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キケロ『老年について』

 本のタイトルを挙げたけれど読書感想文ではない。
日本には翻訳文化があって、外国語の書籍の日本語訳がたくさん出ている。おかげで外国語を学ばなくても、有名な古典から最近の話題本まで母語で読める大変ありがたい環境にある。だが、翻訳には役者の勘違いや理解不足に起因する誤訳もあれば、誤訳とは言えなくてもよく考えると意味不明なものも多くある。これは仕方のないことで、原文そのものがあいまいであったり言葉の使い方がイレギュラーだったりするのが原因であることも多い。
筆者も10代のころは、学校の図書館で古典文学全集のようなものをよく読んでいた。そこには世界史で習う超有名人たちの著作が日本語訳されていて、おぼろげながらも時空を超える疑似体験をする心持だった。当時は読書論のようなものが盛んで、「若いうちに古典を読め」という風潮が強く、その影響もあったのかもしれない。
 だが人生経験の少ないうちでは古典から得られるものはあまり多くないし深く読むのも難しい。また、翻訳では思想的上の微妙なニュアンスまでは理解しがたい。

 最近、ラテン語を学び始めたが、まだ形態論の途中なので、本来なら読解できるレベルではない。ただ、以前に翻訳を読んでどうしても理解できないところがあったので、たった一文ではあるが読んでみた。

Marcus Tullius Cicero 
CATO MAIOR DE SENECTVTE
邦題はキケロ『老年について』とされていることが多い。

気になっていたのは3章7節のこの一文

Sed omnium istius modi querellarum in moribus est culpa, non in aetate.

手元の邦訳では以下のとおり

  全てその類の不平は、性格の所為であって年齢の所為ではない。1)
  この種の愚痴の元凶は、年齢ではなく、性格にあるのだよ。2)
  そもそもそんな不平が出てくるのはみな性格のせいだよ。年のせいではないね。3)

  1)    中務哲郎訳 『老年について』岩波文庫 2014
  2)    大西英文訳 『老年について 友情について』講談社学術文庫 2019
  3)    八木誠一・八木綾子訳 『老年の豊かさについて』法蔵館文庫 2019

ここのin moribus (mōsのpl. abl.)を「性格」という言葉にしている。日本語における「性格」とは、「生来のもので本人の意思では変えられないもの」というニュアンスを含んでいることが多いので、これでは生まれで決まってしまうことを言っているようで、どうも出自から考えて大カトーやキケロが言うにはふさわしくない。

OLD(Oxford Latin Dictionary)に、
(usu. pl.) Habitual conduct (of an individual or group)
とあるので振舞い、行いという意味が含まれていると考えるとしっくりくる。

試訳は以下の通り

  全てそのような嘆き(社会に対して、自分に対して)は、今までの生き方が原因であって、加齢が原因ではないのだ。

 自分が高齢者になって分かったことだが、同世代や上の世代の人間を見ているとその振舞い(言動、行動)からその人が周囲の人とどのような関係をもって生きてきたかが如実に表れてくる。「歳を取って枯れるなどというのは幻想であって、人は今まで生きてきたようにしか老いない」のが真実であろう。

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