
noteチャレンジ②「好きな本や映画の紹介」:不寛容論(森本あんり)
### 2日目: 「好きな本や映画の紹介」
- あなたが好きな本や映画を1つ選び、その魅力や印象に残ったシーンについて詳しく書いてみてください。
今日は、この本について紹介しようと思う。
寛容であるということ
『寛容』を語るうえで、欠かせない格言がある。
私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る
これは、双方が『寛容』であることが前提だ。
どちらか一方が、
「私はあなたの意見には反対だ。そしてあなたがそれを主張する権利は命をかけて壊す」
という『不寛容』な人間であれば破綻してしまう。
また、この考え方を『寛容』と勘違いする人はわりと多い。そういう人ほど多様性の尊重を求める。
多様性の尊重はたとえば、不寛容で口が悪くて暴力的な人間の屑とだって共存をはかっていく営為だ。
それを「悪い多様性」として排除するのが、世に言うキャンセル・カルチャーだ。
正しいとされる価値観があり、それに賛同する人たちでつくる社会の中に「良い多様性」はある。
正しくない、自分たちとは異質の価値観を持つ人間は、"多様性"の箱庭から徹底的に迫害し放逐する。
つまり目指すところは【共存】ではなく【共生】。
共に生きられない相手とは一緒にいられない。
Xで、折に触れ擦られる"女だけの街"がいい例だ。
岡田斗司夫氏が語るところの『ホワイト社会』とはそういう世界観だと私は思っている。
端的に言えば、行動や発言が清く美しく、汚れなき漂白された「見た目がきれいな社会」ということだ。より具体的には人の悪口や暴言を慎み、放屁や泥酔などみっともない行動なき社会のことである。
話がズレたが、今回紹介したい本は、アメリカ開拓時代に生きたロジャー・ウィリアムズというひとりの男性の物語を軸に進む。
"世界一偏屈なピューリタン"の話
今、日本に生きる私たちは少子高齢化に直面し、"異質な価値観"をもつ人々───「クルド人」「土葬墓地受け入れ」などの問題に代表される、価値観の相容れない"不愉快な隣人"───と、【共存】できるかどうかの分岐点に立っている。
寛容とは自分と違う人や自分が否定的に評価するものを受け入れることなので、自分が無関心でどうでもよいと思っていることに対しては、寛容にも不寛容にもなれない。だから日本は、寛容でも不寛容でもなく「無寛容」なのかもしれない。
(中略)
それまでふだんは温和な近所づきあいをしていたのに、ひとたび相手を異物として認識するや否や、突如それが情け容赦のない排除に転化する、という戦慄のプロセスが見えてくる。
必要なのは、自分でも気づかぬうちに、温和な無寛容が凶暴な不寛容へと転化してしまわないように、われわれが常日頃もっている寛容の作法を歴史的な視野の中で位置づけ直すことである。
"寛容の作法"とは、内心はどうあれ最低限の礼節をもって相手と接することだ。
ロジャー・ウィリアムズは1603年、ロンドンでピューリタンの家庭に産まれ育った。
当時、イングランド王国で覇権を握っていた英国教会からピューリタンは迫害されており(諸般の歴史的事情はコテンラジオのアメリカ開拓史シリーズをどうぞ)、腐敗しきった国を見限ったロジャーは、1630年ごろアメリカ大陸へ渡った。
彼は、【政教分離】と【信教の自由】、そして【ネイティブ・アメリカンの権利】を主張した。
これらの思想は、政教ズブズブで先住民を野蛮人と蔑み、彼らの土地を奪い取ることを是とする同郷人たちにはウケなかった。
ロジャーは厳格なキリスト教徒で、神の教えに背く英国教会や、英国教会から離れるために海を渡ったくせにスッパリ縁を切れない植民地教会を許容しなかった。
とても不寛容な男だ。納得いかないことがあればすぐさま声をあげ、そこかしこで騒動を起こす。
政教『非』分離型の植民地政権の意志にそぐわない言動をしまくり、ついには追放されてしまう。
本国で異端だと迫害されてきたピューリタンが、アメリカ大陸ではロジャーを同じ目に遭わせた。
さて、過ちを犯したのはどちらか。
植民地教会の権力者であり、ロジャーとは旧知の仲でもある神学者ジョン・コトンとのレスバシーンを簡単に紹介したい。
***
コトン>
追放処分は致し方ないことだった。
その原因は他でもない、お前自身の行いのせいだ。
正当性は我々にある。
ロジャー>
そのとおり。私が自分の意志で教会を去った。
なぜなら他に道がなかったから。本国の教会も、本国と縁を切れないお前らの教会もクソだ。
そして私は"教会"を去っただけなのに、お前らは"植民地"から私を追放した。私は妻子を植民地に残し、真冬の原野を彷徨う羽目になった。
この迫害のどこに正当性が?
コトン>
お前が過ちを認めず、執行猶予期間も我々を挑発し続けた結果。大体、"追放"は本国への強制送還の手筈だった。真冬の原野へ飛び込んでいったのはお前。
***
わりとどっちもどっちな言い分で草。
時間切れ!(タイムオーバー)
その後もロジャーは色んな騒ぎを起こしながら、現在のロードアイランド州の開拓に携わることになる。ここからが面白いので、いつか機会があったら書き直したい。彼はずっと誰かと闘い、誰かに嫌われながら生きて死んだ。
正直、ロジャーが英国民が受け入れられる程度の"最低限の礼節"を持っていれば、もっと色々うまくやれていたのでは…と思わないこともない。
だが同時に、そんな彼とうまくやれずに見限ってしまった本国側の『寛容であり続けるために共存を否定する道理のなさ』が際立って映る。
現時点で、私は来たる"ホワイト社会"から共存を否定される自信しかない。
共存を否定する相手と共存するにはどうしたら?