「人と比べない」のハードル高すぎだから、得意なフィールドで比べればいい

美容師の友達Mと久々に夜喫茶をした昨日。わたしを含め、仲のいいメンバーはお酒をあまり飲まない。夜の集まりは専ら喫茶店やファミレスのお世話になっている。

彼女にはnoteの存在を明かしているので、最近書いた記事の話をした。変わらず読んでくれているらしくて安堵と喜びが。
しばらく話していると、Mが「自分もnoteを始めた」との報告を。
今わたしの周りではnoteブームが巻き起こっているっぽい。実は別の友達二人もアカウントをもっていると教えてくれた。

「書くのって意外に難しくて。〇〇(わたし)、すごいと思った。」
ありがたきお言葉だ。文章について褒められるのは、何度だってうれしい。

とはいえ、Mはわたしの何倍も得意なことがあると思う。
一緒にいるとハッピーになる明るい人柄、髪を切れる、手先が器用でイラストやデザイン系のセンスがある…etc

超絶うらやましい点ばかり。わたしはどれも壊滅的にできないんだから。

そりゃあ、人よりほんのちょいと文章を上手に書ける自覚はある(まあ、noteに入り浸ってるから一応ね)。
でも、多分それ意外に取り柄がない。ほんっとにそれだけな気がする。

口下手でコミュ力が低い、要領が悪くて運動音痴、不器用でデザイン系のセンスは皆無…。

周りの友達は、わたしにない側面を持ち合わせているタイプが多い。
ちょっと落ち込んでも「ま、いっか!」とすぐに気持ちを切り替えられる、気さくで話がおもしろい、ダンス部出身で、めっちゃかっこよく踊れる子だっている。
人柄も一芸も、みんな素敵すぎる。少しわけてくれ…。

そんな友達と過ごしていると、ついつい「えっ、わたしってまじで何もなくない?」と気後れするのはありがちなことだ。

自分はこんなに素敵な人たちと交友関係をもってていいんだろうか、不釣り合いなんじゃないか…なんて思ってしまったりもする。
もちろん、そんなの関係なしに付き合えるのが友達である。理解はしているつもり。

前よりだいぶマシになったけど、苦手なことが多く、人に助けられてばかりの自分には、今もまだ少なからずコンプレックスを感じている。

だから、気遅れするほどすごいと思っている友達に文章を褒められて、なんだか安心した。

というと、嫌なやつみたいに思われてしまうかもだけど、マウントを取りたいわけでは決してない。

他にできることがたくさんあるMでも、文章を書くのは難しいと思うらしい。
そして自分はやっぱり、文章を書くのがちょこっと上手なのかもしれん。たぶん、友達はそう思ってくれている。
なんて思ったら、コンプレックスまみれの自分も、少しは世界に貢献できてる実感が湧く。

そりゃあ、漱石のような時代を超えて受け継がれる小説なんて書けない。
noteの世界にだって、「なんでこんなん書けるん?」と地団駄を踏みたくなるセンスの書き手はごまんといる。

上を見ればきりがなく、だからこそ「他人と比較することに意味はない」と親からも本からも教わってきた。
なんならわたしも、noteに同じ主張の投稿をしたことだってある。
それだけ大事なことで、何度だって考えたいと思っているから。

とはいえ、誰もがネット上で自分の個性を発揮しやすくなった現代だ。
みんな薄々気づいているだろう。他人と比べないのなんて、ハードルが高すぎるって。

わたしには到底できないダンスを楽しそうに踊る友達の姿がタイムラインに流れてきたとき。

フォローしているあの人の新しい投稿が、「なんでこんなん書けるん?」と思うレベルだったとき。

無意味だとはわかってても、比較せずにはいられない。
ああもう、わたしもこのくらいできたらいいのに。自分にひどい言葉をぶつけ、全てを投げ出してしまいたくなる。

そうやって黒い感情に飲み込まれるなら、「まあ、同じ部署のメンバーでは、自分が一番note書いてる自信あるわ」ぐらい超自分が優勢なフィールドでの比較はありかもしれない。

自ら口に出すとマウント野郎になりかねないけれど、心の中で思って自分の平穏を保つ程度ならまあ、いいじゃん。相手をバカにする意図は断じてないんだし。

ん?「井の中の蛙やん」だって?
いいんだよ、だって本来は「他人と比較することに意味はない」んだから。


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いのすけ
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