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本質的な“ファッション”は写真に映らない[ファッションリベラルアーツ vol.24]

バレンシアガのコレクションで見た“滑稽な光景”

BALENCIAGA 2025年夏

上記の写真は、BALENCIAGA 25年サマーコレクションの様子を写したものです。このショー映像を確認している際に「ファッションショーもここまできたか…」と、つい感じ入るものがありました。

ここでわたしが注目したのは、バレンシアガが提案する前衛的なストリートスタイルの数々ではなく、ランウェイを取り囲む無数のスマートフォンです。
ファッションショーのフロントロウ(最前列)には、ジャーナリストやセレブリティ、バイヤー等ファッション界を牽引する参加者が配席され、ブランドの権威を示すのが一般的です。
そんな関係者達が、ランウェイに身を乗り出してまでスマホを向ける様子がわたしにはどうも滑稽に思えました。

ここであえて“滑稽”と表現したのにはいくつか訳があります。

ファッションはカメラに映るのか?

この“ファッションショーとスマホ”を巡るタイムリーな話題として、ザ・ロウ2024-25年秋冬シーズンのショーで採用された“とある禁止事項”が挙げられます。

ザ・ロウ2024-25年秋冬では、コレクションの出席者に対し、会場での全ての撮影と映像のシェアを禁止するよう求めたのです。
撮影を禁止する代わりとして、座席にはノートとペンが用意され、アナログな方法による記録と発信のみが許可されるという異例の事態に。

この動きに、一部のメディアでは「SNS上での論争を呼んでいる」とした上で「ファッション界に再び壁を巡らせ、関係者以外を排除するためなのだろうか?(ELLEより引用)」と否定的な意見を含む記事を掲載しました。

しかし、ザ・ロウが敢行した撮影およびSNS投稿禁止の措置は、“ファッションの関係者以外を排除する”という以上に“クリエイションの本質を即興的にその目で確認してもらうため”という狙いがあったように思います。

そもそも、目の前でファッションショーが行われているにも関わらず、必死にスマートフォンという板を通して鑑賞する姿勢には、甚だ疑問です。

服というクリエイションを直視する

わたし達の記憶にも新しいコロナ禍においては、ファッションショーの発表がスマホを通じた間接的なものにならざるを得ませんでした。
多くのファッションブランドがリアルな場でのショーを断念し、オンライン開催に切り替える中、オフラインで“直接服を見てもらうこと”にこだわったのが日本を代表するブランド コムデギャルソンです。

VOGUE JAPANの取材の中で、「なぜコロナ禍においてもリアルな場でのショーを選択したのか」を問われたデザイナー 川久保 怜さんは次のように答えています。

デジタルで見ていただくという方法は考えられませんでした。デジタルで見ていただくということは、また別の、映像というクリエイションが入ることになります。服については、服だけを見ていただく、というふうに考えたいと思いました。やはり(会場に)来て、そばで見るということに意味があるのです。

コム デ ギャルソンの川久保玲が今、思う「服のちから」。VOGUE JAPAN より

服というクリエイションは、カメラで捉え切ることのできない表現であり、ファッションショーはあくまで「服だけをそばで見る場」なのです。

バレンシアガのショーを囲んだスマホの“滑稽さ”

BALENCIAGA 2025年夏

ファッションショーが終了すると、いくつかのファッションメディアにおいて当日中にコレクション写真が掲載され、翌日には公式のYouTubeにショー映像がアップロードされるにも関わらず、ランウェイの下からスマホを構える彼らの意図はなんでしょうか。
ショー映像でフロントロウに注目するとよくわかりますが、モデルを直視することもせずに、自身のスマホを必死に確認している参加者が少なくありません。
(いや、そんなの公式からアップされる写真と動画の方が鮮明に写ってるに決まっているじゃん!)

フロントロウに座る彼らは、もはや“バレンシアガのクリエイションを見にきている”というよりも“バレンシアガのコレクションに参加している自分を誇示している”だけなのだろうな…と。(バレンシアガに限らず、さまざまなブランドで見られる光景です)

“クリエイションの本質を即興的にその目で確認する”どころか“クリエイションの表層をあとから見るようにスマホで撮る”というのが、個人的には滑稽だと感じました。
しまいには、ランウェイにスマホを置く人が出てくる始末。SNS用の動画を撮って、自分がバレンシアガのコレクションに参加したことを報告したいのでしょう。
そりゃ、ザ・ロウだって、撮影とSNS投稿を禁止にしたくなりますよ。

わたしはこの記事を通じて「一切の写真を撮るべきではない!」と断言したいわけではなく、あくまで写真撮影に終始してしまうのって、勿体無いな…という個人的な意見です。

コレクションだけでなく、我々のプライベートなスタイリングも、撮影やSNS目線に終始せず“その場”を楽しみたいものだなと思います。

やはり(会場に)来て、そばで見るということに意味があるのです。

コム デ ギャルソンの川久保玲が今、思う「服のちから」。VOGUE JAPAN より

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