無印良品のコンセプトがすごい
原研哉さんのデザインのデザインという本を読んだ。
知らない単語がたくさん出てきたり、難しい比喩が多くて、3〜4割程度しか理解できなかったが、とても面白い本だった。原研哉さんはとても広い視野の持ち主で、本を通して私の視野も広がった様に思う。
この本は2003年に出版されたものなので、これから書く情報も当時のものである。
原研哉さんは無印良品のアートディレクションを担当している。アートディレクションとは視覚的表現(広告、グラフィックデザイン、装幀、パッケージ、インタラクティブ、映像、環境・空間など)の方向性を決めたり、計画を立てたりすることである。
初期の無印良品のコンセプトはものの生産プロセスを徹底して簡素化することで、非常にシンプルで低価格の商品群を生み出すことだった。無印良品はそれまでの演出過剰だった商品の中で、簡素で独特な美意識を持った商品群を出し、日本のみならず世界中に衝撃を与えた。
しかし、発生当時はプロセスの合理化で価格優位を産んだが、産業が労働コストの安い国でものを生産するようになったために価格面での優位を保てなくなっていった。同様の方法に徹すれば、価格面での競争は可能だが、無印良品の思想は「安価」に帰するものではない。また、労働力の安い国で作って、高い国で売るという発想には永続性がない。したがって現在では、最も安いということではなく、最も賢い価格帯を追求し、それを消費者に訴求しなくてはならなくなった。
製品に触れることで新しい生活意識が鼓舞されるような、そういう啓発性を持った商品が無印良品の理想である。しかし、突出した個性や特定の美意識を主張するブランドではない。「これがいい」「これじゃなきゃいけない」というような強い趣向性を誘発するような存在であってはいけない。すなわち「これがいい」ではなく「これでいい」という程度の満足感をユーザーに与えること。「が」ではなく「で」なのだ。無印良品の場合はこの「で」のレベルをできるだけ高い水準に揚げることが目標である。
これは個人的な意見だが「これがいい」で、ものを選ぶのはコストがかかると思う。まずたくさんの商品の中から、気に入るものを探すコスト。そのようなものは美意識が高い分、値段が上がり金銭的なコストも増え、そうして集めたものたちを管理するコストもかかる。
「これがいい」でものを選ぶと、ものへの執着が増し、結果的に不自由になるというケースも少なくないと私は思う。
例えば、ものに囲まれて暮らしていると気軽に引越しができなかったり、ものへの愛着が強すぎるあまり、必要な時にものを手放せなくなったり、ものへの基準が高くなりすぎてお金を使いすぎたり、それで生活に必要なものを買えなくなったりすることがあると思う。
私は「これでいい」でものを選ぶ方が身軽だし正しい選択を選びやすいと思う。ものに必要以上の感情を持つと、感情が大きい分間違った選択をしてしまう可能性があがると思う。それにどれだけ良いものを持っていたとしても、自分が偉くなる訳では無いし、死んだらどうせ何も残らない。ものへの執着なんて無い方が身軽で正しい選択ができるこではないか?と思う。だから無印良品の思想には共感してしまった。
無印良品の商品のすごいところは「無印良品の製品が触れることで新しい生活意識が鼓舞されるような、そういう啓発性を持ちつつも「これでいい」と思わせるようなデザインをしている」ことだ。この2つを両立させるのはデザインの高い技術が求められるし、それを実現させていることに驚いた。
まとめ
私はこれまでも無印良品の商品をなんとなく良いと思っていたが、それは鋭いコンセプトとそれを実現させる高い技術から出来ているということに気づかされた。
何故無印良品の商品に良いと思うのか、本を通して明確に理解できて良い読書体験であった様に思う。