躁でも鬱でもない世界

忘れられない光景がある。15、16歳だったと思う。真夏の8月の真っ昼間だった。その日俺は、大阪の花博鶴見緑地公園広場という所にいた。「大日本プロレス」という場末のプロレス団体を見る為である。この会場は本当に何もない屋外の広場で、周辺をブルーシートで囲って外からタダ見は出来ない様になっていた。俺はお小遣いでチケットを買い、楽しみにしながら、1時間掛けて電車に乗って来たのだった。当時は地図アプリなどなく方向音痴な俺は駅から会場に辿り着くか心配していたが、プロレスのTシャツを着たファンらしき人の後ろを付いていくと、無事着く事が出来た。大日本プロレスは貧乏団体で、受付では社長兼レスラーのグレート小鹿が切符のもぎりをしていた。

会場に入ると真ん中にリングがあり、端の方には売店があった。レスラーが売店にいたり、その周辺を歩いていたり、小さい子供が会場を走り回って遊んでいたり、メジャー団体にはないゆっくりとした自由な空気が流れていた。牧歌的という言葉があるが、本当にそんな雰囲気で、羊やら馬やらを眺める様に、ぼんやりとリングを眺めていた。

痩せた新人レスラー、太った巨漢レスラー、無名の女子レスラー、自称メキシコ出身の覆面レスラー、猿の着ぐるみを着たレスラーもいた。当時の俺にとっては全員がヒーローだった。今だったら同じ楽しむにしても、斜に構えて、アラ探しに励むだろうが、当時は違った。プロレスを無防備に全て信じていた。そんな俺でも、空き地で鬼ごっこをしているかのような、あまりに緩いプロレスに、ボーッとする事もあったが、それはそれで心地良かった。

これまでとは打って変わり、この日はメインで「山川竜司 対 シャドウWX」のデスマッチが行われる予定で、俺は緊張で試合開始前から何度も唾をゴクっと飲み込んでいた。山川が車に乗って入場した。俺は興奮していた。ただ、その後の試合内容はあまり覚えていない。もう25年前の話だ。盛り上がっていた。二人とも血が出ていた。確かWXが勝ったはずだ。あと覚えている事が一つあった。試合終盤、俺の隣にいた人が突然「いま何が行われてるんですか?」と聞いて来た。不思議に思いつつも、「WXが蛍光灯で山川を叩きましたよ」と伝えると、おぉとすごく嬉しそうな顔をした。おそらく視覚障害者だった。目が見えなくても、見たいものは見たいんだな。凄惨なリング上とは違い、会場にいるみんなが幸せな気分だった。

あの頃の俺は躁でもなかったし、鬱でもなかったし、その中間でもなかった。躁と鬱の中間が落ち着いている状態とされている。当時高校生の俺はただ高校生というだけで、病気になった今以上に気分の波が激しい日もあったはずだ。でも躁・鬱・中間なんて概念はなかった。今はどんなに調子が良い日でも、中間から抜け出せないでいる。

親が首を傾げるものでも、好きな物は好きと言い、面白かったら笑い、驚いたら声をあげ、意味なんて求めず、感想を言う為でもなく、呟く為でもなく、誰かに頼まれた訳でもなく、誰かの視線に動かされた訳でもない、山川がリバースタイガードライバーを決めた時、俺は感情のままガッツポーズを挙げた。夕方の心地良い風が、汗で張り付いたTシャツを乾かし、そのまま体を通して心にも吹いていた。

25年前の出来事が、俺の病気のこの先のヒントになりそうな気がしている。もう一度、あの日感じた風を、心に吹かすことが必要なのだろう。俺はプロレスを30年以上見ているが、碌に内容も覚えていないこの日の「山川竜司 対 シャドウWX」を、今まで見た中で最高の試合だと思っている。

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