思ったより優しい本だった〜『正しい本の読み方』〜【11月読書本チャレンジ17】
今日取り上げるのは、橋爪大三郎氏の『正しい本の読み方』です。この本を知ったのは今月7日目のチャレンジで紹介した『人生を変える読書』に載っていたからでした。
『積読こそが完全な読書術である』から「読書本沼」に本格的にはまった風のある私は、『人生を変える読書』であった「本のネットワーク」という話にとても興味を持ったからです。世にある本は何かそれ以前に出た本を何かしら下敷きにしているものであり、お互いにネットワークを築いている。そのネットワークの結節点にあたるのが古典だ、ということでした。
ところがそれだけ興味をいただいておきながらすぐには読み出せませんでした。著者の橋爪大三郎氏は東京工業大の名誉教授の社会学者で、哲学やその他難しそうな本を書いていらっしゃったから、尻込みしたのですね。
しかし、読書に関係する本というテーマで今月のチャレンジを始めた手前、読むしかない、と思って手に取りました。すると……なんだかとても優しい???
けっして「易しい=easy」というのではありません。まなざしが優しいと表現したらよいのでしょうか。「そのぐらい読まないと」とか「本たるものは」といったご高説を下されることもありません。なぜあなたがこの本に手を出したのか、本を読まなくては、と思ったのかについて、冒頭にこうあります。
このようにかんで含めるような形で本の読み方を知ることについて書いてあります。ホッとしました。
さあ、では本はどうやって読めばいいのか? まず大事なのは「すなおに読む。ともかく、素直に読む」ということです。「これは違うんじゃないか」「これはイヤだ」など反論や感情はひとまず置きます。読んだ後では賛成も反対も構わないけど、読んでいる最中にはやめておく。慎重に過不足なく意味を取り出そうとする。その作業はデッサンのようなもので、鉛筆一本でできると思ってもこれがなかなかに難しい。
そして、
なるほど、これは面白い例えだと思いました。私にはとても分かりやすかったです。『積読』で表現された脳内のビオトープがここでは頭の中のファイル、その著者のスペースになっている、という感じでしょうか。これはけっして本の内容をしっかり記憶しておく、ということではありません。「本を覚えるのではなく、本のことを覚える」と後の章に書いてあります。頭の中に仮想自分の図書館ができる、という感触ですね。
私の頭の中にもあります、その図書館が。でもあまり整理されていません。おまけにところどころ消えかかっていたり、飛び地になっていてどうやっても進めない本もあるような……この数年でシャカリキに絶賛整備中ですが、どうも片づければ片づけるほどまた新たな荒野が現れる異次元空間という感じですべてがスッキリとはいきません。
でもこれは死ぬまで終わらない話かもしれませんね。広がりが止まるときは人生が終点にたどり着いたとき、なのかもしれません。通訳者や翻訳者という人種が好奇心や探究心を失うのは、引退するときになるのでしょう。それまではたくさんの本の著者に住んでもらうことにします。
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