夜更かし 2025.2.20
久しぶりに夜更かしをしている。元々、夜更かしは大好きで、平日でも寝る時間は遅かったし、休みの前日の夜は、毎回朝方まで起きていた。昨年入院してからは規則正しい生活をしているので、本当に久しぶりである。今夜は眠くなる薬は飲まなかった。改めて思う。この薬を飲まなければ、俺は延々と起きてられるのだ。逆に言うと、ずっと眠れないのだろう。
YouTubeでPIGGSのライブ映像を見る。俺はPIGGSのKINCHANの事しか考えていない。俺の頭の中の9割はKINCHANで、後の1割は仕事、家族、将来、病気、諸々である。noteで同じ病気の人の記事を読むと、本当にみんな病気について深く考え、自分と向き合っているなと思う。俺なんて、この前KINCHANが髪の毛を切ったことで頭がいっぱいだ。つくづく何でこの病気になったのだろう。鬱病は誰にでもなる病気といいながら、いざなったら、真面目で責任感がある人がなるとか、一体誰がなっているのだろう。それを知るためにnoteはかなり有効なツールだ。俺は自分の精神の安定の為に、noteの機能であるスキやフォローなどは何もしないことにしている。だが、スキしてくれた人の記事はメチャクチャ読んでいる。過去を遡って、最初から読んでいる。何だったらスキしてくれる前から知っている人もいる。ある時、#躁鬱病や#双極性障害あたりにベッタリ貼り付いていたから、覚えていたのだ。
PIGGSの「SUPER BAD」のPVのKINCHANは本当にカワイイ。スカジャンが似合うなんて思わなかった。このPVの、KINCHANが最初に登場するところがカワイ過ぎて、何度も戻して見てしまう。そんなKINCHANも、鬱の時は途端に色褪せてしまう。無音の白黒の世界で踊るKINCHAN。もう飽きたのかなと思ってしまう。元々飽き性だから、よくもった方だなと。この病気になってから、色々なものの興味を失ってしまった。小学校の頃から好きだったプロレスも、音楽、好きなバンドも軒並み興味がなくなった。よくライブに行っていたのに。PIGGS以外は鬱が治っても興味は戻らなかった。でもこの前、銀杏BOYZを見に行って来た。高3の時にGOING STEADYの「さくらの唄」が出たので、所謂ど真ん中世代だ。病気関係なく嫌いな時もあった、芝居ばっかしやがって、ドラマなんか出やがってって。結構長い間、納得行ってなかった。実際その頃のライブはダメだったと思う。「峯田さん、ありがとう」とか叫んでいる人の気が知れなかった。でも興味がなくなることはなく、文句言いながらもライブには通っていた。ある日、コロナ禍に行ったライブは素晴らしく、やっとミネタを許すことが出来た。俺ら信者の抱えているミネタに対する愛憎はすごい。あの頃の、GOING STEADY、銀杏BOYZは確かに宗教だった。最近ライブに行くと若いファンも多いけど、何かライトな感じでライブを楽しんでいるようだ。俺は今も、じっとり重い目線でミネタを見ている。油断するなよ。今回のライブは普通だった。別に関係ないけど、去年銀杏BOYZ見に行った後に、入院したから、少し恐怖感がある。
昨年の入院を機に、Xをやめてはないが、PIGGSしかフォローしないようにした。PIGGSの情報を得るためにやってるようなもんだ。Instagramも同様にした。精神病の人はXはやめた方がいいと思う。何となく危険と感じるものには近づかないことだ。Xには俺達より変な人が多い。入院中はスマホは取り上げられたけど、自分がすごく健全な方に向いた気がした。Xに蔓延る邪悪なものと関わらなくて済むなら、その方がいい。Xに感化されて、周りを見ずに、おかしなこと言うようになった人が俺の周りにも、いっぱいいる。ああなるとタチが悪い、たかだか精神病の俺達では太刀打ち出来ないから、諦めた方がいい。テレビ、新聞では報道されない真実がどうとか言ってくるが、本当のことなんて知らなくていい。本当のことなんて面白くもないし、知りたくもない。世界は狭い方がいいのだ。俺は今日XでKINCHANの可愛い画像を見つけた。もう600枚を超えそうだが、とても健全な使い方だ。俺のXは今日も平和だ。
年明けから最近まで少し鬱を感じでいた。でも、ほんの少しだけで、仕事も出来てたし、眠れていたし、好きなものに興味もあった。体も頭も動いていたけど、ポツっと鬱っぽいものを感じでいた。医者は薬で抑えていたけど、やっぱり鬱だったんじゃないかと。今は落ち着いているが、隣り合わせに鬱があるんだなと思った。今は鬱よりアルコールに対する欲求が強い。この前飲み会に行った時には意外と飲みたい気持ちがなかった。それでも二次会まで参加すると危険な気がしたので、帰ろうかと思ったが、みんな二次会はどこでもいいというので、喫茶店に連れてった。パフェとコーヒーを注文した。アルコール依存性のゴールはどこだろう。アルコール依存性の友達は覚悟が決まっているみたいで、もう一生飲まないと言っている。それが当たり前かのように言っていた。俺はどこかで飲むと思っている、なんならそれを楽しみにしている。いつか飲むことは決まっている。じゃあ今飲んだらって話なのだが。あまり深く考えずに禁酒している方が楽だ。考え出すと禁酒の理屈のほころびをついつい探してしまう。問答無用でダメってされてる方がいい。やっぱりアルコール依存性は鬱に纏わりついている。4月から先生が変わるみたいだ。大きい病院は仕方ない。
冷めたココアをずずっと飲む。冷めたココアは夜更かししてるって感じがする。まだ1時だが、もう眠たい。以前は4時5時まで起きていた、一体何をしていたんだろう。今日はKINCHANのための夜更かしと決めているので、まだまだ見るつもりだ。「YOU KNOW ME」のライブ映像のKINCHANが好きだ。でも眠たい。本音を言えばKINCHANを見ながら、酔っ払ってそのまま寝てしまいたい。俺の心に足りないのはアルコールなんだろうか、それとも別のものだろうか。