「礼儀」への思い
「それって『無礼』じゃない?」
そういう目線が欲しい
なんとなく、人は「礼儀」の観点を忘れてる、蔑ろにしてるような気がします。
ある親は、子に対して「あれはやっちゃいけないよ」「これをやったらだめだよ」と色々なことを禁止するわけですけど、数ある理由の中で「危ないから」って強いですよね。説得力があります。
こんな場面があったとします。
親戚が訪ねてきたので居間でなんとなく皆で話している。そこへ5歳の子供が鉄砲のおもちゃを向けたと
そこでの叱り方で「弾が目にあたったらどうするの!」というのがやはり強力です。
礼についての文章を書こうとしてるわけだから、僕としてはそこに「それって無礼じゃないですか?」という目線に切り込んできてほしいんですね。
礼節を説くのは大変です。礼儀はお金になりません。数値化できないんです。いわゆるフィーリングの世界の話です。実質的でなくて確固としてないものをついなめてしまいがちです。
「それって、イミある?」そんなふうに思いがちです。礼儀は絵にかけないし、数字にもできません。
「浮気は悪い」ことの理由として、パッと思いつくのは相手を傷つけるだのなんだのということですよね。単純に感染症という観点からもパートナーを守ることにつながるという意味もあります。
そこにも、「礼儀」という発想が割り込んでほしいんです。「それって、失礼だよね」と、そんなふうに思える余地が欲しいんです。
電車でもコンビニでも、無礼な人がいます。それは別に悪いことじゃないでしょう。悪じゃないんです。ただ僕の中で、「ひょっとしてこの人『無礼』っていう概念を長いこと忘れてるんじゃないか、礼儀の意識がすっぽぬけてないか?」という気がするだけなんです。無礼をつっつきあうようなギスギスした感じがほしいわけじゃないんです。
形にならないけど、礼儀だってインパクトがありますよね。無礼だと言われたらドキッとします。僕自身、自分で意識した時にはハッとしました。
武道をする人が多くいます。子にさせる親もいます。
そういうところでお金と時間を費やして学ぶ最も大きな目的に、僕は礼を学ぶことがあると思っています。
試合に勝つためのテクニックとか、ストレスの発散とかはその後でいいなと思ってます。
みんな礼儀という言葉は知ってるのに、何か形式的なものだと思ってたりするのかなと思うこともあります。そうじゃなくてもっと精神的なところに落ち着いてるものだと思っています。パフォーマンスとしてのレイとは分けて良いのかなと。
目に見えずとても難しいものですけど、僕にとっては抹茶と灰色の、大好きな概念なんです。
もし忘れているなら数あるものの見方の中に、礼儀という観点も組み込みこんでほしいと思っています。
この物質主義的な、イミを追求したい空気の中に自分なりの"無意味"な「礼儀」の席を作っておこうと思います。そんな文章です。