三千院の観音像とダムタイプの共存する京都 2/2
炎天下、タオルで拭っても拭っても汗はふきだす。
夕方の木陰はまだ歩くことができたので、ゆっくり食事を終えてから、閉まりかけの三千院を見学した。
初めての場所だったが、きっともう一度訪れたい場所になった。さらに大人になってから訪れるとまた一味違うのではないかと思わせる奥ゆかしさと親しみやすさのある空間だった。
(前回の続きです)
美しい立体的な庭園を抜け、苔むした院の周りぐるり、緑色の世界は永遠みたいだった。
中心には極楽堂が静かに鎮座していた。有名な「大和座り」の観音像は遠くから眺めるつもりでいたが、柔らかい物腰の若いお坊さんがどうぞ中へ入っていってくださいと言ってくれて、舟底のような天井をしたお堂に入ることになった。言われるがままに拝観席に跪くと、ちょうど観音像と目が合うようだった。暗がりの中で控えめに輝く黄金の観音は想像していたよりずっと優しくて、干渉せず見守られているような不思議な気持ちになった。こんな親になりたいと思った。心地のいい場所だった。普段から特段、寺社参りをする方ではないし、場違いと思いつつだったが中に入ってよかった。これほど穏やかな気持ちになるとは思わなかった。
雑巾掛けをしていた途中でも、こんなふうに声を掛けてくれたあの若者はきっと素晴らしい僧侶になるな
と、我ながら信じられないくらい偉そうなことを考えた。
三千院を出る頃にはもう太陽が傾き、日差しも昼間と比べられないほど緩やかではあったものの、まだ夏の様相であった。咲き残った紫陽花のアンティークみたいな紫色はまだ輝いていた。
京都出身の友人に教わった鴨川にあるkafe工船に行った。
勧めてくれた方ももうそのことを忘れていたくらい前、数年来の念願だったのではしゃいでしまって、スパイスアイスの乗ったコーヒーフロートを頼んだら抜群だった。
深い珈琲の香り、70年代ポップス、歩くたびに軋む2階フロアの白木の床がいい味を出していた。
自転車部品に囲まれた座席にひっそり座っていた店長らしき方によると、店の入るこの古い建物は戦前のもので、戦後は米軍のビリヤード場になっていたらしい。
カフェの前にはDumb Typeの事務所が入っていたらしい。
「らしい」としか言えないんだけどねといって笑う中年のセクシーさがまた憎らしかった。