スペイン語習得にはそれなりに時間がかかる お仕事&言語学習
「なんとなくでも通じればいい」ではだめだった…
¡Hola!
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。インタースペイン取締役&大学非常勤講師&UNED博士課程大学院生の高木です。前回は、弊社でチームでお仕事をするうえで大切なことはスペイン語学習にもつながるなあという考察を書きました。お読みいただいた方 ¡Muchas gracias!
現在、わたしはスペイン国立大学(UNED)にて博士課程に在籍し、日本語を母語とする学習者の書き言葉の誤り errores について研究し論文を執筆中です。言語習得の基礎理論や、スペイン語をどうやったらうまく教えられるのかな?ということを学びたいなと考えて máster 修士課程に入学したのが2018年ですから、そこから早くも7年も経過してしまいました。入学当時のわたしは「スペインに住んだこともあるし、スペイン語で仕事もしてるし、バルセロナ大学の Estudios Hispánicos も卒業したし、DELE superior も持ってるしな、まあいけるだろう!」と máximo optimismo で取り組み始めました。ところが、その舐めた態度と根拠のない自信はすぐに打ち砕かれたのです。
「スペイン語ができる」の定義
これを読んでくださっているみなさまにとって、「スペイン語ができる」って具体的にどのようなことでしょうか?旅行で会話ができる、Netflixのシリーズをスペイン語で理解できる、スペイン語圏に住んだり日常生活に困らない、などなどたくさんの定義が聞こえてきます。これこそ唯一の正解がない問いですよね。究極的にはそれぞれが持っている内的な動機から決めるものかもしれません。一方で、自分のスペイン語の能力を外側から客観的に評価してもらいたいとか、他者に説明する必要がある場合は、外部の試験ツールを使えば「わたしはDELE試験の結果によるとスペイン語が◯◯程度できる」と定義ができますよね。ただ、そのためには、スペイン語をカリキュラム(レベル別、項目別、場面別など)に沿って体系的に学んでおく必要があります。
お友達にとってはわたしのスペイン語のレベルはどうでもいい
ところで、スペインで生活をしはじめた頃、通じればいいやというハンパな思いで会話していたわたしに ¡Hablas muy bien! などと反応してくれる友人たちを、「スペイン人って優しい!これで生きていけるわー」と単純に考えていました。その中でたった一人だけ Tienes que estudiar. Tienes que mejorar mucho más. と手厳しかったのが一緒に働いていたMさん。彼女だけは、「あなたのスペイン語レベルでは話にならない、同じ職務・給与レベルなのになぜわたしがあなたのサポートをしなくてはならないのか」(のようなことを言われてたとオモイマス)と言葉と態度で示されました。当時オフィスがあった Plaza de Colón から Calle Goya を号泣しながら自宅に帰ったことを思い出します。でも、今考えると当たり前のことなんですよね。彼女は母語のスペイン語の他にも英語、仏語に堪能で、日系企業で働くにあたり日本語も勉強をはじめていました。オフィスでの電話応対などの最低限のスペイン語さえきちんとできていなかったわたし。Dígame. ¿De parte de quién? の2フレーズのみ連発し、相手の言うことがわからず、Por favor. と彼女に丸投げしていた。今考えると非常にオハズカシイ。知り合い程度の人たちは、本気で話をく必要がないからわたしのスペイン語のレベルなんてどうでもいいんですよね。だって指摘するってめんどくさいですよね。でもチームとして具体的に仕事の作業をすすめ、結果に責任が伴う職場では、最低限のレベルのスペイン語のスキルは持っていて当然です。自分のレベルを客観的に捉えて、少なくとも謙虚に学ぶ姿勢を見せるべきだったと深く反省しました。そのときから、わたしの中での「スペイン語ができる」定義が変化をとげました。M さんにまた会えたらMuchas gracias por el apoyo que me prestaste. と感謝を伝えたいなあと思っています。
このときの経験をもとに作成したハンドブックがこちらです。
これ持ってればMさんに怒られなかったかもなーと(笑)
指導教授に正しく書くことの大切さを教わった件
