良書は心に温かし
「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」
この本は、いとこから心の処方箋としてもらった。
病気になった連絡をしたその日の夜、数時間後にはドアノブに本がかかっていた。僕の家の住所も曖昧なまま、嗅覚でなんとかたどり着こうとしていた(住所は結局教えたけれど)、そんなハートフルないとこである。
ご丁寧に用法まで添えて。
僕は今、適応障害からくるストレスで中度のうつ病と診断され休職中である。新しい職場での自責の念が続き、「誰でもいいから助けて欲しい」そんな心持ちで心療内科に行ったら、この診断を受けた。感情のコントロールが効かず不意に悲しくなる。食欲もなく1日1食生活。何時に寝ても朝4時頃に必ず目を覚ます睡眠具合。そんな心身ともに衰弱した僕に彼女が本をくれた。
何にも興味がなく、やる気もゼロの状態が続いて、ぼんやり過ごした。
どうなっちゃうんだろう。何にも感じないな。嬉しいことって何だっけ。
医者からも転職した方がいいと言われたし、次の仕事はどうしよう。
モヤモヤしながら寝て食べてを繰り返した半月後にこの本を読んだ。
薬を飲み終えた僕は、心の健康を取り戻せた気がする。
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「母に「死んでもいいよ」といった日」の章で、岸田奈美さんのお母さんが下半身の感覚が無くなり
「ほんまは生きてることがつらい。ずっと死にたいって思ってた。」
と口に出すシーンがあった。
状況は違うし、死にたいと思うまで症状は悪化しなかったけれど、読んでいて自分と重なった。
仕事のこと、家族のこと、お金のこと、全部のこれからが想像できない。
未来はいつだって今と地続きで、もっと良くなることを想像しがちだ。病気はそれが根底からひっくり返る。
「本当だったら、今ごろ...」
「みんなは段階を踏んで考えていくだろうに、なんで自分だけ」
受け入れるまでは不安と自責で前に進むこと考えるひまはなく、全部が嫌になる。
本の話に戻るが、そんなお母さんに著者である岸田奈美さんが放った言葉は
「2億パーセント、大丈夫!」
なんてハチャメチャで、根拠のない言葉だろう。だけど、お母さんは絶対救われたと思う。良くわからないけれど大丈夫なんだと最愛の娘が言っている。何も見えない暗闇のなか、太陽が殴り込みにきてくれたみたいだ。
読んでいて笑ってしまった。
「Google検索では見つからなかった旅」の章は、バリアフリーが整っている沖縄旅行が検索した限りでは選択できるものがなく、旅行代理店のスタッフさんの努力で行けることになった話だ。
岸田奈美さんのお母さんが
「歩けなくなっても、本当に来れた・・・」
と感動しているシーンがあった。
潮風のぬるさとにおいを、真っ青な海を、もう見ることはできないと思っていたものを、もう一度体感できたのはどれだけ嬉しかっただろうか。
病気になると自分のことで精一杯で、見える世界が極端に狭くなる。今できたことはできないだろうと自分で枷を付けがちだ。それをぶち壊してくれた最愛の娘。
僕はそれを想像して泣いた。
他にも素敵な話はたくさんあるけれど、紹介しきれない。
全てを読み終えて、赤ちゃんの初めてを喜ぶ親のように自分の感情が動いたことが嬉しかった。今まで持っていたはずなのに、どこかに置き忘れていた。
まだ泣けるんだ。まだ笑えるんだ。まだまだ気持ちが動くんだ。
そう感じた時から、少し前向きになれた。海に行きたいし、キャンプもしたい。居酒屋でビールとぶりんぶりんのレバー串をかっくらいたい。本も読みたいし、素敵な文章に出会いたい。恋愛だってしたいし、おしゃれもしたい。楽しみなことをたくさん見つけ始めた。「死ななきゃ、なんとかなっちゃうよ」幡野さんの言葉は、心のお薬手帳に書き留めておきたい。
まだ投げやりになるわけにはいかない。
まだまだこれから。
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休職中という時間が有り余る中、僕を救ってくれているのは読書だ。今まで何度も「読書は大事」と見聞きしたが、それを裏付ける実体験として今後も語るであろう時間を過ごした。
幸運にも今回僕は、何千何億という本の中から、自分にぴったりの良書に出会った。
この経験は、時には薬のようにすばやく、時にはお守りのようにゆるやかに、必ずまたどこかで僕の心を温かくしてくれるだろう。
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あやなちゃん(いとこ)プレゼントしてくれてありがとうね。薬はすっごく効きました。
執筆された岸田奈美さん、ご家族のひろ実さん、良太くん、この本を世に出してくれてありがとう。最高な家族ですね。僕が感じているのでそうです。本はお守りのように大事にしたいものになりました。
そして天国にいる浩二さん、娘さんが執筆されたエッセイで僕は騒がしいくらい感情が動きました。つらい時期を救ってくれて、とても大事にしたい本になっています。あなたの家族は赤の他人の僕から見てもとっても素敵ですよ。