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ジョグジャの石臼

ジョグジャカルタ、現地ではジョグジャと呼ばれる。
インドネシアの人たちが話すと「ヨグジャ」なんて聴こえたが発音には自信がない。語学には耳が良くないといけないなんて残酷なことを言う人がいるが、自分の耳が良いか悪いかなんて皆目見当がつかないので、要はそういうことなのだと思う。(少なくとも自分が音痴なことだけは経験からわかる)

ジョグジャはインドネシアの日本で言うといころの京都みたいな場所であるらしい。
当時付き合っていた恋人が、ある日、インドネシアにビジネスを勉強しに行くと言い出して驚かされた。そのまますぐ、彼女はジャワ島にあるジョグジャカルタからほど近い場所にある某学術都市に半年の間いってしまった。
当初はあっけにとられていた僕も、本気だとわかってからは寂しいよりもむしろ誇らしかったので周囲にまるで自分のことのように吹聴し、そしてそのあまりないであろう機会にあやかった。
当時は研修医になったばかりだったが、無理に予定を合わせ彼女のいるタイミングでそのアジアの大国を訪問することが出来た。
僕は昔から休みをとることにはどんな労力も惜しまない。無理な勤務表を上司に心配されながら、研修医機構(仮)という誰のためにもならない既得権益機関に睨まれないよう適当にでっち上げるられものをでっち上げ、なんとか1週間を捻出した。

現地でみた様々について、今でもときに考えることがある。
ぐるぐるとかき混ぜる毎にそれはコクを増していくカレーのような記憶。
過去の自分にとって未来である自分、その現在地に無理やりとってつけた心許ない二軸に沿って、あるべき座標の位置を鍋底でぐつぐつと思索するような時間。

僕が到着した日、空港での待ち合わせに彼女が馴染みのシャツを着て迎えにきてくれた。褐色の肌が眩しかった。
そこから直接ジョグジャに向かった。静かな田園地帯にあるオランダ人経営のヴィラを見つけて予約していた。
当時の僕はあまりにまっさらだった。将来の計画も何もなかった。
ずっと田舎にいた半端な貧乏学生が東京に出て一人暮らしを始めたものだから生活に必死でお金を使う時間もない。使い方も知らなかった。
派手な生活を送る性質ではないので、デパートで言われるがまま作ったゴールドカードを持て余した。贅沢といえばひっそりと手頃なビンテージのジーンズを買ってひとりにやけたり、こつこつと歯の矯正をしたりといったところだった。そんな生活の中で突然ふってきたこの旅行は、自分の中でかなり特別なものだった。事のはじまりからそれまでの学生旅行とは少し違った趣があった。

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宿を探してたどり着いたのは水田の広がる開けた土地の真ん中、小さな愛らしい屋根のレンガ作りのヴィラだった。
ぱっと中に入ると別世界。
天蓋の付いたベッドを中心に、絢爛たる織物が幾重にも天日干しされたように、円状に張ってある立体的な室内は、たとえれば景気がよくかつ出不精な遊牧民のゲルみたいだった。
観光地らしからぬ控えめな趣味の美しく、知らない生き物の溢れる庭、離れの建物も含めレンガ造りで統一された気持ちの良い場所だった。他にも宿泊客はいたみたいだけど数えるほどでほとんど顔を合わせることもなかった。東南アジアの気温や湿度を感じさせない、不思議な快適さだった。
今も時々、このときのオーナーから写真でいっぱいのカラフルなメールが送られてくるので、特殊な世界情勢だがなんとか経営は続いているらしい。

そのヴィラのある一画の離れにある厨房で、現地のシェフからフィッシュカレーのレシピを教わった。

調理中は、当時使っていたニコンのカメラで夢中になってシェフの一挙手一投足を撮った。
ときどき、そのときの写真をぱらぱら見返している。
彼の分厚くて節くれだった指をみるとあの独特の香りが充満したキッチンの様子がこま切れの映像として脳裏に浮かぶ。切れ切れの記憶として。
当時の暑くて辛くてジメジメした感覚が、今はすべて小さな写真の一枚一枚に無理やりに閉じ込められ永遠に封をされてしまったようにも思われる。
つぎはぎの記憶を歪なストップモーションのように動かしてみると、あの頃真っ黒に焼け生命力に溢れた恋人と、相対的にやたら白い肌をした自分がどうしようもなく懐かしく思われる。
このイメージがあのときのリアルな感覚の記憶ではなく、過去を振り返るためのハリボテのようなものだとわかっていても、どうも写真の中の自分がどこまでも頼りないななんて思うし、あのときの彼女はあまりに優しすぎたと思う。
二度と再現することのできない過去を本当に愛おしむとき、写真なんてもう撮りたくないなと思うことがある。

小柄でずっしりとした人のいいシェフの言われるがまま、できあがったカレーは驚く程美味しかった。細かくとったメモや沢山の写真があるのでいつか再現したいと常々思ってもう数年が経つ。