マドリード生活もすでに遠い昔のことになってしまったのですが、2018年からの大学院生活で、ふたたび、わたしの中での「スペイン語ができる」定義が変わらざるを得ない体験がありました。それは、trabajo fin de máster (修士レベルの論文)と、tesis doctoral (PhDを取るための博士課程の研究論文)を書くという超難題に向き合うことになったからです。もともと大学時代にスペイン語主専攻とした方々と違い「正しく論理的に書く」ということの基礎訓練ができていなかったわたし。毎回の授業終了後、学習内容を自分なりにスペイン語でまとめたものをクラスメート全員に向けて発信するのですが、勢いよくがんがん書いてみたところ、指導教員から「内容はいいんだけど、あなたの文章は段落構成の基本が全くなっておらん。また、必要な場所での改行や、punto (.), punto y coma (;), barra (—)などのスペイン語で大切な記号の使い方もなっておらん、さらに、数字の(.)と(,)の使い方や、大きな数字、%などの表現がめちゃくちゃで、 あんたのレポートは読みにくくてかなわんから書き直してください」という衝撃のフィードバックを全体メールに頂戴し、またまた涙目になってしまったのです。このときに、「内容がいいなら書式はまあまあてきとーでもいいじゃん」がこの場面ではだめだということがわかったのです。この経験がこちらの正書法の入門ハンドブックを企画する大いなるモチベーションになりました。
指摘してくれる人の存在のありがたさ
指導教員から「正しく書く」ということの大切さを指摘されていろいろ振り返ってみると、そういえば!と思い出した出来事があります。会社を立ち上げた当初の若気の至り。スペインの言語教育専門出版社の社長とメールのやりとりをしていたときのことです。その社長はもともとはスペイン語教育で博士号をお持ちのフランス人の素敵な女性だったのですが、あるときわたしは彼女を激怒させてしまったのです。当時の私は、とにかく仕事のメールは多少文法が間違ってても効率よくさっさと目的遂行重視だ!と思っており、大文字と小文字の使い分けはおろか、かなりの頻度で命令形も連発のメールを書いていたのです。例えば Rogamos nos envíe la mercancía lo más pronto posible, por favor. とするべきところを ¡ENVIÁNOSLO YA! 書いてポチリ。とっとと品物送付せよ!ってなもんです。すると即刻国際電話(当時)がかかってきて「こんなに失礼な文面を受け取ったのは仕事人生で初めてだ」と叫ばれました。涙目。さらに、彼女は、「スペイン語の大文字や小文字には意味がある。大文字ですべてを書くというのは非常に限定された場面でしか使わない。大文字、おまけに、命令形。あなたがたとえお客でも非常に不適切で不快である」さらに、涙目。「これから長くビジネスパートナーとして働いていきたいからわざわざ電話をかけた」と。最後には、Muchas gracias. とお互いに言い合って電話をきりました。そのときお恥ずかしながら初めて、ああ記号や文法には意味があるんだと本当の意味で認識しました。それからは、大文字と小文字の使い方にも注意するようになりましたし、ビジネスの場面では状況と関係性に適した丁寧な表現を使えるようになることが「スペイン語ができる」ことの定義のひとつになりました。彼女が引退するまでほぼ15年のお付き合いがつづきました。あのとき、時間とお金をさいてわざわざ電話をかけてくれて自分のスペイン語の稚拙さを指摘してくれるのは、¡Hablas muy bien! といってくれるよりも数百倍ありがたいんだと今でも感謝しています。この方にもどこかで会えたら Estoy muy agradecida.とお礼を言いたいです。怖かったですけどね。
ちなみに、日常会話とお仕事のスペイン語の大きな違いは語彙と、丁寧さの度合いを文法(動詞を操って婉曲表現を作るなど)や語彙の足し算引き算でどうコントロールするかってところでしょうか。
デキル人たちはそれなりの投資(時間とお金と労力)をする
