『死の講義』死んだら絶対に落とせという約束手形の各宗教別の解説(世界の歴史)
ドイツの哲学者ハイデッガーは何も考えないで生きる人を「ダス・マン」、人間は必ず死ぬという前提条件を意識し、残された人生をしっかりと生きることを「現存在(ダーザイン)」と定義した。本書は橋本大三郎氏が、ダーザインのようによりよく生きるため、人生の質を高めるために書いた死についての解説本だ。
死んだらどうなるかを整理し、宗教と照らし合わせると以下の6つに分類できる。
1)他の人間や動物に生まれ変わる(インドの宗教)
2)別の世界で永遠に生き続ける(一神教)
3)すぐそばで子孫を見守る(日本の宗教)
4)子孫の命の中に生き続ける(儒教・道教)
5)自然の中に還る(ユニタリアン)
6)完全に消滅する(自然科学、唯物論)
一神教としてユダヤ教、キリスト教、イスラム教の終末論の解説から、キリスト教は復活するから人間の行動が変わるとし、死んでも復活するから、罰を逃げられないことになる。したがって、神の主張が完全であるためには、人間は復活しなければならないとしている。イスラム教は現世と来世を原因と結果とする関係から現世の前項を促す。このことは解説されていないが、イスラム教の大きな特徴だ。インドはイスラム教に似ているが、現世の範囲で原因があって結果があると因果論で考える。カースト制を裏で支えるのがカースト制で、輪廻がないと考える初期仏教と、小乗仏教の輪廻が続く考え、輪廻をまたぐ大乗仏教、日本の浄土教のワープして極楽浄土に行けるという考え、禅宗の座禅が仏だという考え、中国の考え、日本の古事記の黄泉の国の考え、平田篤胤の発明した死んだら英霊になるという考えが幕末の官軍、明治の陸軍に結びついたなどの比較論が続く。
そして最後に、どれかひとつの死についての考えを選択しないとだめ、またどれかひとつを選ぶと、他の選択のことがよく理解できるとしている。さらに現在は、マルクス主義が退潮し、ポストモダンが主流になった。ポストモダンの本質は相対主義だから、世の中は元気がない。相対主義は人々の足を引っ張り、あなたの生き方は何の根拠もないという。相対主義こそ何の根拠もなく、そこからは何も生まれない。死からまじめに生きる価値を復権しよう、としたのが本書のテーマなのだろう。
森敦は、死と宗教の関係を『意味の変容』で以下のようにまとめている。
「生きているうちはとにかく、死んだら絶対に落とせという約束手形、そういう賭けをするものはだれだろう。ここに意味は変容して宗教となる」
死についての宗教別の考え方は分かった。しかしそれらは、絶対にそうなるという約束手形を発行した創始者がいるということだ。その創始者が発行した約束手形を受け取るかどうか、それとも、いつもニコニコ現金払いを信条とする6)の選択から、自らが創造した「ミーム」を残すという考え方もある。宗教を大前提としなくとも、よりよく生きることは可能だということだ。
Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。