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『フロイトとユングの危険なメソッド』(人間学)

 精神分析のフロイト、分析心理学のユングと言われているが、フロイトの弟子であったユングも基本的にはフロイトの無意識の概念を継承しつつ、オリジナルな研究を行った。フロイトは、人間の心の中には無意識の領域が存在し、患者の無意識内に存在するコンプレックスがヒステリー症状の原因と考えた。それを患者が明確に意識化することで治癒されると考えた。そして、夢に現れる無意識は抑圧された願望の充足を目的とし、多くは偽装された形で現れる。フロイトのエディプス・コンプレクス(近親相姦的願望)に代表される性の理論だ。

 ユングはフロイトよりも無意識を広く考え、意識によって抑圧された層を個人的無意識(≒フロイトの無意識)と、それより深い層にある人類共通とも言える普遍的無意識が存在するとした。そして、彼の患者の妄想や幻覚、夢や幻像などと、神話や昔話などのモチーフが類似することを追求した。

 これらの二人の無意識に対する捉え方の違いは、どこから生まれてくるのだろう。

 旧約聖書には預言者が語った預言書がいくつかある。預言の「預」は預かることを意味することから神から預かった言葉を預言者により語られるという形式でまとめられたものだ。イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルなどがそれにあたるが、基本的に神からの預言は夢に現れ、古代ユダヤ人はその夢で偽装された形を解釈する方法が確立されており、預言書が成立したという。無意識を夢で判断するという考えはユダヤ人であるフロイトの預言書の成立経緯が大きく影響しているのではないだろうか。

 またフロイトは、晩年に書いた論文「モーセと一神教」で、なぜヨーロッパでユダヤ人が迫害されたりしなければならなかったかをまとめている。ユダヤ人は怖い父親を倒して母親を自分のものにしたいという願望をもっており、父親への恐怖心も強くなるエディプス・コンプレクスそのままの状態で、ユダヤ社会はそうした近親相姦的な血縁のきずなと、それに伴うエディプス的な罪悪感に成り立っている。キリストが父親に対して反抗する息子、あるいは母親を父親からとってしまうような息子の代表として磔になる。それにより、旧約聖書的なユダヤ人のもっていたエディプス・コンプレクス的な家族的、血縁的なきずなから抜け出し、普遍的な人間愛とか倫理性に到達できた、としている。

 ちなみにフロイトは、60代後半に癌になり闘病生活を送っていたが、その頃に書簡に「自分はどんなことがあっても母親の生きている間は死ねない」、そして母親が死んでからの書簡には「自分はいつ死んでもいいという気持ちになれた」とあったという。フロイトは母親っ子だったのだ。

 デヴィッド・クローネンバーグ監督の映画『危険なメソッド』では、フロイトとユング、ユングの患者で愛人でもあったザビーナ・シュピールラインとの3人の関係から、フロイトとユングの決別は学問上の違いというだけでなく、実はもっと根源的な違いによるものだったのではないかと描かれている。ザビーナは、男性として慕うユングの子供を切望するようになり、ユングの指導の元で書き上げた学位論文を「精神的な子ども」と名付けていたにも関わらず、最終的にはフロイト派の分析医となり、フロイトのもとに行くことになる。この三角関係からもユングは、自分の進む道がいかにフロイトと違うかを位置づけようと努力せざるを得なかったのではないだろうか。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。