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仕事の難易度を基準に選ぶべきか?
通訳の仕事には、難易度というものがある。経験が浅くとも比較的お引き受けしやすいもの(テーマが一般的で、準備するための資料も過不足無く揃っている場合など)もあれば、専門的な知識や出席者に関する情報がなければ話についていけないものもある。これをX軸とする。もう一つの指標は、その通訳ができる通訳者がどのくらい存在して、どのあたりが標準レベルになっているか、である。自分の通訳パフォーマンスはそう悪くなかったと思っても、他にもっとパフォーマンスの良い通訳者がいれば相対的に自分の評価は低くなるし、自分では全くダメだったと思っても、そもそもそこに参入している通訳者があまりいなければ、至らなさに気づかれずにすむこともあるだろう。これがY軸である。
この分野はあまりやったことがないし、不安ではあるけど・・・と思って引き受けた案件が、まさにX軸Y軸共に上方限界超えていたことがある。資料は先端技術に関するものだったが、議論はその資料をベースにした(しかしそこには書かれていない)最先端技術に関するものとなり、しかもパートナー通訳者さん達はその分野について語れるほど詳しく、「先週の学会ででた話とちょっと重なってるわネ」と休憩時間に盛り上がっている。アカデミック領域、もはや異世界である。
仕事を紹介された時点でX軸の方はなんとなく想像できるが、Y軸は難しい。行ってみなければ分からない。自分にはまだ無理だと思う仕事を引き受けるべきか、駆け出しの頃に少し先輩の通訳者さんに聞いてみたところ、「難しいものもやっていかないと成長できない、という考えもあるけれど、やはりまだ力不足だったとしたら、自分だけではなくパートナーの通訳者にも迷惑かけてしまうから安請け合いしない方がいいと思う」と言われ、怖くなったこともある。「“なんとなく臭うもの“は引き受けないようにしている」という通訳者もいるが、その勘が合っていたかどうかは確かめようがないし、自分が疲れて消極的になっているときに勘がうまく働くかも甚だ心許ない。あれこれ気を揉んでも仕方ないし、結局は結果論のような気もするから、私は今のところ基本的に遠慮せずお引き受けし、最善を尽くすようにしている。
さてその異世界の仕事。針のむしろのような1日が終わり、自分自身のパフォーマンスを振り返って無力感にさいなまれた帰り道。既に日が暮れ、ライトアップされた大通りでは鈴なりの若者達が楽しそうに写真を撮りあっている。そんなフォトスポットならついでに撮っていくか、と人々の隙間からスマホを構え、なんとなく隣のカップルの「はい、チーズ!」にあわせてシャッターボタンを押す。その次の瞬間、撮ったばかりの写真を確認したカップルの女性がこちらを見て、「おねーさんのおかげでいい感じでフラッシュ焚かれてます!ありがとうございます!」と嬉しそうにスクリーンを見せてくれたのだ。最後に思わぬところで人様のお役にたてた一日となった。
執筆者:川井 円(かわい まどか)
インターグループの専属通訳者として、スポーツ関連の通訳から政府間会合まで、幅広い分野の通訳現場で活躍。意外にも、学生時代に好きだった教科は英語ではなく国語。今は英語力だけでなく、持ち前の国語力で質の高い通訳に定評がある。趣味は読書と国内旅行。