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たくさんの人を集めようとせず大切な人に1人1人届けていく
音楽フェスでたまたま聴いたその声に魅せられて、自分が愛する地元にそのアーティストを迎え、コンサートを開いてしまうという、優しくも静かな情熱を持つ人、だいちゃん。
8月の初旬、1枚の小さなフライヤーをだいちゃんにもらった。
「たくさんの人を呼ぼうとは思っていなくて、来てほしいと思う大切な人に、1人1人伝えていっている。」と。
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そのフライヤーには「愛は生きること」という文字が躍り、「寺尾紗穂コンサート」と書かれていた。
「このアーティストは知らないなぁ… 」と思いながらも、「なんだか見覚えのある字面だなぁ」とも思っていたら、それもそのはず、自分がいつのまにかプレイリストに入れていたアーティストの1人だった。
* * *
会場は滋賀の彦根、旧豊郷小学校。レトロで良い雰囲気を持つ場所だった。
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階段には「うさぎとかめ」の物語をモチーフにしたオブジェ。
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音響にも配慮されたホールのあるこの校舎群は、老朽化に伴い取り壊されそうになった時、ここを愛する地元の人々の反対で保存されることが決まったそうで、「けいおん!」の聖地でもあるらしい。
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始まりの挨拶、このコンサートをやろうと思い立っただいちゃんの想いが優しくも強い眼差しで語られる。(動画で撮りたかったなぁ〜)
そして、寺尾紗穂さん登場。
ピアノに座るなり、歌い始める。第一声で会場の空気が変わる。
透き通った声は、天から降り注ぐかのような不思議な音色を持つ。
なんだかわからないが、2曲目の「柿の歌」で涙腺がゆるんでいる自分に気づく。歌われているのは、柿のこと。
「庭の柿も皆落ちた」 というフレーズが曲中にある。
父の実家は、今はもう無いが、そこに柿の木があり、手を掛けきれず落ちてしまった柿たちがそこらじゅうで潰れていた。
そんな物悲しさのようなものを、ふと思い出したりしていた。
その後も、人間が生きるなかで感じる、
"やるせなさ"や"やりきれない想い"が歌われていく。
会場からは、鼻をすする音や、涙に溢れた人々の音が聴こえ始める。
1つ1つの曲の前に、その歌が生まれたエピソードを少し話す。
少し話して、歌に入っていく。
サブスクでただ曲を聴いていただけでは広がることのなかった世界が、エピソードとともに広がる。
歌詞に込められた想いが、より高い解像度で伝わってくる。
何度、涙が頬を伝っただろうか。
いくつもの歌が、深いところに響いていく。
なかにはユーモラスな曲もあって、ほっこりしたり、
力強く響く鍵盤が、強く背中を押してくれるような曲もあった。
月並みな表現だが、心が洗われるような時間だった。
悲しみや、やるせなさに触れて、痛みを想い、心は沈み込む。
自身の奥底に沈んでいた暗澹たるものが、涙とともに流れ落ち、そこから自然と浮かび上がっていくように、心が少しずつ軽く、穏やかになっていく。
終わった頃には、なんとも言えない心地よさがあった。
この心地のいい空間で、ここまでのことを想わされる時間を過ごせたことは、今の自分に大切なものを宿してくれたような感覚があった。なんというか、軌道修正されたような感覚があった。
この人の声に触れてほしいと想っただいちゃんの気持ちが、会場の人々にも伝わっていることを帰り際の皆の表情からも感じた。
コンサートを開いてくれたこと、そしてこの場所をつくってくれた、だいちゃんを始めとする関係者の方々に、本当に御礼をしたい気持ちになった。なかなかここまでの気持ちになることもないと思う。ここで言っても届ききらないかもしれないけど、本当に良い時間をありがとうございました。
* * *
そうそう、そういえば、会場に向かうときにJRが少し遅延して、乗る予定だったはずの近江鉄道に乗れなかった。改札前で「乗れなかったなぁ… 」と視線を落とすと、そこには知った顔が。
8月の初旬、そのフライヤーを受け取った場に同じく居た友人が、同じく、電車に乗れず立ち尽くしていた。
二人とも、本来の予定よりも1本早い電車に乗ろうとして、乗れなかった。
目的地に向かう電車が次に来るのは、1時間後。
時間ができたし、ゆっくりお茶して、会場に一緒に向かった。
そういえば、しっかりと2人で話したことはなかった。
改めていろいろとお互いの話をして、気づけたこともあったし、ライブの感想を共有できる相手がいたことで、また、より深く味わえた感覚もあった。
人間、ひとりでも、ある程度はなんとかなるけど、やっぱり、誰かとつながることで、もっと大きなもんが受け取れるもんだわなぁ、なんてことを今回の締めみたいにしながら終わっていこうかと思います。
寺尾紗穂さん、よかったら聴いてみてください。
最新アルバムのタイトルは「しゅー・しゃいん」。
https://www.sahoterao.com/shoe-shine/
「しゅー・しゃいん」ってどういう意味だろうと思っていたら、曲ができたエピソードで、それがわかりました。
戦争で両親を亡くした戦争孤児の小学生が書いた文章があり、そこには日銭を稼ぐためのしていた靴磨きのことが「しゅー・しゃいん」と、ひらがなで書かれていたのが印象的で、この曲をつくりました、と。日本では戦争孤児のことは過去になっているけど、今も戦争孤児が生まれるような状況が続いている。それを想って生まれた曲とのこと。