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散歩道(1) 物語の生まれた理由

小説「ベナンダンティは拡張現実の夢を見る」をここまでお読みくださり、ありがとうございます!
まだの方は、下からどうぞ。

この記事では、今までのお話を振り返りつつ要点をまとめていきます。読者の理解と、私自身の執筆の助けとするためにも。
今回から、話の区切りごとに「散歩道プロムナード」と題して、まとめ記事を書くことにしました。

BGMは、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」から「プロムナード」でどうぞ。「キエフの大きな門」のフィナーレが、ナニコレ珍百景で有名です。

この小説を書こうと思った理由

それは「うちの子」たちを、作者の私が死んだ後も残る存在にすること。

私はいま独身で、おそらく今後も家庭を持つことはないでしょう。一人旅が似合う性分です。
けれど、私の頭の中はとてもにぎやか。エルルちゃんをはじめ、私の生み出したキャラクターたちがたくさんいるから、寂しいとは思いません。

同様に「うちの子」をお持ちの読者さんもいるでしょう。ですが、そうして生まれたキャラクターたちの多くは、作者の死と共に忘れ去られる運命ではないでしょうか?

いわば、私は「脳内の王国」の独裁者。私が死んだら、その国は終わり。

商業的に成功し、人々の記憶に残り続けるキャラクターなどほんの一握り。そうなったキャラは権利の関係上、たいてい作者の手を離れていますから「うちの子」とは呼べない立場にいます。いわば、嫁に出した子。

私の考える「メタバース」とは、誰かの生み出したキャラクターが商業的な成功の有無に関わらず、作者の死後も「独立して生き続ける」場所。

それができれば、私は脳内の「うちの子」たちに対して「親としての責任」を果たすことができるでしょう。子供には生きてほしいと願うのが、親心。

有名版権キャラだけが「神様になる」現状も、変えたいと思っています。
でなければ、RPGの世界は「虚無」に飲み込まれる。そう思います。

私は、このメタバースの土台をつくるために「ベナ拡」を書いています。
いずれ、あなたの「うちの子」にも遊びに来てもらえるシェアードワールドに育てるために。

メタバース実現の壁となるもの

SF小説「スノウ・クラッシュ」が発祥とされる概念、メタバース。
映画「レディ・プレイヤー1」やアニメ「ソード・アート・オンライン」でも描かれてきましたね。

その実現を阻む壁は、主に技術的・コスト的な問題と言われます。これは、誰にも分かりやすいと思います。
ですが、問題は別にありました。それは「文化的・精神的な壁」。

MMORPGが衰退したと言われ、さらに運営とユーザーの「敵対」が深刻さの度合いを増し続ける現代の日本で。メタバース自体が「不要なもの」だと、結論を出されはしないでしょうか?

おそらく、商業的にも「割に合わない」と判断されるかもしれません。

私は10年ほど、新浦安にあった物流センターに勤務していました。その間、お隣の舞浜にある東京ディズニーランドには、一度も入場していません。
メタバースも、似たような存在になるのではないでしょうか?

ベナ拡は「メタバースの実現を阻むもの」がラスボスのRPGです。
メタバースが成立した後の話ではなく、その前段階のお話。

0夜まとめ

このお話は、現代版「ドン・キホーテ」を意識しています。ドンキホーテの何が凄いのかっていうと。1605年に出版されたお話だということ。
1600年、関ヶ原の戦い。日本はそんな時代だったのに。

「現実世界で、自分がドラクエの勇者だと言い出す変わり者がいたら」。
基本的にはそんなお話なのでしょう、ドン・キホーテ。この記事を書いてる時点では、私も詳しくは読んでません。後で原作を読んでみよう。

映画の予告編だけ見て、想像をふくらませてお話を作るのは作家の常套手段ですからね(笑)。

先日見に行った「すずめの戸締まり」も、自分の予想とどう違うか。どこが自分の小説に活かせそうで、どこが自分だったらやらない部分か。そういう映画の見方をしていました。

「独創は思慮深い模倣」って、そういうことなのでは。

「すずめの戸締まり」での「後ろ戸」の設定は、ベナ拡で今後重要になる「ゲート」や「ドリームゲート」に通じるところが大いにあります。裏世界への出入り口。

0夜の要点は、主人公が現代版「ドン・キホーテ」のお話なんだってこと。
さらに、ドン・キホーテの従者サンチョ・パンサ、お姫様ドゥルシネーア役の田舎娘、やせ馬ロシナンテに相当するキャラクターも今後出てきます。

前置きが長くなったので、いったん切りましょう。
次は1夜〜7夜の振り返りです。

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夢を渡る小説家イーノ
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