見出し画像

虐待で1番辛かったこと

私が母親に受けた虐待は
身体的虐待

心理的虐待

ネグレクト
という感じで推移していった。

言う事をきかす為に力では勝てなくなったから、心理的に追い詰めたけど、それでも思い通りにならないから放棄したといったところだと思う。

私の虐待の中で私が1番きつかったのは、断トツでご飯が食べれなかった事。
他はこれに比べればなんてことなかった。
学校がある時は給食を食べられるので、ご飯やパンの余りは全て持って帰っていた。
腹がへったらおにぎりやパンを食べていた。
長期休みは最長で一週間食べられなかった。

盗みもやった。
だいたい2日に1度100円のパンで1日食い繋いだ。
家は軟禁状態なので飲み物もそうそう飲めなかった。
草も食べた。
その頃に、タンポポは二種類あって、西洋の方は食べられるが、日本のタンポポは食えたもんじゃないと知った。
空腹で歩けなくもなった。
栄養失調で入院もした。
入院中はずっと車椅子。
普通の点滴では間に合わず、心臓に直接栄養を送る手術もした。

心理的ストレスから心臓に負担がかかり、一度歩いている途中に心臓を思い切り握り潰された感じがして膝から崩れ落ちた事がある。

体重は170cmで40kgほどしかなかった。
体力が落ち、部活もついていけず、退部するしかなかった。
その理由も誰にもいえなかった。

私は働く為に面接をいくつも受けた。
当時は(今でもそうだろうけど)未成年が働く時には保護者の了承が必要だった。
その確認の電話が実家にかかってくる。
電話を出る権限は私にはない。
ことごとく辞めさせられた。
だから働く事も許されなかった。

母と父は同じ高校だったのだが、その高校の同級生がやっている鰻屋があった。
親父の方と繋がりのある人がやっていて、母はあまり面識のない人だった。
私はそこを黙って受けることにした。
世間体を1番気にする母は、多分そこだと反対できないと考えた。
読みは当たり、私は初めて働く事ができた。
まかないがでるので毎日働いた。
1日1食食べられるようになった。
卵焼き一個でおひつに山盛り3杯白ご飯を食べた。
めちゃくちゃ食うと可愛いがってもらえ、好きなだけ食べさせてくれた。
今でも感謝しかない。
もう店がなくなってしまったけど、あの店がなかったら私は生きてなかっただろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?