根性論

俺は高校時代、柔道部だった。部員は俺と友達の二人で、そこに顧問が一人と計三人で練習をしていた。その頃の俺は躁でも鬱でもない健康な高校生だったが、病的に怠け者であった。顧問が見てない所では、もちろん練習はしない。道場にある小窓から、可愛い女子を覗いて時間を費やしていた。顧問は学校で一、二を争う恐い先生で、俺達はよく怒られたが、その中でも一番よく怒られたのは、「痛がるな!」という事だった。要は根性見せろという事だ。俺達は柔道の練習中、めちゃくちゃ痛がっていた。普段の練習不足が祟って、柔道家とは言えない体をし、受け身を取る度に「痛い痛い。」と口にしていた。ある日、寝技の練習中に手の甲を擦りむいてメソメソしてた。案の定「痛がるな!」と怒鳴られるのだが、あまりにも俺達が痛がり怯えるので、顧問は怒りながらも、笑いを堪えきれず吹き出していた。あの頃、俺達はただの根性なしだった。

今だに柔道のルールはよく分からない。体育会系の部活に所属しながら、汗、涙、忍耐、協調性、達成感、感動などとは無縁に過ごして来た。だが柔道では培われなかったはずの根性が、なかなかどうして今になって、鬱の時に姿を現すのだ。今日、先人達のお陰で俺達は鬱の時に休む事が出来ている。それまでは周りから根性論で責められ、酷い扱いを受けて来た様だ。その時代を逆行するように、俺は鬱の時に根性論を取り入れている。鬱の強い時は動けないので無理だが、頑張る事を良しとしないこの世界で、俺は根性で頑張っている。柔道部での偽りと誤魔化しの日々に、根性がひん曲がってしまったようだ。これはもう性とか癖の問題で、鬱になる以前から時間を掛けて形成された俺の性分である。捻くれてる、天邪鬼と言われても、もうどうしようもないのだ。

頑張った結果どうなるか。仕事を早退して帰って来る。仕事に行ったはいいが、始まる前に倒れて帰って来る。そもそも職場に辿り着く前に、駅で引き返し帰って来る。何だったら症状も悪化して、欠勤も伸びてしまう。良い事なしだ。だが、時々、本当に根性で何とかなったりする日もある。そんな日の帰り道は、背中を丸め重い足取りの中、ほんの少しだけ充実感を味わう事が出来る。割に合わない頑張りだと言われても、俺はやってしまうのだ。

ただこの方法は他の人にはお勧めはしない。鬱の時は休んだ方がいい。下手をすると死んでしまうので、素人が簡単に手を出せるものではない。これはあの柔道部で鍛えられた者にしか出来ない荒技なのだ。

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