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吉岡宿にしぴりかの映画祭のおもいで

なんで私は吉岡宿にしぴりかの映画祭の実行委員の活動を(こんなに一生懸命)しているのか、思い出して書いてみました。二日後から映画祭本番です。多くの方に映画祭を応援し、作品を観に来ていただきたいです。

■日時:2024年11月30日(土)・12月1日(日)
■会場:にしぴりかの美術館
(宮城県黒川郡大和町吉岡館下47)


2024/11 仙台市市民活動サポートセンター マチノワギャラリーの展示

2016年、にしぴりかに出会う

会場の「にしぴりか」という場所は宮城県大和町にあり、障害のある人たちのアトリエやグループホームや常設美術館や喫茶店があるところです。

https://m-kissa.com/museum/

そこで2016年に「見渡せば、知らないことばかりのこの世界。まずはゆっくり、近付いてみよう」というテーマで始まったのが「吉岡宿にしぴりかの映画祭」です。ドキュメンタリー作品をメインに上映しています。

2016年に、私は映画祭の始まりをSNSで知って、「違いがあっても共に生きること」を大切にしているように感じたので、こどもを連れて実行委員会に飛び込みました。大和町まではうちから車で40分くらいです。映画祭を始めるにあたって「生きづらさ」「障害者差別解消」などを「知らないものを知って」語り合い考えていきたいという呼びかけや、上映作品のラインナップにも関心があったし、ポスターのイラストも素敵で目をひきました。

そのとき私はなにものだったか

2016年の私は、なにものだったのかと思い出すと、その前の年に初めて仙台市議会議員選挙に立候補して次点、仙台市医師会看護専門学校に通い始めた看護学生でした。あとは、その選挙妨害をめぐって宮城県警を相手に裁判もしていました(2017年勝訴)。

こどもは3歳と2歳でした。私は地元太白区で育児サークルなどの子育て支援活動にも関わっていて、太白区まちづくり活動助成を受けて「2歳児サバイバルライフ」という本を3年がかりで作っていて、完成し自主販売活動を始めた年でもありました。未就園の小さなこどもと生活していると、外出するのにも一苦労で、こどもにとって大切な遊びやお世話をするだけでいっぱいで、いきづまって苦しくなるときもあります。育児サークルや親子の居場所づくりは、苦労を楽しみに変えてわかちあえるピアサポートの場をつくる当事者運動です。

当事者の場だけでなくて、小さなこどもを連れて「こどものための場所」ではないさまざまな場に出かけていくことも、場にとって意味のあることだと思っていました。もちろん、こどもにとってつらそうなところは避けますが、映画祭実行委員会はそうでないように見えました。

今になって思うのは、客席で音が出たり動きがあったりすることは、できるだけいい上映環境を作ろうとすることにとってはマイナスなので、それもあってか実行委員をしてきたけれど特に初期の頃は観ていない上映作品も多いです。それでも一緒にこれらの作品の上映をして観てもらえたぞと思えることや、感想を言い合ったりしている場にいるだけでも満足感がありました。

(※こどもが声を出しても大丈夫だったり、環境調整が必要な障害のある人も一緒に観られるようにして映画上映をしているところもあります)

記者会見にいった

この写真↑は、2016年第1回の実行委員会が、マスコミ向けに映画祭のお知らせをしているところです。クラウドファンディングもおこなっていました。

記者会見に「来れる人は来て~」という呼びかけで、私も出席していました。真ん中にいるのが実行委員長の小野田豊さんで、向かって一番左と四番目が映像作家の宍戸大裕さんと我妻和樹さんで、右端が難病者の活動をされていた故・小関理さんです。いつも写真を撮ってくださり、この写真には写っていないのが土屋聡さんです。

情報保障の取組み

今村彩子監督と、いのまた母子

この写真は、ろう者の今村彩子監督を筆談をしているところです。今村監督の作品は第一回の2016年に「Start Line」、2020年に「友達やめた。」をにしぴりかの映画祭で上映しました。

今村監督との出会いもあって、にしぴりかの映画祭は第二回から実行委員による「字幕制作プロジェクト」も立ち上がりました。聞こえない方にも映画を楽しんでいただけるように音声やセリフの文字起こしを行い、作品の上映と一緒に字幕をスクリーンに投影する「バリアフリー字幕」の制作を実行委員の有志を中心に、監督や配給会社、手話通訳者や外部ボランティアの協力のもとおこなうものです。私も字幕作りなどに参加し、『情報保障』を考えるきっかけになりました。

(今年、『こころの通訳者たち』という“舞台手話通訳”を映像にし"音声ガイド"をつける過程を撮ったすごい映画をみて、日本初のユニバーサル映画館「シネマチュプキタバタ」代表の平塚さんともお話しできる機会がありました。)

(にしぴりかの映画祭ももっとバリアフリーにしていきたいと、代表の小野田さんは考えているようで「知ることのバリアフリー」を目指してと協賛募集のページに書かれています。私ももっと学び共に実践していきたいと思っています)