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もし再現するとすれば。気候や野菜を含めた材料も違うので、きっと住んでいる土地にふさわしい具材を選ぶ必要がある。満ち引きする波が孕むテセウスの逆説のように、時間という軸を前にして同じものはもう決して生まれないのだ。
そんな中、道具はやはり大事だと思う。
重くて持ち帰れなかったけれど、調理に欠かせなかった石臼をいつか必ず手に入れたい。
汗を滴らせながらその日見た光景。熱帯の空気が充満したキッチンの中で、百万年生きたようなリクガメを思わせる存在感の石臼がひときわ目を引いていた。すり棒も鉢も遠目に見ると心配になるほどざらざらした表面をしていたが、手にとってみるとキラキラ反射する粗い材質であるもののとても硬い鉱物なのがわかった。いくらこすり合わせても互いを削り合う様子はない。
強い西日が差す時間帯だった。シェフのお手本をみてから、これならばと僕も作業を手伝ったがその重さに驚かされた。腕から、腋から、全身から、玉のような汗が次々と浮かび上がった。
墨色の体躯。そこまで大きくないが存在自体に重厚な迫力があって、僕には香辛料から野菜までどんなモノでもひとつにしてしまう魔術的な装置に思えた。
手始めに、見たことのない色のニンニクやトウガラシ、名前のないスパイスたちを放り込む。緑黄色の混じった光る鞘から植物の内蔵みたいなタネが、どろっと飛び出し色素の濁流に加わる。
手を動かしつつじっとみつめる。強い香りと飛沫のようなものに目がいたくなるようだった。世紀末の海で生ぬるく真っ赤な波に飲まれすべてを諦めるサーファー、、、熱気に飲み込まれているのは僕の方か。
暑さに朦朧とし、気がついて覗き込むと臼のなか皆、天罰みたいに無感情な石臼に擦られ潰され、終いにそれはペンギンの離乳食みたいな形状になっていた。
それにしても暑かったのを覚えている。
冷房のない半分野外に開けたキッチン。水中ほども湿度がありそうなアジアの熱帯の空気の中、だらだら汗を流しながら、社会人になりたてだった当時の僕の抱く不安や期待、浮ついた気持ち、絶望、後悔、幸福も全部が溶け合っていくようだった。

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シェフの手

雨季、水田とホタル。これが僕らの原風景かとしみじみ諭すようなヴィラが好きだった。ときどき外を出歩いて古い寺院の遺跡などに行った。
通りを歩けば、混沌としたエネルギーの充ちるこの国で僕らひとりひとりが孤独に思われた。
東南アジアは初めてではなかったが、大通りの不快な排気ガスのようにつきまとう矛盾と不条理に、僕はこのときも向き合わなかった。

自分自身の弱さに対比して、真夜中のヤモリのノックや屋根裏のコウモリに少しも動じない相方の逞しかったこと。年も上で「落ち着いていて大人びている」と当時誰からも言われた僕は、いつも彼女の前では子供だった。
誰かのためにと必死で働いていたが、正直何事にも自信が持てず、何も成し遂げていないことが苦しかった。
これからどこに向かって歩けばいいのかもわからなかった。
この旅を通して確かに思えたのは、これから僕らは自分達の足で進んで行くしかないということだった。
学生の頃にした旅では考えもしなかった、この自分自身がばらばらに離散したくなるような感覚は、鈍くて重い足かせのように鬱陶しくて、それでいて誇らしかった。

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旅を終え彼女に感謝を伝え、ひとり東京に戻ると、長い雨の季節が待っていた。
疲れからか少々熱が出てしまい床に臥せつつなんとか病院の業務に戻った。
帰国して最初の休日、当時いちばん気に入っていた竹橋の美術館を訪れた。その日はたしか台風が来ていた。日本の建築にまつわる良い展示だった。最終日だったからか、悪天候にもかかわらずたくさんの人で混雑していた。
僕はこの頃、美術館に行くことが休日の楽しみだった。
特に現代美術に興味が出てきた時期で、最先端の科学や哲学、逆に土着信仰、さらにはアニメや漫画などを題材にインスタレーションといった手法や、日の目を見る前のテクノロジーを使い表現をする現代美術家に感心していた。
同時に、最新の美術の動向を追っていると、これまでのアートをみる視点にも変化があった。資本家とアーティスト達の距離感が気になるようになってきた。勝手ながら、僕からの一方的なわだかまりというか、芸術が僕らから遠ざかっていく感覚とでもいおうか。そういう煮え切らない感覚もあって、その頃から僕はだんだん民藝や建築、家具などといった、より生活に近い芸術表現、もしくはその有様そのものに感心を持ち始めるようになる。
この展示はそのはじまりのようなものだった。

兎にも角にも、その日はなるほどとてもセンスのいい展示だったな、なんて思いながら帰路についた。雨上がりの東京の湿度をまだ心地良良いと思えるくらい旅行の感覚は抜けきれていなかった。
美術館から鶴橋野駅までの道のり、土地の高低差があり見渡すと水も緑も多い。
東京は中心にいくほど公園が多いというのは田舎者には新鮮だった。
ふと顔を上げると雨が止んでいた。
そういえばそれはその年最初の台風が過ぎ去った日だった。
やっと地面に両足を着いた感じがした。