神職の仕事・救急救命士の仕事
私は救急救命士です。かつては大学病院の救命救急センターで勤務を経て、大学教員としてで救急救命士を目指す若者を育て、現在は医療チャプレンをています。
また、神職として千葉県長生郡長南町に鎮座する熊野神社の禰宜(ねぎ)を務め、縁結び祈祷、結婚式、安産祈祷、命名、初宮詣、七五三、学業成就、交通安全、厄除開運祈祷、病気平癒祈祷、事業繁栄、地鎮祭、家相、神葬祭、水子霊鎮祭、浄霊祭、運勢鑑定などゆりかごから墓場までの人間の生死やライフステージに関わるたくさんの神事を行っています。
このように自己紹介すると、「どういう経緯で?」や「なぜ神職が救急救命士に?」という質問を受けることが多いのですが、わたしの中でこの二つの仕事は「命と向き合う」という意味において、しっくりと、そして密接に絡み合っているのです。
私は新潟県の北部、日本海に面した村上市で生まれました。日本酒の「〆張鶴」や最近ではソチ五輪・スノーボードで銀メダルを受賞した平野歩夢君の出身地で、その名を耳にしたことがあるかもしれません。ちなみに、平野歩夢君のお父さんは、大学生時代にライフセービング活動を共に行った親友です。しかし村上市には、もう一つ世界に誇れる素晴らしい人財がおられます。それはわたしが人生の方向を決めるきっかけにもなった、日本最高齢の現役ライフセーバー・故本間錦一さんです。
本間さんは、21歳の時に遭遇した悲しい水難事故をきっかけに、まだレスキュー隊も存在しなかった時代に、「村上潜水クラブ」という水難救助団体を設立。警察や地域からの連絡を受けると駆け付けて、人命救助や遺体の収容に当たるようになりました。そしてそれから60年以上、瀬波温泉海水浴場でライフセーバーを続け、後進の育成にも力を注いでいます。
私は子供の頃に、その本間さんから泳ぎのイロハを教わり、日本赤十字社のボランティア活動をするようになった高校時代には、人の命の尊さを、そして人命救助の何たるかを徹底的に叩き込まれました。
人間の生と死の狭間に立つ本間さんの仕事を間近で見て、話を聞いて、人の命について考えを深めていくうちに、私は「目には見えない命の世界」に強くひかれるようになっていきました。大学は神道学科に進学、「命の宗教」とも言われる神道を学ぶことにしたのです。
神様は、実際に目で見ることはできません。しかし誰にでも感じることはできます。私たち日本人の祖先は、遥か遠い昔から、草木にも石ころ一つにも神様が宿ると考えてきました。火の神、水の神、土の神…人々は自然界のあらゆるものの中に、神様を見たのではなく、感じてきたのです。
「感じる」とは、どういうことなのでしょう?
たとえば、満床のICUと美しい湖を望む山の上でそれぞれ深呼吸したとしましょう。どちらの空気も成分は同じ、たとえ匂いまでまったく同じだとしても、確かに「空気の美味しさが違う」と感じます。つまり、目には見えないけれどはっきりとわかる。―神様は感じる存在であり、神道は、「感性の宗教」ともいわれています。
神道を通して、生命についての探求を行う一方で、私の中には水難救助のボランティアを通して感じた、具体的、直接的に生命を助ける仕事をしたい、という想いも消えがたく残っていました。そこで神職資格を得て大学を卒業した後、今度は「目に見える生命科学の世界」を学ぼうと、救急救命士への道を歩み始めたのです。
こうして私は神職であり、大学教員を職業にすることになりました。結果的に、現在は直接的に人の生命を救う立場にはありませんが、私の現在のふたつの職業は、自分で望んだだけではなく、神様に導かれたのだと思っています。
同じように、多忙な救急医療の臨床で働く救急看護師さんたちも、自分で看護職になることを望んだだけではなく、「看護職になることを導かれた」出来事やきっかけがあったのではないでしょうか?
救急看護は、大変やりがいのある仕事です。事件や事故、重病という、ふつうに暮らす人にとっては生涯の一大事が「日常的」に繰り広げられる壮絶な現場です。それをいちいちストレスと感じていれば必要な看護をこなすことはできませんが、だからといって生命に対する感覚を麻痺させてしまえば、自分の命や心に対しても鈍感になってしまいます。
古代の日本人は、自然の中で自分の感性を磨き(あらゆるものの中に神様を感じ)、日常の些細なことにも「ありがとう」という気持ちを忘れずに生活してきました。それは自分を取り巻く自然や人々への感謝であると同時に、自分の命への感謝であり、自分の生命を愛おしむことでもあるのです。
どうか、仕事を離れた時間には、身近な自然と積極的に触れ合ってください。空、海、大地、山、川、植物…どれほど時が移ろい、生活様式が進化しても、私たちは自然の中で、生かされ暮らしています。人は「生きている」のではなく、「生かされている」のです。