お金があってもなくても楽しめるのが、豊かさかもしれない
先月末、地元から母が遊びにきたので、豪遊した。
新幹線で東北に行き、ホテルに一泊。
大浴場で久々に湯船に浸かったら、HPが回復した。
毎日入浴した方がいいとわかっているけれど、ワンルームアパートの狭い風呂場だと、シャワーで済ませがち。
ああ、お風呂が広いのって、とんでもなく幸せじゃないの。
湯上がりには、部屋の大画面テレビでネットフリックスを満喫した。
家にテレビがないので、貴重な時間。
ちなみに、見たのは話題の『地面師たち』。
エグい描写ありすぎて、終始心がざわついてたけど、おもしろさが勝った。
ご飯だって、楽しみまくった。
定食屋、中華料理、スーパーの寿司、喫茶店のモーニング……。
おいしいの攻撃力は凄まじい。一瞬にして幸せになれる。
非日常の贅沢は、何度経験してもたまらない。
悩み事も忘れ、ついでにnoteも更新せず(おい)、遊びまくった数日間。
ただただシンプルに、楽しかった。
とはいえ、富豪でもないわたしは、当然だけれど毎週こんなことをしているわけではない。
普段の休日は、豪遊とはかけ離れた暮らしぶりだ。
今日は予定もなかったので、郡を抜いて地味であろう。
午前中。買い物に行きがてらマックによった。
秋の味覚、月見パイとアイスコーヒーをオーダー。
駅前のベンチに座って、しばし勝手にティータイム。
あんこ大好き人間なので、月見パイは出るたび食べている。
今年はきなこも加わって、ますますおいしくなっていた。
毎年進化し続ける姿勢、見習おう。
その後、カルディでバジルソースを買った。
カルディのちょっとリッチでおしゃれな調味料を買うと、自尊心が高まる。
スーパーならもっと安く手に入れられるんだろう。
でもあえて、少しいいものを買うってこだわりが、自分を大切にしている感覚を芽生えさせる。
使った金額は1000円にも満たない。けれど心はものすごく満たされたように思う。
お金を使って得られる幸せと、そうじゃない幸せ。
優劣をつけて語られがちなこの理論に、わたしなりの答えを見つけたかもしれない。
結局のところ、どっちの楽しみ方も知っているのが豊かさなんだと思う。
たくさんのお金があれば、楽しみ方の選択肢を増やせる。
だからこそ多くの人がお金を求めるんだろう。
でも結局は、使い方次第だ。
手元に自由に使える10万円があったとして。
インスタ映えのために高級寿司を食べても、たぶんそんなにおいしくない。
一方で、大切な人を誘って普段泊まれないホテルでゆっくり過ごすとしたら。
10年たっても思い出せる豊かな時間を過ごせそう。
反対に、1000円だろうと使い方次第ではいくらでも楽しめる。
もっとお金があれば、旅行でも行くのに!なんて思ってイライラしながらコンビニ飯をかきこむのか。
スーパーで材料を買ってきて、インド人も嫉妬するほどおいしいカレーを作るのか。
楽しむ気持ちと知恵は、金額を問わず豊かさを生み出すんだろう。
わたしは、年収1000万になったとしても(ないとは言わせないぞ?)月見パイとアイスコーヒーで豊かさを味わえる大人でありたい。
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