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ヨクナパトーファの日々

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2022年アメリカ南部からの便り
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記事一覧

花は死にとても近い

根拠はないけれど、楽園には萼(がく)から溢れそうなみたこともない芳しい花々がたわわに、所…

羊
2年前
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美しい名前をつけること

いつか愛する人の子に凛とした美しい名前を与える。 例えばそんな未来のたったひとつの行為の…

羊
2年前
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谷川俊太郎の合唱曲にみる現代人の言葉、僕らと太宰治にとっての書くこと

僕は芸術家でも文筆家でもないけれど、自分なりに書くことの意味を大事にしている。 自分に許…

羊
2年前
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現像とパトローネ

こっちに来てから初めてフィルムを現像に出した。 一年近く入れたままだった20枚×2 のハーフ…

羊
2年前
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ジョグジャの石臼

ジョグジャカルタ、現地ではジョグジャと呼ばれる。 インドネシアの人たちが話すと「ヨグジャ…

羊
3年前
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三千院の観音像とダムタイプの共存する京都 2/2

炎天下、タオルで拭っても拭っても汗はふきだす。 夕方の木陰はまだ歩くことができたので、ゆ…

羊
3年前
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三千院の観音像とダムタイプの共存する京都 1/2

日本を離れる前に行きたい場所のひとつに京都があった。 人もまばらな鴨川周辺に驚きつつ、真夏の古都の暑さを逃れるように大原へ向かう道がとても快適だった。 過去・未来に囚われずにと言おうか、何人によっても妨げられない意志を貫き、その瞬間を無邪気に過ごせることが以前より少なくなった。その日は幸運にもそんな時間だった。 昼には、もう数年は顔を見たくないくらい大量の(豪勢な)鮎、鮎、鮎尽くしを食べた。東京にはあまりない、地に根ざした快適な上品さのある地方の山の辺料理だった。 記

日本にある異国「ベース」に住む、そしてモルダウが流れる

ベースと聴いて米軍基地であるとすぐに思い至る人はきっと身近にベースがあった人だと思う。 …

羊
3年前
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さよならだけが人生ならば

(タイトルは引用、寺山修司『幸福が遠すぎたら』より) 以前の職場で、それはある種の研修プ…

羊
3年前
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フィルムカメラの重み、記憶の軽さ

あとX日 僕は渡米する。少なくとも数年は帰らない。 記録を形として残すためにフィルムカメラ…

羊
3年前
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「インドには行くべき時期がある、その時期はインドが決める」

日に日に息が苦しくなった。 砂埃やガスが立ち込める路上ではタクシーが捕まらずいつもリキシ…

羊
5年前
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映画館で、このシーンつまんないなって思いながら笑えるときこそが最高の瞬間だ

阿佐ヶ谷のミニシアターでウォン・カーウイの「恋する惑星」を見た。 邦題である「恋する惑星…

羊
6年前
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