昨今は、簡単に話せるようになります!というネット素材が無数にあります。旅行で使えるフレーズやちょっとした表現を覚えるレベルならもちろんそれで十分かもしれません。学習のコストや時間のハードルは以前とくらべて下がっています。翻訳&文章作成ツールを用いれば瞬時にスペイン語で文章を作ってくれますし、そもそも自分で努力して外国語勉強する必要ないですよね?という考えをお持ちの方も多いかと思います。外付けのツールを活用してコミュニケーションをするというのもありだと思います。でも、弊社のnoteを読んでくださっている方の多くの方々はスペイン語を自分のもの(身体化)して自分の喉から自分の声で、そして自分の指先からスペイン語を出したい(ちょっと変な表現ですけど)と自分の中にスペイン語とそれを取り巻く文化的なものを蓄積していきたいと考えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。わたしもそう強く願っていますし、非常勤講師をしている大学でも学生のみなさんにその楽しさを発見してもらいたいな!と授業の工夫をいつも考えています。ただし、これにはやっぱりそれなりの時間、お金、労力の投資が必要なんですよね。わたしの周りの「ああ、このひとの体の中にはスペイン語が染み付いているなあ」というデキル人は、のきなみ大量の時間ともちろんお金もかけて丁寧に向き合ったからこそだよなあと思います。効率よくツールで調べてその場の会話を乗り切ることだけをしていても、そのレベルには到達しないなあと思います。地味で根気がいりますよね。
あなたのスペイン語レベルと本気で向き合ってくれる人との出会いから本気を出すときに支えてくれるガチ参考書
振り返ってみると、わたしの「スペイン語ができる」という定義は、2つの要件で変化を遂げたように思えます。1つ目はスペイン語を使う場面の変化 、2つ目は場面の変化に伴って出会う人、コミュニケーションを取りたい相手の変化。特に2つ目については、自分のスペイン語レベルに対して、他人がこんなに本気で向き合ってくれる人に出会えたことは本当に幸運なことでした。こちらもガチで向き合わねば!と思わせてくれたのです。良いフィードバックをもらったらすぐに開けるように手元においておきたい!わたしの書斎に並んでいる libros de consultaというライナップをご紹介します。
まずは、文法の親分です。本当はどでかい百科事典サイズの親分がいるんですけど、重いので普段遣いはこの簡易版。さっと手に取れます。正直に言うと最初はどこになにが掲載されているか、索引、目次のスペイン語を読むだけでも一苦労です(笑)。でもエベレスト登山の地図も簡単ではないと思います。ふふふ。
こちらも本当は親分がいます。こちらはポケットサイズのものです。(;) punto y coma っていつ使うのよ?なんなのよ?これ本気で難しいです。はっきりいってスペイン語母語話者の方の文章でもまちまち?です。けど、運転免許取得マニュアルのようなものですかね。できれば安全運転をご希望する方におすすめします。
上の2冊が1つにまとまっている簡易版こちらもいいですよね。
スペイン語で博士論文。いよいよテキトーでは当然、全然だめなわけです。
ここまでですでに何度も涙目になったわたしのスペイン語修行物語ですが、最初にスペイン語に出会ったときからおよそ30年経過した現在も涙目進行中です。スペイン語を母語としない日本語話者が50過ぎてからスペイン語で博士論文を書こう!などという無謀なチャレンジ。いよいよ「通じればいい」は当然ながら全然だめで、「ある程度のスムーズさで研究について口頭発表ができる」でもだめでした。「論文を書くためのスペイン語」には、大学、学部、専門領域、研究分野、そのなかでも、細分化されたテーマによって無数の「お作法」があります。学会での口頭発表と論文の間にはおおおおきな差がありました。過去いくつかの海外での学会発表も準備に苦労しましたが、一定の基準を満たす学術誌に投稿論文 escribir un artículo en una revista académica indexadaで採択される経験がこれはもうわたしにとってはエベレストでした、、。現在進行中のこのお話はもしご興味がある方がいれば書いてみたいと思います。
最初にも書きましたが、そもそも「スペイン語ができる」の定義はそれぞれのひとが自分で決められる主観的で変化していくものです。その変化のレバーのひとつが、スペイン語でコミュニケーションをとりたい相手と自分が置かれた状況ではないかと思います。みなさんの今の定義はどのようなものか、どう変化してきたらすこし振り返ってみてはいかがでしょうか。あの先生や友達との出会いが転機だったな、という素敵な出会いの経験をみなさまもお持ちなのではないでしょうか。ではまた!