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私の永遠のヒーローは、いつまでも色褪せることなく

昨秋は父の10周忌。
そして今年も父の誕生日を迎えました。
  
もし生きていたら、父と同じく起業の道に歩みを進める私に、どんな言葉をかけてくれたのだろう。ここ最近、そんなことを考えていました。
  
きっと少し照れながら激励してくれて、経営者としてのアドバイスを一つひとつ教えてくれたに違いない。そう思えば思うほど、父を亡くしたことが、より一層惜しく思えます。
  
典型的な九州男児だった父は、家族に対して威厳がある父を演じていたのでしょうか。いつも高い山の頂のような存在でした。

いつかは父に近い存在になって認めてもらいたい。そのために全力で頑張って、早く追いつきたい!そんな風に、生意気だった若かりし頃の私は思っていました。
  
大学時代、私が経営学を専攻した時、母にだけ「いつか会社を継いでくれたらいいな」と話していた父。当時は想像にも及びませんでした。歳を重ねるごとに、そんな父の愛情にふとした瞬間気が付いて、はっとさせられることがあります。こんな風にして、父の年齢に近づいていくのでしょうか。
  
九州の宮崎で生まれ育った父は、海のことにも山のことにも詳しくて、毎年のように海水浴や山登りに連れて行ってくれて、景色の中にあるものを一つひとつ教えてくれました。
  
写真やデッサン、8mmビデオ、ギターや洋楽、男の手料理など、たくさんの趣味を一緒に楽しませてくれました。今でも私は父の影響を大きく受けていると感じます。
  
私が小学1年生の時、父は20代最後の歳。
運動が得意で、背が高かった父は、運動会でもヒーローそのものでした。同級生からの「お父さんカッコいい!」という歓声が、誇らしくも恥ずかしくもありました。
  
その頃、父は一人で起業し、数十年かけて会社を多角経営へと発展させていきました。もちろんずっと順風満帆だったのではなく、経営とは、良い時も悪い時も乗り越えていくものだと、子供ながらに悟ったものです。
  
ゴルフが大好きで、私と行くのを楽しみにしてくれていました。一緒にラウンドした日は、目を細めて、「うちの娘もやるだろう!」と友人たちに自慢していました。
  
その後、社会人になった私は、仕事に没頭していました。いつの日か父のようになりたくて。

そんなある日、突然父は急逝しました。

病院に向かいながら、逞しくて強い父が死ぬわけない!と自分に言い聞かせました。やっと対面できたのは、父がすでに息を引き取った後でした。手のひらを握ると、ほんのりとあたたかく眠っているかのようでした。
  
そして何年か振りの実家へ行くと、
父が買ってくれた新しいゴルフクラブ一式が、新品のまま置いてありました。
  
それはある日、父が私をゴルフショップに誘ってくれて、新しいクラブを買ってあげるから、好きなのを選びなさいと贈ってくれたものでした。私が仕事にかまけている間、そのゴルフクラブは、一度も使われることがありませんでした。
  
父はずっと、私とまたゴルフをするのを楽しみにしてくれていたに違いない。そう思うと涙が止まりませんでした。
  
私はいったい何をしていたのだろう。
なぜ父が楽しみにしていたことも、一緒に出来ずにいたのだろう。そう考えては後悔ばかりしていました。
  
父の葬儀を終えた翌週、私は職場に戻り、全国での新作発表会の開催をリードし、司会通訳をこれまで通り務めていました。当時は、登壇前のルーティンがありました。一人メイクを整え、鏡の中の自分に向かって、「今日も成功させるぞ!」と声を掛けること。
  
父を亡くして直後のイベントだったこともあり、一人になる度に父のことが思い出されました。ふと、葬儀に来てくださった父の親しい友人の言葉がよみがえりました。
  
「お父さんに、目鼻立ちがそっくりだね」
  
子どもの頃から、母に似ていると言われていた私は、不思議そうな顔をしていたかも知れません。
  
改めて鏡の中の自分を見つめてみると、それまでは気が付かなかった“父の面影”がありました。
  
「私のなかに、まだ父が生きている」
  
気付くと涙が頬をつたいました。力を振り絞って自分を励ましながら、全国で10回以上続く登壇を盛況に終えました。
 
あの日からずっと頑張って来れたのは、父の力強い魂に支えられていたからでしょう。
  
10年経った今でも、ふいに父が「ただいま」と帰って来そうな気配がします。
  
もしそれが叶うのなら、最後に一度だけでも一緒にゴルフに行きたかった。経営者としての心構えや秘技、うれしかった出来事や苦労話など、もっと聞いてみたかった。お酒を酌み交わしたり、本音で何かを話したり、一緒に喜んだり、泣いたりしてみたかった。

後悔が消えることはないけれど、一歩ずつ前に進む私たち家族を、父はいつも近くで見守ってくれていたように思います。
  
これからも、父が遺してくれた遺志を大切に生きていきたいと思います。
  
そしていつか、天国でまた父に出逢えたら、「よくがんばったな!」と褒めてもらいたい。
  
お父さん、いつもありがとう。
いよいよ私も起業して、お父さんを目指すよ!

この決意が、天国の父に届きますように。
  
写真は、父との最後のドライブの写真。
父は車が大好きで、晩年はLEXUSがお気に入りでした。この日は暖かく、夕陽を追いかけながら家族で夕食に向かいました。みんな父とのドライブが大好きでした。
  
母は父の車を手放す決心がなかなかつかず、5年以上もガレージに残したままでした。やっと決心した頃には買取価格が半分以下に。資産管理に人一倍厳しかった父。「お父さんが知ったら怒られちゃうよ、お母さん」、「そうだよね」とみんなで微笑みました。

父の急逝から10年
私の永遠のヒーローは、いつまでも色褪せることなく

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