花は死にとても近い
根拠はないけれど、楽園には萼(がく)から溢れそうなみたこともない芳しい花々がたわわに、所狭しと咲いているのだとわかる。
こちらに来てから初めて住んでいる街を離れ隣の州へ運転をする機会があった。
市街地から1、2時間も車を走らせると鬱蒼とした森林、広大な平地、大地を削るような大河がすぐそこにあり驚いてしまった。
序盤に、スコールのような大雨に遭ってしまって視界が一気に狭まったときは、ぞっとして急に速度を緩めなければいけなかった。
だがこうした雨は足が速い。しばらすると、夏らしいかな、分厚い曇の影が大地にだんだんと映りはじめ、天上の光が地表をゆっくりと覆っていった。
雲の晴れ間から刺す光線に、永劫沈黙を続ける大地の皺、少女のように賑やかな木々の波紋が浮かび上がる。
自然そのままの地球の姿が目下に広がる。切り出し刀を握った芸術家が木版へと太古の寓話を在々と刻むように。
それは畏れを抱かせる光景だった。何千年も前から当たり前にそこにあったものたちが陽炎のように立ち上り、その穏やかな眼光でこちらをじっと睨んでいる気がした。
それらは都市での生活において透明になっていただけのことで、ずっと昔から僕らの生活を延々見つめていたのだと思った。
道すがら、ごろごろと横たわる動物の屍。
ときにみたことのない生き物もいた。アルマジロだろうか、死んでも尚、抽象的なままだ。
朽ちて灰白色になった躯は死を祝う彫刻のパレードのように雄弁だった
*
翻って、改めてA市のことを考えた。
南部に鎮座する巨大都市。
それは数百年という比較的短い間に壮大な規模で開拓された場所だということを、僕は頭では理解はしていたつもりだった。
しかしその事実は、こうして人の営みから離れかつて「未開」といわれた大陸そのものが持つ意思の片鱗のようなものに触れてやっと納得のできるものだった。
かつてこの地を切り拓いた人々は、常に死を背負っていたに違いない。
自然という驚異に目を逸らさず、果てしない時間を死と対峙してきたに違いない。
だからこそ、生命の躍るような理想郷を目指したのだ。
今ははっきりとそうだとわかる。
街ができる前、まず最初に願いがあった。生きたいと願う強い意思。
思い返すと、A市にはいたるところに植物が植えられている。他の州から来たアメリカ人でもその地で隆盛する自然に驚く。
西海岸や東部では異常な生活費の高騰によって、今後多くの人が南方へと異動することが予想されている。
いまだ膨張を続ける緑の街。
もともとジャングルを育んでしまうほどの肥沃な土地を思い出させる背の高い木々を見上げ、街路樹の美しい並びがずっと先まで続く光景に目をやる。
庭先にバラ園と小さな林を持った優雅な家々が連なる。
大学周囲の林の一画に、誰も気に留めない苺畑がある。春先に足を運んだ際に、不自然なほど大きな赤い果実をつけているのをみて驚かされた。気を付けていても踏まず歩き切るのが難しいくらいだった。
街路や建物の敷地の至るところには大ぶりな花をぼろぼろとつけた木蓮をよくみつける。英国人の名前にちなんで英語圏では「マグノリア」と呼ばれる。水草で例えた日本名と比較して大仰な響きに聴こえる。
有数の治安がいいカウンティをゆくと、本当に天国にいるみたいに、花々から祝福をされているように感じる。それだけの密度の花々があることの理由の一つは単純で、建造物を設けるとき、その区画に一定の植物を植えることが州の制度で決められている。
そう、忘れてはいけないこと。
この国で目を見張らんばかりの花々に囲まれ生活を送るためには、必然的にそれなりの収入が要る。
天国にいくにはいつの時代もチケットが必要なのだ。
それでも、1年を過ごす中で、A市の美しい横顔をいくつもみることができた。
思った以上に四季がはっきりとしていて、気候は聞いていた以上に日本に似ているとも思った。
僕はただ生きていく術に必死だったので、気がつくとあっという間に時が過ぎてしまったと実感する。
だが、街を歩くのに退屈をしたことはなかった。
身の安全に気をつけることさえ忘れなければ、それはとても気持ちが良い経験だった。
こうして人間がうかうかしている間に、南部の花は季節とともに色を移ろい、そして枯れていった。
そのことは、何処にいても平等な時間の流れへの、信仰にすら近い畏敬を僕に思い出させた。
気がつくと足元に盛大なほど散らばっている花弁を、ただ美しいと思った。
いや、残酷で偉大な時間というものが実体として目の前に現れたとき、そう思うことしかできなかった。
絶望することは信じることに似ている。
花は死にとても近いと感じた。
*
往復で12時間程度のロングドライブだった。
僕は、運転をする時間が好きだ。他に何もすることができないから、考え事をするのに適している。
決まってそういう時、僕は過去を思い出すばかりだった。
昔、患者さんからポリ袋に入ったたくさんの白い石をもらったことがある。
家族はおらず、地方の病院の療養病床に長く入院していた方だった。
よくよく聴くとそれはその方の昔住んでいた家の敷石だという。
看護師さん達によると普段から宝もののように大事にしていたものだったらしい。受け取ることはできなかった。
それでも彼はそれを何度も何度も渡そうとした。
ビニール袋の表面は皺だらけで不安になる程脆く、その内ではくるめられた白い布の隙間から乳白色の硬そうな石達が覗いていた。
そもそも担当する患者さんからの贈与品ということもあり丁重にお断りしたけれど、そういえばそれは、群生したクチナシの花みたいに艶があって綺麗だった。
車窓を流れる強い生命力をもった緑。褐色の大地。朽ちた骨。
思い出す過去が、不思議なほど感情に肉薄する南部の原風景に溶けていった。
きっとあれもこれも花束だった。
そう思える出来事が過去にたくさんあった。