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ハイブランドが無駄に高い理由[ファッションリベラルアーツvol.18]

かつてバレンシアガが販売し、一部界隈を騒がせた“20万円のゴミ袋(バッグ)”や“22万円のボロボロスニーカー”。
その価格の裏付けは一体どこにあるのでしょうか。

Balenciaga

たしかに、20万円のゴミ袋にはカーフスキンレザー(最高級の牛革)が使用されていますし、22万円のボロボロスニーカーはまるで先ほどまで道端に落ちていたかのようなリアルなユーズド加工が手作業で施されています。
しかし、いくら素材や工賃を考慮しても“20万円”を超える値打ちを即座に感じることはできません。

では、次の写真を見てください。

マルセルデュシャン『泉』1917年

なんの予告もなしに便器の写真を見せてしまいすみません。
しかし、この便器は単なる便器ではありません。

読者の中には、既にご存知の方がいるかもしれませんが、これはフランスの芸術家[マルセル・デュシャン]によるアート作品『泉』です。
この作品をはじめて鑑賞した際にどのような印象を持たれたでしょうか。

如何いかんせん、“便器”ですから、一般的に“芸術”というカテゴリーの中で想定されがちな高尚な印象や高潔な造形美からはかけ離れています。
しかし、[デュシャン]の『泉』はこの典型的なアート作品の常識から乖離していたことにこそ真の価値があったのです。

[デュシャン]は、高尚とされる芸術から最も距離のあるものとして、あえて適当に買ってきた“男性用の便器”にサインをしただけのものを“アート作品”とラベリングしたのです。
その行為と作品(便器)は、それまでの社会で形成された美的価値観に一石を投じるものでした。

その後、上記写真で示した便器『泉』は紛失してしまい、全く別の便器に[デュシャン]が改めてサインをしたものがレプリカにもかかわらず、約2億円で落札されます。
印象派の有名画家による絵画でもなければ、『泉』のオリジンでもない作品が“2億円”という異例の価格で落札された背景には、この便器を通じて[デュシャン]が示した“美的価値観の一新”という姿勢に、値打ちがあると判断されたからです。

ひるがえって、バレンシアガが発売した“20万円のゴミ袋(バッグ)”や“22万円のボロボロスニーカー”はどうでしょう。

エルメスのバーキン、セリーヌのラゲージ、ロエベのパズル、マルジェラの5ACのようにハイブランドの“顔”ともいえる「バッグ」というカテゴリーの中で、あえてゴミ袋の形を模したバッグを販売するというアイロニカルな姿勢。
ハイエンドなブランドにも関わらず、貧乏人のようなボロボロのスニーカー。しかもその形といえば、スニーカーの中でもかなりオーセンティックなコンバースのようなフォルムをしているわけです。

この正統に対するカウンターは「固定化された美的価値観への疑問視」であり、その姿勢はさながら、便器をアートだと言い張った[デュシャン]の姿勢と重なります。

だからこそ、バレンシアガの“ゴミ袋”は20万円が妥当であり、“ボロボロスニーカー”が22万円であって然るべきなのです。
それは単に形而下のバッグやスニーカーというモノ(形を伴ったもの)としての価値を優に超え、形而上の姿勢(形を伴っていないもの)にこそ、価格の裏付けが存在するのです。

全てがそうではありませんが、ハイブランドがリリースするプロダクトの多くが表面的ではない「妙なオーラと説得力」を有しているのには、アイテムの背後にブランド独自の姿勢のようなものが秘められているからなのです。
今回は、ハイブランドが無駄に高い理由をアート的な視点で解釈してみました。案外、“無駄に高い”わけでもないのです。


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