聴覚障害者への上映作品バリアフリー
聴覚障害者も見られるように上映作品に字幕が無い場合には、字幕を付けて上映したい。

聴覚障害者への映画祭参加バリアフリー
聴覚障害者も参加できる映画祭として手話通訳ができる人を常に配置したい。

映画文化の地域格差バリアフリー
都市部ではなく吉岡宿という地方で良質の映画を上映し続けたい。

良質の映画提供機会のバリアフリー
偏りがちな映画文化提供の機会に対して埋もれていく良質な映画作品を掘り起こし提供し続けたい。

映画文化を通して語り合えるバリアフリー
素人にとってもプロにとっても、映画文化は共有される。ひざ詰めで車座で、じっくり「知る」ことについて語り合い続けたい。

いずれは視覚障害者への上映作品バリアフリー
視覚障害者にも伝えたい映画文化いずれは映画解説付き上映も実現したい。

ドキュメンタリー映画にも、聞えない方向けのバリアフリー日本語字幕がついている映画が多くなって、今年は実行委員が字幕づくりをしなくても、もともと全作品に付与されていました。

こどもと一緒に成長させてもらった

小さい2人がうちの子たち。ラーメンを食べられる成長を感じた

写真4]は、にしぴりかの美術館のロビー「街の喫茶店」で、こどもとラーメンを食べているところ。映画祭に向けて、上映作品を選んだり、準備をしたりなど、月に1回ミーティングをしていました。私は、こどものお世話をしたり遊んでいたりで半分も聞いていなかったように思います。映画祭本番では、ロビーで販売するパン屋さんをこどもと担当したりしました。

撮っていただいた写真や動画をみると、こどもと一緒にこの場で成長させてもらってきたのだなと、思います。

映像制作ワークショップ~観るのもいいけど、作るのも~

コロナ前の2019年までは月に1回のミーティングのときに、宍戸監督が講師になって「映像制作ワークショップ~観るのもいいけど、作るのも~」も実施していました。私は例によって、そのワークショップをしているまわりでこどもを追いかけたりお世話をしたりしていたのですが、あれこれ意見交換しているのをみて、私もその中に入りたいと思い、2018年に受講しました。子育て支援の仲間と活動していた「ママの居場所・ママンココン」が長町にオープンした様子をショートムービーに、なんとか作ることができました。[

写真は、せんだいメディアテークの「みやぎシネマクラドル・映像サロン」で、ショートムービーと情報保障の取組みを発表したときの様子です。自分で作品を作るのは難しいな…ということをそのとき学びました。

2024年の映画祭

にしぴりかの映画祭は、年1回の開催を重ねてきましたが、2020年から新型感染症が大流行。3年間は仙台に会場を移し縮小開催し、昨年だけはどこでも開催できなかったので、今年11/30~12/1に開催するのが第8回になります。

2024年、本来の場所で再開します。動画配信の普及や、宮城ではドキュメンタリーを上映する映画館がまた一つ閉館するなど、映画鑑賞をめぐる環境の変化がある中で、「ふだん訪れない場所に、知らない人たちが集まって、大きなスクリーンでドキュメンタリーを観る」ことを皆さんとご一緒に体験したいです。美術館には、形も大きさも違ういろんな椅子が並んでいるので、お気に入りの椅子を見つけてご鑑賞ください。

今年上映する作品は、生まれのルーツ、病気、過酷な体験などのまわりの人との「違い」を持っている「人」が映されています。「困難」や「絶望」はどこからやってくるのでしょうか。自分らしく生きられるその拠り所や手がかりは、どこにあるのでしょうか。足をお運びいただく皆さまと、感じたことを交換しあえたら幸いです。


わたしにとってのドキュメンタリー

もともと私の関心ごとは人文や社会で、趣味は市民活動です。そういった関心から、過去には社会問題をテーマにしたドキュメンタリー映画の自主上映会を運営することはありました。特定の社会問題に関心を持ってもらう/自分自身も理解を深める/映画を観て感想を話し合う場を共有する/ための媒体としてドキュメンタリー映画に接してきたと思います。映画自体には詳しくなく、ドキュメンタリーもたくさん鑑賞してきたわけではなく、観られるときに観ている、浅い関わりです。

でも、映画祭実行委員を続けてきたことや、みやぎシネマクラドルの映像サロンにもちょこちょこ参加するようになって、ドキュメンタリーを観る目が少しずつ確実に変わってきたと自覚しています。

映画配信サービスで「ドキュメンタリー」のカテゴリ検索をすると、大自然や生き物、有名人や場所を撮った作品が多くみられるけど、私が語りたいドキュメンタリーは少し違います。まだ知らない「人のいとなみ」に密着した作品。私も仕事柄「人のいとなみ」に近づいてお話を聞くことを大切にしていますが、でもドキュメンタリーの場合、もっとふつうで無い距離感で、さまざまな角度から被写体になっている人と近づいています。プライベート空間でしょっちゅうカメラを回されて公開されるのは、被写体にとってきもちいいものではないのではと思いますが、そこを許容される関係性を作って側にいて映し、見せ方の技巧を駆使して作品を仕上げています。映画という総合芸術を、ドキュメンタリー制作者は(きっと)低予算で作っていて、それを公開してお客さんを集めていてすごいな、ご苦労が多いだろうと思います。でも作らねばならぬ何かがあるのだろうと、それを受け取ることができたらと思って、いまはドキュメンタリーを観ています。

以上、みやぎシネマクラドル「わたしにとってのドキュメンタリー」に寄稿した内容に、大幅に手を加えて書きました。


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