば、試しに株トレーダーとかやったらバカバカ当てられたりして……「俺天才じゃないのかな!?」と思うとかね。そういう極端な例外もあり得るじゃないですか?どんな偶然があるかはわからないですからね。

──まず、楽しそうなところに行ってみる。そこに身を置いて、できることをやってみる。もし、それが自分の夢とは遠い気がしても、とりあえずやってみて……。

佐藤:そう。本当の夢に至るルートも、そこから勝手につくっちゃえば良いんです。「いま編集の仕事をもらったから、ここから、こう行けば……作家になれるじゃん!」って感じでね。楽観的な環境にいけば、楽観的な発想が浮かぶ。自分が楽しそうだなと思う場に行ってみたり、気になる人に会ってみると良いんじゃないかな、と思います。

──最近はトークイベントとかも増えてますし、機会は多そうですよね。「客として参加する」とかなら気軽にできますし。今の話、すごくピンと来ました。

佐藤:良かった良かった。普段、考えないことを考えるとちょっとこう……だいぶ頭を使ってしまった(笑)。

──ありがとうございました。お話伺えて良かったです。

佐藤:こちらこそ……お役に立てれば嬉しいです。


『波間の国のファウスト:EINSATZ 天空のスリーピングビューティ』のあとがきで、佐藤さんはこう書いています。

皆さんは「投資とは何か」と聞かれてどう答えますか?(中略)私が執筆中に念頭に置いていたのは、投資とは、自分が「正解」と信じるものに賭ける行為全般ではなかろうか、という考えでした。未来に起きる事象は誰にも分かりません。投資家とはそういう不確実な正解を的中させるべく賭けを行う存在です。けれど彼らの営為は、金融市場に限った特殊なものではなく、じつは人ひとりの人生にも通じるのではないか。(中略)僭越ながら、ひとりの投資家たる読者の皆さんも──どうかよい「投資」を。リスクの波を乗り越え、賭けに勝ち、人生をつかめますよう。

佐藤心『波間の国のファウスト:EINSATZ 天空のスリーピングビューティ』

けれども、それから11年後。現代を生きる若者は弱く、傷つきやすく、リスクの波を前に立ち止まってばかりです。しかし、たとえ賭けに負け挫けたとしても「生きる意味」さえあれば、あるいは「期待しない」ことで前を向き直すことができる。仮に賭けるなにかを持てなくても、居心地の良い場にいればいずれ、周囲に溢れる無数の可能性を活かせるような楽観性を獲得できる。佐藤さんはそんな風に、新たな 賭けEINSATZのやり方を示してくれた気がします。


インタビューの前編はこちらです。

佐藤さんの欅坂46論「第三の永遠」はこちら。


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